30日。金木犀の木に花が満開なのを確認した。紫式部に実がなっているのも見かける。買い物に行って家に帰ってくると雨。随分ひさしぶりだ。
どうも牛を食べる気にならないのだが、昼はラーメンをつくろうと豚と麺を買ってよくみるとついてくる濃縮スープに肉エキスと書いてあったりするので、いったい牛肉をたべるのとどこから抽出したかわからないエキスを口に入れるのとどちらが安全だろう。と悩む。
群コホモロジーと分類空間について、きちんとした本が手元に無いので Baez さんによる子供向け解説などを眺めるが、全然わからん。注文している Steenrod のが届けば解決すると期待しよう。まあ、取り敢えず気になる H2(G,U(1)) に関しては、一方でそれは射影表現 G→U(∞)/U(1) で、一方で〜H2(BG,U(1))〜[BG,BBU(1)] だけれど、群の表現を空間であらわすには[BG,B(U(∞)/U(1))]とせねばならず、U(∞)/U(1)=BU(1)なことを使えばつじつまが合っているらしいことはわかる。
.tex
の先頭に %&フォーマット名
とすると使う .fmt
が切り替わるという機能が最近出回っているTeXの実装にはあるようだが、何だか良く判らないがうまく動作しないらしく、ネットからとってきた論文の先頭に %&latex
とあるのを platex でコンパイルしようとして Fatal format file error. I'm stymied.
と出るのにしばらく苦しめられる。誰だってこんなエラーを出されるとおかしいのは tex の設定だと思うだろう、まさか .tex ファイルのせいだったとは。
昨日の日記は日付を間違えた。今日こそ本当の29日だ。
昼間も急に涼しくなってきた。自転車で走っていると風がほのかに金木犀に香るように感じる。ただ実際に木に目が留まるほどではないから、秋への期待感からそう感じるだけかもしれぬ。夕方7時ころ兄が真っ赤な顔をしてうちに来て、4時間眠って顔を肌色に戻した後に帰る。
偉大なるかな Atiyah … 昨日借りてきた Cargèse の1979年の講義録(NATO ASI B59, 1980) の Atiyah の記事を斜め読みしていると、4次元多様体上の {ゲージ場}/ゲージ群 の近似として instanton moduli を調べるかわりに、おそらく spinor を付け加えて考えるとよいのではないか、とある。彼にとっては Seiberg-Witten 方程式は青天の霹靂ではなかったろう!
上記の講義録はそれ以外の記事もなかなか面白い。純量子色力学の閉じ込め問題は解析的に解決したと言わんばかりに Callan が書いているのだが、どういうことだろう。(非物理屋への注: 我々は、その時点の最高級の計算機資源を使わずに、すなわちおおよそ紙と鉛筆+αで何かをすることを「解析的に」ということがある。)
昔 K に、「lynx を入れておくと大学の端末からしか見られない電子雑誌を家から見たいときに便利だ」と同意を求められて単に全くその通りとだけ返事をした記憶があるが、僕は今日の今日までわざわざ明示的に向こうの端末に login して lynx を立ち上げて向こうの disk に書き込んだ後、scp で手元の PC までファイルを転送していた。しかるに今日ふと思うに例えば Physical Review Online Archiveの場合などアブストラクトまでは誰でも見られるので、とってくるファイル名が判れば
ssh ユーザー名@ホスト名 'lynx -source ファイル名' > 手元のファイル名
とすればそういう手間は掛からない。もしかすると K はそのときこのことをいっていたのかも知れず、そうするとそのときもう少し詳しく聞いておくべきだった。
29日。まず、the Rev. S. Haughton は他には各地の鉱石の話や、潮の満ち干に関する論文を沢山出している、と昨日の内容に追記しておく。
半年前、〜するだけで論文になるとは、古きよき時代だと書いた内容を自分でやってみるとうまく行かない。恥ずかしい限りだ。
昼から図書館で文献渉猟、5時ころ食事に行くと航空の某と遭遇、前から奴はうちにきてみたいと言っていたので連れてくることにするが、奴は6時半から8時半まで生協で棚卸のバイトだというので、総合図書館で本を読んで待つ。一緒に家まで歩く。
などして、奴を駅まで送ったりしているとこんな時間になった。
27日。午前は固体物理の補講。
午後はまずひとつ懸案をこなす。漱石の「吾輩は猫である」で寒月君が「首くくりの力学」を話すのはご存知であろう、それの原論文を探したのだ。実家の文学全集で寺田寅彦の随筆を探して、「古い」Phil. Mag. に ハウトン牧師なる人物が書いたとあると調べた。Web 上にあるかと検索するも懸からず、というわけで、1798年だったかの第1号からひたすら調べること2時間半、とうとう the Reverend Samuel Haughton, On Hanging, Philosophical Magazine Ser. 4, Vol. 32, pp.23-34 を発見す。さて「ハウトン」の綴りが判ってから検索するとうちの大学に同じことをした人が既にいるのを見出す。これが判っていればこんなに時間の懸からなかったものを。 ここに scan した pdf(〜900kbyte弱) を置いておくので、興味のある方はごらんくださると良いかと思う。後半の、苦痛を与えずに絞首するには何メートル落とせばよいかというくだりは、よく似た話が「部分と全体」にもあがっていたように思う。
その後新宿某所で2年の某君が量子化学における有限群の表現を話すとて聞きに行く、あんがい盛況で驚く。彼もわれわれの習いに従って、先に証明した定理の主張を直接今回の議論に適用できるのではないが、全く同じ証明を繰り返せば出来るときに、「前の定理から云々」と言うので混乱を引き起こしていた、これは数学屋の前で話すときに気をつけなければならないと再確認す。
26日。昼から京都の予言者宅を訪ねる。昨日連絡するに試験があるから2時過ぎに来いと。思いの外はやく出町柳に着けば下鴨社に賽銭を捧ぐ。無神論者なれど、信ぜずとも救うと言うからじゃ。さて丁度2時に玄関に立ち鈴を押すと意外にも内より声あり、なんでも朝の8時に起きてあと30分眠ろうとして12倍眠っていたらし。
朦朦たる煙の中、いつものようにアアベルの論文、ホィットニーの論説を朗読して貰うなど有難い託宣を頂く。君も矢張古典を読まぬかとお嘆きのところ、Borel の「発散級数」をコピーしたと言うと笑ってくれた。でイタリア料理屋に行って僕はカシスソーダ、やつはジンライムソーダを飲みつつスパゲッティを食う。これが曲者で、海かと思うばかりの大皿に山のように出てくるのを、二人で取り分けるのだ。まあ、値段を考えればそれほどの量でもない。
バスで京都駅へ。新幹線の車窓より外を望むも、暗きため自ら光らざれば見えず、しかして灯火は列車に近すぎて目を留むる能わず、唯だ満ちつつある月の天に懸かるを眺むるのみ。実家から持ってきた十二支考を読んでいるうちに東京だ。以前は帰省には特別な感情が伴ったが最近はそうでもない。この体から離れてどこかへ行くなら兎も角、そうでなければ単に自分の体の周りでいろいろ起こるだけだ。
25日。街頭で公開処刑、については、ベトナム戦争時にアメリカ軍がゲリラの一員を路上で射殺して、頭蓋に開いた穴から血が、水道のホースから水が出るように勢いよく流れ出す映像をみた話を随分前にテレビで見た記憶がある。と追加しておかねば公平でないだろうが、どちらも厭うべきことである。
今日はテレビで5万円のバイオリンとストラディバリウスとの聞き比べをやっていた。案の定、僕は間違えた。音の違いはわかるにせよ、どちらがいい音かというのは慣れで決まるものではないか、などと言い訳す。
Aθと A1/θ の森田同値の具体的な方法を文献にあたって学ぶこと。
24日。秋晴れ。上弦の月と火星を見る。ひどく瞬く。
ニュースでタリバン治下のカブールの様子が流れる。道端で絞首刑、スタジアムで観客を集めて公開処刑などのシーンを見る。そういうことをやっているのはタリバンに限らないのかも知れぬし、映像の信憑性など(前政権時の記録かも知れぬ、etc.)疑うこともできようが、兎も角そういう状態が今も地上にあるのはひどい話である。
あと旧石器捏造を追いかけた記者たちを面白おかしく描いたのも見た。似たような話は、物理では今世紀初頭フランスの N 線の話が有名だ。
23日。昨日に引き続き見事な秋晴れである。夜はアンドロメダ銀河でも見ようと望遠鏡を引っ張り出して四苦八苦してみるが、ファインダーの半分くらい占めるはずなのにまるでわからず、二重星のγ星をみてお茶を濁す。
帰省中は不活動になっていかん。QFT at IASから講義録をとってきてあったのを読んだりする。「数学者向け」とうたってはいるが、春学期の Witten の講義などちょっと違う面から詳しく説明があって初心者には勉強になると思う。本になったのを買いましょうかねえ。
22日。昨日新幹線を降りるときに、扉の窓のゴムとガラスのつなぎめの透明な何物かが伸びだして、見事な指状不安定を見せているのを見た、と書くのを忘れていた。写真を撮ろうとしたのだが、突然メモリカードが不調になったのでうまく行かなかったのだ。
父とそのあたりをサイクリング、西日で影がたんぼに落ちているときに走っていると影の周りが明るくみえると聞く、確かにそのとおりに思えるが、目の錯覚だろうか。
Only if part も摂動論的にはすぐ出来そうな気がする。ただ Weinberg が「反例は知らないが、証明は判らない」といっているくらいだから、議論のどこかに罠があるのだろうか。
21日。雲のため富士は見えなかった。車窓から田ん圃の稲に黄色い穂がついているのを見る。叡福寺にお墓参りに行く。久しぶりに境内を歩く。月並みな表現だが、いかにもかみさびた風情だ。
例の第4章では、if part しか証明していない。Only if part を導こうと頑張ってみるのも面白いかもしれない。
例のFせんせのが論文になって hep-th にあがっていた。
20日。まだ雨がぱらついている。台風の影響なのだろう。
大学へ行くも、なんと先生今日から出張で、半月ほど戻らぬらしい。そのかわり、院生部屋で Y 先生の研究時間を割いて頂いて?与太話をする。現象論ということばは何をさすべきか、という話をしばらく。しかし、
- 標準的なことばかりやっていてもそれはそれだけのことだ。
- 誰もやっていないことをやったほうが良いのはその通りだが、それしかやらない、というのは君たちには流石に精神的に大変だろう。
- すると解決には、2倍仕事して、標準的なことも冒険的なこともするしかないのは明白だ。
午後4時半ころ部屋を出て図書館へ、今日は Feynman-Hibbs のゼミだったかと思うが見当たらぬ。兎も角食事をして帰る。
19日。あの名講義、統計力学特論も今日で最終回だ。急いで Hartree-Fock, RPA の表面をなでて、最後に Nakajima-Zwanzig-Mori の減衰理論とかいう方法が mention される。なんでも物理量が周波数の連分数に(なんとまあ!)展開されるそうで、詳細は例えば岩波の統計物理を読め、とのお言葉であるが、どう使えるのかさっぱり判らぬ。素粒子では知られている近似法なのだろうか?
久しぶりに大学で夕食まで粘る。家に帰ると手紙が届いていて、なんでも、決定した指導教官に「なるべく早く」連絡すること、とある。仕方なく帰省を一日伸ばすことにする。といっても明日先生が捕まるとも限らないのだが…
久しぶりに雨だ。
17日。西武沿線には彼岸花園があるらしく、100万本とかうたっているが、どうだろうか。曼珠沙華はまとめて咲いているのを見るものだろうか。
10時ころから大学へ行き、昨日印刷したものを製本など。
11日に困っていたプログラム(1次元ハイゼンベルク模型のモンテカルロ)は、一般の 2n サイトで動くものはとうとう出来ずあきらめて 2サイトでしか動かぬプログラムを書いてデータを取って提出したのだが、今日もう一度ご本をあたってみるとアルゴリズムは間違っていると思えず、不可解だ。
夕食まで待てず家に帰る。7時半ころ大戸屋へ、何故か珍しく空いている。ここははじめは水が出て、あまり長く居座るとお茶が出る(と私は解釈している)のだが、今日は食べ終わらないうちにお茶を持ってこられて、何があったのだろうと訝る。
家に戻ってもう一度プログラムするか、と前書いたコードを眺めていると突如眠くなって10分前まで昼寝してしまった。
16日。何故か開いている新宿某所へ朝っぱらから遊びに行く。 正午に帰ってくると、駅前にはおみこしが集結していて、秋祭りだ。しかし太陽は真夏のよう。このあたりは道がひとつ変わるごとに神社も変わる。
Borel の「発散級数」なる本の英訳が LANL の図書館にあったので落としてきたら、最初のページにでかでかと "Do not Circulate" とあって、訳の序文にはゴチエ=ヴィラールとの契約で500部だけ作成してよいということになった、とか書いてある。そんなものを net 上に公開していいものか、と思うが。
S君に聞いたので、 CTAN から TeXbook の原稿を落とす。さすがは Knuth 先生、TeX の compile を通すのに最低2回は、にやりとせざるを得ぬ粋な .tex ファイルである。
15日。昨晩は兄が来た。
そういえば、と経路積分から直接、正準交換関係やHeisenberg 運動方程式が導けることを確認してみて思うに、Feynman-Hibbs に載っていない筈は無いが読んだ記憶はない。これはおかしい。と本の頁を繰ると当然載っているのではあるが、よく思い出してみると単に僕がこの本をきちんと読み通していないのであった。
曲がった空間を動く粒子の、(物理的に正しいかは兎も角、ふつうのラプラシアンが出てくるという意味での)正しいシュレーディンガー方程式を導くような、経路積分における正しい変数の並べ方が存在することはわかったが、書き下してみても煩雑で座標変換にたいして共変なのかどうか一見して判るというものではない。だいたい数日前かいたブラウン運動とも微妙に符号が違うように思う、計算間違いだと期待したいが。粒子でこれなのだから紐を考えねばならぬと思うと鬱だ。
昼食後、航空の某から3時間ばかり電話。いろいろ愚痴を聞く。その直後祖母から電話。こちらはそれほど長くなかったが、今日が祝日だということを初めて認識する。あまりの疲労から3時から6時まで昼寝する。
暇つぶしに難解バカボンを Javascript に移植してみる。
14日。昼ごろのこのこと起きだして学校へ向かう。道行く人の手に軒並み傘が握られているのを見て、昨日の雨のため鞄から折りたたみを取り出したままだったのを思い出す。雲行きも怪しいので心配だったが、夕食を終えて出てきたころには黒々とした夜空が広がっていたので大丈夫だった。随分ひさしぶりに星空を見たように思う。
今日は学生セミナー室で曲がった空間上の量子力学の講義が行われるという噂だったのだが、残念ながらそこまで発表が回らなかったらしい。夕食にまでお邪魔してしまった。
13日。また雨。
11日の夜に徹夜した影響が今日になって出た。朝7時に起きて朝食を取ったあと眠ってしまい、10時に起きだして雨だが仕方なく洗濯、12時にマクドに行って帰ってきてまた眠ってしまい、また起きだしたのが7時。いい加減生活習慣を整えなければ…
12日。国家という単位で世界が動いているからこんなひどい目に一般市民が遭うのだ。
彼岸花が沢山咲いている。もうそういう季節なのだなあ、と思うが、今日は暑い。
冬学期の実験の研究室がめでたく決まった。
11日。朝は台風。昼ごろのそのそ起きてきて、後ひとつのプログラムを組み始める。これのデータを取り終わればめでたく明日提出のレポートが仕上がるのだが、いくらやってもバグが取れない。8時ころ流石に頭がパニックになったので夕食に行き、帰ってきてはじめからもう一度少しずつ違う方法でプログラムを組んでみるも、相変わらず駄目である。で、仕方が無いのでつい先ほど取り敢えず弁明を書いたレポートを印刷しておいて、現在も航空の某から事件の速報を電話で定期的に聞きつつひたすらバグとりをしている状態である。全く情けない。
10日。午前は量子光学の補講なのだが、あまりの雨にハメハメハ大王の気分である。駅に向っていると小雨になってきて、本郷三丁目を降りたころには傘がいらないほどである。自転車にしなかったのを後悔して空を呪っていると、総合図書館を過ぎたあたりで思い出したように蛇々ぶりになって、部屋につくころには靴がぐしょぐしょになった。滅多なことを考えるものではない。
講義では、電磁場と電荷の相互作用系が電流とベクトルポテンシャルで書かれているのはゲージ不変でなく嫌だから Powers-Zienau 変換とかいう U=exp(i∫P.EdV) でハミルトニアンを挟んで多極子と場の相互作用の形に書き換えるという話を聞くが、なにも判らず。昼食時に U と K と、第2量子化したほうがわかりやすいかなどと話すが、午後自分で考えず文献を漁ったところ粒子が有限個で全体として中性なら U=exp(iΣi ∫ri固定した点eiA.ds) と書けるとあり、確かにその主張は正しくまたこの形のほうがわかりよいが意味は相変わらず謎である。
帰りに「科学の散策」(原題: a random walk in science)とかいう、物理学者のウィット集を借りる。序文は面白くないが中に集められたそれぞれは笑える。(an exception proves the rule...) 我らが H.B.G. カシミール先生が電磁気の単位系の混乱を茶化したものなど最高だ。残念ながら物理学科の人間でないと笑えない内容なのだろうが。
それに関連して、70年前の H. ベーテによる嘘論文を訳してみた。著作権はまだ切れていないかもしれないので、詳しいことの判る読者諸賢はご連絡願います。
9日。強い雨が突如ふるかと思えばすぐ上がり、というのを繰り返すので、遠出する気にはならない。昼ごろまではあいかわらずぼんやりしていたが、これではいけないと15時ころから真剣に、試験のため中断していた夏学期最後のレポートに取り組む。
結局、Riemann 多様体上でのWiener 過程は、<dWidWj/dt>=δijとして
dXμ= eμi dWi - gαβΓμαβdt/2とすれば座標の取り方によらないらしいことがわかった。が、この式を幾何学的に理解することはまだ出来ない。
8日。今日もとりたててなにもしない。久しぶりにカレーを作ったら食べ終わった後非常に暑い。
数日前できないできないと言っていた計算、わからないのでほうたらかしてあったのだが、それとは無関係にとってきた講義録に偶然くわしく計算が載ってあるらしいことを発見した。困った。
7日。昼ごろ起き出して、曇り空の下とりあえずご本を返却に行く。「部分と全体」を借りてすぐ帰ってくる。
家に帰ってはぱらぱら借りてきた本を眺めたり、思い出したようにピアノの練習をしたり。ハイゼンベルクは30歳で教授になってもレッスンを受けていたと書いてあるが、申し訳ないながら僕にはそこまでの情熱は今のところ無い。だがこの表現は嘘だ。下手だが難しい曲を弾いたふりをするのを許してもらえなくなるだろうことが嫌だという、非理性的な見栄があるだけだ。
夕食へいって帰る途中に、お巡りさんによる自転車の登録確認に遭う。有難いことに、この自転車は間違いなく僕のものだ。
6日。今日は面接であった。家に居る間は和やかな CD を聞いて平常心そのものだったのだが、早めにいって待合室の空気を吸っていると緊張してくる。
まずは素研の面接。昨日必死に二次元のを勉強したかいあってか、一次元低い問題を解かされる。「というわけで自由エネルギーが求まりましたが、比熱とか計算しましょうか」というと、もういい、と言われる。次は F 教授、君、ここの答案に最小の不確定性と書いてあるが、説明して?確かに導出を書きませんでした、と言って何故こんなことを聞かれるのだろう、といぶかしみつつ何も考えず普通に導出すると、あれ、係数が記憶と2倍違います…どうやら計算間違いで答えが2倍ずれたのに最小不確定性と書いたのをからかわれたらしい。鬱だ。では黒板を消して退出してください。
つぎは物性理論の面接。緊張すると軽口をたたく癖があるので、では名前と受験番号を、と言われてつい「写真は今と違ってめがねを掛けていませんが…」と詰まらないことを言う。W 教授が反応してくれたので非常に心が落ち着く。
カードを引くとお題は「キュリー点」「ハイゼンベルグ表示」「位相のずれ」だったので、無難にハイゼンベルグ表示の説明をする。一通り終わったところで、S助教授が「じゃあ意地悪な質問をするけど、そうやって演算子がユニタリ発展するってことだけど、開放系だと散逸するはずですよね。そこはどう解決しましょう?」と聞くので、おい、他の先生方も答えられるんかいな、などと焦ってしばらくうーとかあーとか言う。演算子を挟む exp iHt の H は環境を含めた全ハミルトニアンだから、時間がたったあとの部分系のオペレータは Schroedinger 表示で書けば激しく複雑になるから大変なんじゃないでしょうか、とお茶を濁す。
次はO先生、この Zabusky--Kruskal の柳の下にどじょうを狙うとはどういうことか説明してください。内容はぼくの企業秘密なので詳細は省略するが、W教授になんども口を挟まれる。途中は「Zabusky--Kruskal は真空管でやったから偉いんだ」だったのが、最後は「君、そんなことやったら幾ら計算機があっても足りないよ」とまるで反対のコメントだったので面白かった。第一志望が素粒子のひとはいじめられる、という話だったが、すこぶる応対があたたかだった。では、退出してください。黒板消さなくていいんですか?はあ?いや、さっきの素研では消せと言われたので…
どちらかは採ってくれるだろう、と期待したい。Nと大戸屋によって家に帰って、昼 U と議論した曲がった空間でのブラウン運動はストラトノビッチで書けるか?という問題を考察するも、熱方程式が出るようには出来るがそれは単純なストラトノビッチ(eμi を vielbein として dXμ=eμi。dWi) では駄目なことが判った。当然といえば当然だが。
5日。久々に日が射した。空の高いところのすじ雲の下に、ぽっかりと積雲が浮かんでいる。自転車に乗っていて直射日光にあたるとそれなりに暑い。そのせいで、家に帰ってくると部屋が温まっている。温まっているとは書いたが、それが有難い季節ではまだ無いように思う。夕食後ゆっくり自転車で帰ってくると、正門を出たころはまだ空は白く、夕焼けに雲がクリーム色していたはずなのに、たどりついたころには暗くなっている。秋だ。
今日は Kauffman による 2次元 Ising の厳密解を読んで感動した (Phys.Rev. 76,1232 (1949))。ある行列を対角化したいが困難だから、それがある群の元の表現行列であることを認識して、別の対角化しやすい表現πで対角化して後はウェイトの一般論。物理的に言えば、πでの固有ベクトルが自然にもとの表現での励起の生成消滅演算子になっている。この手法がよく似た模型に使いやすいかは兎も角としても、全てが明快だ!素晴らしい!
4日。雨が降っているのか降っていないのか、というなか学校へ。昨日の花は、昼に見てみればさほど目立つ花ではないが、可憐ではある。通り沿いの店に入ったとたん土砂降りに。食事を終えるころにはまたあがっている。
昨日の計算はうまくいかない。
図書館で Belinfante の論文なぞ眺めてみる。60年前の Physica 誌だが、英独仏なんでも良いらしく、かつ論文の abstract というか zusammenfassung のところをわざわざ本文の言語と変えるのが流行っていたように見える。さて、Belinfante 先生はさらにふるっていて、なんだか良くわからないラテン系の言葉でも resumo を書いてある。U† に西語でないことを確認した後、いろいろ考えてみるに、これは Esperanto に違いないという結論に達する。
このあたりの地理が良くわかってから漱石を読むとなかなか興味深い。
3日。家からネット経由で紙の試験の足切りにひっかかっていないのを確認した後大学へ行く。雨がちょうどぱらつきだしたところだ。
面接の順番も同時に発表なのだが、単純に受験番号順というわけでもないので図書館で皆の知恵を結集して解読しようと試みる、が結局よくわからぬまま。
懸案の文献を見るも、「なる」としか書いておらず、似通った文献を漁っても「なる」としか書いていないのばかり、ひとつだけ、susy の Noether charge を計算すれば出来るとあった。ま、古典的にどうなるかは確かにそれでわかるだろう。ということで、家に帰ったあと計算しようと思う。
Nと食事をしていると情報の院を受けた某も食堂に来たので与太話をする。面接で「例の問題に時間をとられまして…」と言うと先生がた苦笑いしたとか。
しとしと雨がふる中自転車で帰ってくる。正門を出て大学の脇を弥生の交差点にむけて話しながら自転車を押していると、なにやら香りがするので、どこだろうと思うと頭上に可愛らしい花が。また数日後ゆっくり観察することにする。
家に帰って計算でもはじめますか、というところで某から電話。数時間与太話をしているともう23時だ。
2日。特に何もしない。CDを聞きすらしない。薄い雲のうしろに満月が見える。随分久しぶりに熱いほうじ茶を入れる。
最近 Inventionen und Sinfonien を通して弾いて練習にしているが、まるまる一時間かかるんだよな…