31日。洗濯。夜になると外は涼しいものの、建物があたたまってしまっているのか部屋の中は一向に涼しくならない。困ったものだ。
石川啄木の「ローマ字日記」を読む。その他、いろいろピアノを弾くなど、休日。
29日。御殿場に比べて東京の暑いことよ。
家に居るつもりだったが、昼から事務的用事が出来て暑いなか大学へ出かける。居室のクーラーがまるで効かない。夕方になって日が翳ってくると途端に温度が下がりだすのだから、わかりやすい奴だ。
蓼科での夏の学校での資料がいろいろあがっているが、橋本義武氏の講義の概要の中の「歴史おぼえがき」はなかなか興味深い。
24日。昼前から御殿場へ向かう。富士のさと青年の家とか言う独立行政法人、宿舎は畳敷き大部屋だ。立地を除けば代々木と大差ない。朝夕に「つどい」があって国旗と所旗の上げ下ろし。まあ参加が強制されないのでサボタージュする。広い石段を上ると旗の向こうに富士が見えるという考えつくされた設計だ。
若者のセミナーは、Computability and Solvability という本の面倒を見ることに。うまく行けばHilbertの第10問題の解決まで進めるはずだが、そうも行くまい。
代々木と唯一異なるのは、食堂入り口のチェックが何も無いところだ。
25日。今朝の富士山は、青空を背景に頂にのみ雲が掛かってとても綺麗だった。食堂のオレンジジュースが昔懐かしい合成風味のものだったので、バイキングのオレンジの切り身を沢山とって来て絞って飲む。
朝起きられるかと危惧するも、隣の米軍キャンプでの演習の爆発音がガラスをビリビリ揺らすので寝ていられるものではない。実際えださんの講義中も頭上を戦闘機が通過したのか何か轟音に驚かされたり、なかなかの所だ。
昼から曇って雨が降りそうに。実際東京では降ったとか、富士が見えず残念。
26日。一日薄く曇ってお山は拝めず。どうもここはスイッチョンが多い。
「相対論は間違っている」という本を灘の後輩に進呈する。
食堂が不味いと周りに愚痴を言ってみると、みな自分の学校の食堂よりは良いという、本郷の食堂が良すぎるらしい。
27日。本日は松本先生のtoric入門という話。昼は若者は夜の発表会へ向けひたすらセミナー。うちの班はめでたくcomputable⇔recursiveまで進んだ。
夜は発表会。プレゼンは皆ほぼ初めての割には上出来だろう。
風呂に入ろうと思うと外にバスタオルと共に干してあったボディブラシが行方不明に。
夜から早朝まで晴れて星が綺麗だった。明け方にバス停までバスの時刻を確認しにゆくときに富士を見た。これはいいものだ。
28日。急用で青年の家まえ朝一のバスで帰る。バス停では虹が見えた。とそうこうするうちに案外の雨に。小田急は新松田駅ではまだがらがらだったが途中からラッシュに遭遇、ただ新宿につくころには微妙にラッシュの終わり近くで特に大変ではなかった。
我が家には9時半ごろ帰宅。今日は特になにもせず。
23日。今日は朝から雲行き怪しく、昼から案外降る。明日からしばらく出かけるのに洗濯を溜めていたので如何ともしがたく、すこし乾燥機で回した後部屋に干すことに。
大学へ。相変わらず誰もピアノを弾いている形跡が無いのはいかがなものだろうか。一年ぶりぐらいにショスタコのフーガの15番を叩いてみるがすっかり忘れている。
今はすっかり本降りだ。さて、試験の日は僕は東京にはいないけれど、今年院試のみなさんは頑張って下さいね。あまり頑張れというのもプレッシャーになってよくないと最近よく聞くが。
22日。まんまるのお月様。夏休み中なので大学のピアノが常時空いていて嘘のようだ。
先輩がメモリを増強したとかで、(取り敢えず誰も使わない)余った128MBを無期限貸与して貰った。そもそも128MBしかなかった家のノートに挿す。ディスクがギリギリ悲鳴を上げる症状が改善されて、これは快適だ。
レポートの為に久しぶりに物性の話を考えることになるが、頭が思うように回ってくれない。情け無い。
21日。今日も涼しい。すっかり秋のようだ。中秋の名月と言っても誰も疑わない。この日記の背景も真夏風から普段のに戻してみる(ほんとうは、数人から読みにくいと苦情が来たからであるが)。
レポートの締め切りが迫っているのでせかせかと書く一日。
さて、論文を眺めていると pheno-M-enology という単語が出てきた。「M理論に基づいた現象論」の略だそうだ。
20日。台風一過、すきとおった青空。陽射しは鋭いが風が心地よい。
夕食にいくため皆で道を歩く、秋の夕暮れだ。暑さを感じない。ふくらんできた月も輝いている。
経路積分のときにしばしばゲージ群の体積で割ると言うけれども、局所自明化のパッチごとにゲージ変換できるので、何をゲージ群と言うのかわからなくなってしまった。なにをどこまで同一視しているのやら…
19日。信頼できる筋からの情報によると朝のうちはかなり降ったそうだ。昼ごろ起きだして学校へ行く。まず自転車屋さんにいってチェーンの錆を落としてもらった。快適だ。
研究室のノートパソコンのおさがりを貰える事になったのでvine linuxを入れてみる。何故かときどきcannastat/wnnstatがうまく動かずにwdmからログインできなくなる。困った。
久しぶりに大学のピアノを触る。軽いのに驚く。
18日。いろいろあって徹夜す。今日は一日雨がしとしとと降って涼しい。台風が来ているそうだが、そんなあらあらしいものではない。すっかり秋というかんじだ。
British Medical Journalは毎年クリスマス号に多少巫山戯た内容の論文を集めて出版している。そういう趣向を物理でやっている雑誌はあるだろうか?European Journal of Physics はときどき変なのを載せているが、時期を限っては居ないように思う。
17日。今日は一日曇って涼しかった。真夏とは思えないが、まあ立秋も過ぎたことであるので…
昼から学校にゆく。帰りに夕食に本郷通り沿いの店に入って、出てきてさて自転車に乗ろうと思うと鍵が無い。ポケットの中を必死な顔をして探していると、ウェィターさんが中から出てきて手渡してくれた。
16日。朝は待つ用事あり、昼から久しぶりに大学へ行く。ひなたは暑いが、影を走るよう心がければ風があってある程度ましだ。自転車のチェーンの錆がひどいので近くの自転車やに寄ってみるが、盆休みであった。
正門を入ったところで久しく会っていない親友に出くわす。何でも知り合いを本郷案内するとか、待ち合わせの最中。結局その知り合いと一緒に昼食。なんでもプログラマとしてかなり稼いでいるとか、耳の痛い話だ。
さて森の近くを走るともはや風情を通り越して蝉の鳴き声は轟音に近い。怪しい雲ゆきで昼過ぎからずっと如何にも降りだしそうだったが、今に至るまで結局降らず。無念。ただ夜は窓を開けて風を取り入れれば十分涼しい。
紐の現象論は大変だ。90年代の革命以前の手法をまとめたreviewを印刷してみたけれど、現実に即したモデルは一筋縄では作れないことが力説してある。
15日。東京は暑い。こちらはあまりまだツクツク法師は居ないなと思っていると、夕方に一匹出会った。じっくり聞いてみると、むしろツクツクツク法師のようであった。
家でおとなしく勉強している一日。月が太ってきた。
14日。東京に移動。見事な夏空で、積乱雲が素晴らしい…と思っていたら大雨の中を通過したり。富士は雲を従えていて姿を見ることは出来なかった。
13日。今日は入道雲が見事だった。
祖母の発案で3時のおやつにMangiaにまたピザを食べに行く。
その後父とサイクリングへ。出発直後はまだ日が少々高く頗る暑い。先日車窓から見つけた50年前の遺物を探しにゆく。通りは覚えているものの場所は定かで無い。
探し出したのはこれだ。
帰ってくるとサドルが汗を吸わないためか尻だけびっしょりでみっともなかった。発達した雲の中にかすかに虹を見た。
12日。秋の空。しかし暑い。
今日はお寺さんに行って盂蘭盆の供養、ドンガラガッシャンと鉦太鼓が鳴って合唱があって、ゴスペルとおなじくらい派手だ。昼に鰻を食べる。
住基番号の印刷まちがい発送のニュースを聞いていると、どうも各自治体ごとに別の業者に発注して印刷をやっているようである。世間でITというと仕事の省力化、コスト低下に役立つという風に聞いていたが、はて、政府では一体何のために導入しているのかと訝しむ。ま、中央で一括管理されている状態よりは多少微笑ましいのではあるが。
北東の空が曇っている。
11日。晴れ。今日も暑い。
お墓参りにゆく。水不足だとかで場所によっては蛇口から水が出ない。夾竹桃の大きな株が見事だった。
NHK教育の人間大学だったかで、野坂昭如が彼の経験を交えつつ、終戦直前の様子について喋っているのを聞く。「一億玉砕などと言って、当時は皆戦争していると思っていたが、今考えてみれば宗教ですね。木戸日記によると、昭和帝が相談してきておっしゃるに、本土決戦になれば伊勢の鏡とどこどこの剣がアメリカに奪われて仕舞うと大事だから手元に持ってくるべきだろうが、などと上層部は神懸り的なことを言っている…」
今日明日がペルセウス座流星群が極大だそうだけれど、どうだろうか。
10日。今日の昼は久々に暑い。ずっとクーラーをつけていた。それでも夕方になれば秋を感じさせる、窓を開けて風を通せば気持ちよくすごせる。31度を涼しいと言える真夏の恐ろしさよ。
おとといだか甘いいちじくを食べた。ちかくの畑でもいだばかりのを露天で売っていたとか。
わらび餅に黄な粉をかけて食べると水分で何やら黒い粉がわかれてきて皿の底に沈殿す、いぶかしんでいると何でも黒豆大豆からつくった黄な粉だとか。
ご本の問題が解けなくて原論文を参照す、一言わかれば後は単に計算だが、はじめの一言が難しい。
9日。家族でみたらい渓谷へ滝を見に行く。といっても父が運転する車に僕は助手席に乗っているだけだ。岩場に可憐に咲いている花を見る。
このトンネルは去年開通したんだ。など、道路族の皆様のお蔭で便利になっているのは事実である。車窓から眺めた吉野納税協会の看板の標語川柳にいわく、税金でこの道あの橋豊かな社会、と。こう素直に表現できるのは素晴らしい。
車の中で元ちとせのCDが掛かっていた。帰りにMangia Pastaとかいう店によってピザを食べた。
昨日だったか、海菖蒲の開花をテレビで見た。不思議な仕組みだ。
8日。昨日あたりから涼しくなってきたようだ。つくつく法師が鳴いている。鐘たたきの声もする。
写真の花は僕が小学校に入ったときに市が記念にくれた球根に今咲いているものです。と書いたものの、背景に夏の雲の写真を貼るのを優先したのでそちらはまたの機会に。
't Hooft の経路積分は難しいというlecture noteが公開されていたので読んでみる。
7日。澄んだ青空に白い雲。いかにも夏だ。夕方に庭に水を撒く。
住基ネットは、自前でネットワークを引いているのだろうか。防衛庁はおそらく独立したネットワークを持っているのだろう。なんにせよ金のかかる話だ。
6日から大阪へ。東京よりはるかに暑い。まったく暑い。本当に暑い。大気が濁っていて富士は見えなかった。
5日。すこぶる蒸す。昼ごろから学校へ、学割を発行しようとすると前の人で機械が故障。珍しい。
夕方からKが出てきたので、昼にずっとうまく行かなかった計算を聞いてもらってしばらく考えると、(相対論的)ピタゴラスの定理で計算ミスをしていたのであった。でた結論に二人で感動していた。
夕食から帰ってくると建物の前のオシロイバナが香る。
4日。朝から曇っていた。散髪に行く。自転車を走らせていると8月とは思えぬ涼しさである。
夕食後に雷雨が通った。稲光の明るいこと。路地の地面まで明るくなる。バケツをひっくり返したような雨がしばらく続く。
取り立てて何もない平穏な一日。