27日(日)。休日なのに朝から大学へ行く。しばらく誰も居なかったが、徐々に人が笛、夕食はいつもの面子で根津の和幸に。なんだかとても眠くなったので電車で帰った。
28日(月)。昼前に散髪に行こうと思うも、思い立った日が定休というよくあるパターン。滞納していた新聞代を販売店に納めに行く。コンビニで振り込める用紙、期限が月末になっていていつもつい払いそびれてしまうのだが、何でも形式上期限が書いてあるのみで、過ぎても払い込めるとか。大学へ行く。深夜、アメリカのW先輩と国際電話で議論。
29日(火)。朝になって日が昇ってから帰宅。朝食をたべて眠って、夕食前に起きる。すぐにまた日付がかわって寝るというわけのわからぬ生活。
30日(水)には帰省する予定だったものの、以上のような始末でうまくいかぬ。朝から雨がざざぶるなか理髪店へ。こんな時間にいったのは始めてだったら空いていた。シャワーのお湯が出なくなるトラブルあり。夏だからよかった。その後昼から大学へ、いろいろ議論。
23日も健康的に朝方から大学へ出る。昼は最近できたのか、本郷通り沿いの坦々麺屋さんにFKと入ってみる。夕方家に帰ってぐうたら眠る。
24日はぐうたら眠りすぎて、目が覚めるともはや夕方だったので学校をさぼってしまった。
25日は昼前に大学へ行く。この日も昼は坦々麺屋さんに行ってみた。
26日もぐうたら眠りすぎ。目が覚めるともはや夕方で…と繰り返すのも馬鹿らしい。生活が1.5日周期になっているので、なんとか戻さなければ。そのせいで週に一度しなければいけないことになっている実家への電話が出来ませんでした。どうもゴメンナサイ。
さて、その坦々麺屋さんなのだけれど、中華らしからず店内が非常に小綺麗で、音楽にはチェンバロがかかってなんか居て、もっとも不思議なのは店長らしき人が初老の紳士然としているのだ。店内は10席ぐらいで、昼時に行くと列が少々できるぐらい。流行ってはいるのだろう。問題のお味も上品で、こないだ大岡山で食べたのとはまた別であった。
21日は振り替え休日で僕も家でぐうたらでした。
22日にかけてはつい徹夜。朝から大学へ行って、昼の3時頃までいて帰ってくる。あいかわらず涼しくて夏だとは思えないものの、構内や道ばたの花を見ているとしっかり夏なのであった。百日紅、夾竹桃、オシロイバナ…
20日には蝉もミンミン鳴いていた。まだ一匹孤独に鳴いていたけれどもね。
19日はぐうたら。雨は降らぬが湿気がすごい。この日はまだ涼しい。
20日は昼過ぎ起きだす。久しぶりに注文したCDが届いてから、お掃除洗濯。ひさしぶりに乾燥機にしたので具合を間違えてすこしく服を縮めてしまつた。馬鹿だ。その後秋葉原経由で大学へ。秋葉原ではノート用の液晶保護シートを買う。貼るのはむずかしい。
大学では丁度みなさまが夕食に行くところに間に合う。
さて、かえりがけにFKとうどんそば屋。僕はざるそばを一枚喰らう。販促に見事に乗せられて通っている。とうとう湯のみを手に入れた。ずっしりしてなかなかよい。
アメリカにいったポスドクの先輩からFKに次々指令。
CDはS.Richterによるバッハの平均律曲集。数日前ふと平均律を聞きたくなったが、そういえば貸したっきりで手元にないので別のピアニストのを買ってみた次第。
18日。昼過ぎに大学へ向かう。雲行きは怪しいものの傘を持たずに出かける。
エレベータに乗ろうとするとS教授に「談話会に出てね」と声をかけていただいたので出席することに。力学系の蔵本先生のおはなし。ソリトンといえば芯では振幅が小さくなっているものだが、螺旋運動を自然に出すような力学系で、芯でも振幅は一定を保ったまま位相が激しくかわることを選択するモデルがあるという話と、それの平均場近似による理解。
その後学科の夏休み前ビアパーティに出席、このころから雲行きが怪しくなってくる。ひとあめ降って上がってから家に向かった。
これこれこういう背景があって、こういうことをしたいのですが、と先輩に話を聞いてみると、なるほどそれでやっと動機が分かった。と論文を紹介してもらった(Alexandrov, Kazakov and Kostov, hep-th/0302106)。
17日。集中講義最終日。先生の最近の話を紹介した午前の分は居眠りしてしまった。非常に勿体無い。
本郷にもどって勉強など。戻ったとき丁度セミナーが終わった模様、外国からいらっしゃっていたのだが、すぐさま秋葉原へお買い物へ。世界的に有名だというのは本当のようである。
DVのU(N)の体積云々というのはこれまで眉唾だと思っていたが、どうもそうでもなさそう。
16日。本日は朝から大岡山。なかなかまとまって聞ける機会のないしかし重要そうな内容だから、集中講義にPDやら博士課程の方やら沢山あつまっていてびっくり。集中講義ってそういうものでしたっけ。
お昼は駅前のある程度有名だとかいう坦々麺屋さんに入る。不思議な香草の味。辛いがうまい。それほど辛くないだろうと調子に乗って大辛を注文したFKがひどい目に。
夕方講義が終わって、今日は飲み会に行かずに本郷に戻って論文を印刷して家に帰る。そろそろ寝ます。
テレビ電話用のカメラを買おうかと思うも、いろいろ種類があっていろいろ考えないといけない模様。値段はほぼ2種類で、5千円もしくは1万円といった所らしい、せっかく買うときにケチるのはいかがなものかと思うものの…
ペットボトルで何も考えずポカリスエット系のものを買って、一口含んだ所、どうも酸っぱいと包装をみたところ、果実酢が3g入っているのが売りの商品であった。やられた。
日記がとどこおりがちでいけませんね。12日の土曜日は昼頃から学校にいったはず。夕ご飯はいつものようにアザレアに。よる遅く帰ってきて夜更かししたので13日の日曜日は学校をさぼった。昼間に散髪に行くつもりだったが、目が覚めたらまた夕方だったので散髪すらいかなかった。総じてぐうたらな休日。
ここ数日は7月とは思えない涼しさで、上にはおる長そでが欠かせない。電車の冷房はえてしていつもどおりだから、少々冷えるほど。
最近は海外へ進出中のポスドクの方が戻ってきていらして、非常に勉強になる。以下もそのような記述ばかりだと先に断っておきます。
14日の月曜日は夏休み前最終の定例昼食会。特に議題はない。後半のinformal seminarはFKによるKlebanov-Wittenの"Proton Decay"の紹介。はじめintersectingの量子化をきちんと発表しすぎて先生に「もうちょっとおおざっぱでいい」と横やりが入ったものの、非常に分かりやすい発表でとても為になった。いろいろ研究室のコンピュータ関連の買い物にいったあと、Tさんのセミナー。
夕食後に、FKがアメリカに行く先輩と議論できるように買ってきたテレビ電話セットを設定してみる。といってもカメラをUSBに刺してインスタントメッセンジャーを設定するだけだから簡単だ。僕もマックに設定してみたものの、使ったメッセンジャーソフトがβ版で画像は送れるが声は送れないという悲しい状態。それだけでも面白いけれど。
夜にうどん屋によって帰る。6回ある商品を食べればもれなく湯飲みを進呈ということで見事にのせられている。
15日の火曜日は、大岡山で小西先生の集中講義ということで出かけてくる。Shifman-Vainsteinや先生自身の仕事のレビュー。なかなか聞けないコアな内容でよし。本郷まで地下鉄一本でもどると、サロンの黒板でTさんが最近出した論文の解説会が即席で開かれていたので後ろに控えて聞いていた。いろいろ懸案も質問できて良かった。
あとは物理の話。会議が始まる一ヶ月前ぐらいから講演のタイトルが少しずつweb pageに明かされていたときにはtachyon/Liouville関連が少ないなぁと思っていたのがいやはや、ギリギリまでTBAだった皆さんが一斉に同じ話をしたので少々食傷気味だった。講演者数人が共著論文をそろそろ出すとか。
その論文だけれども、なんと Takayanagi さんが Harvard のポスドクの人と同じネタをやっていて3日目だったかに preprint archive に出ていたのでびっくり。0日目の pre-registration のときに Takayanagi さんが Klebanov と話していて、同じネタで大御所多数が論文を準備していると聞いて驚いているのを横で聞いていたのだが、こんなに素早く出るとは。厳しい。本郷の皆様も Liouville 勉強会などしていたけれども、この調子ではそろそろ刈りつくされてしまいそうだ。
Dijkgraaf先生 の talk はとても興味深い。まだ論文にしていないアイデアが満載であった。いつもの気の効いた挿絵も唸らせる。僕にも絵心があったらと思う。
Vafa 先生の talk では Berkovitz-Ooguri-Vafa がアナウンスされた。Schwarz,Volovich の talk などかんがみるに、 AdS/CFT を(何らかの意味で)導出してしまおうという動きであるか。
紐理論は70年台、'84、'94と革命を繰り返してきたけれども、次に'04に新たな大発展が来てくれるとは勿論限らないわけで…数人の講演者が joke 気味に述べていらっしゃったけれども。ただ、 Gross の closing remark にあるように。NEVER, NEVER, NEVER, NEVER, NEVER GIVE UPということだろうか。
6日から11日は京都でStrings2003に出席。日本で開催だからM2だけれど参加してみた、といったところか、参加者はポスドク、スタッフが主。各講演者のtalkの感想をこまごまと書くのはU君がすでに掲示板でやっているのでそちらに任せて、大まかな記憶をたどってみる。
会場は宝ヶ池そばの京都国際会館、コンクリート造りではあるが遠めには神社建築風だった。丁度梅雨の終わりごろで、周囲の山にいつも霧がかかっていて、多少蒸すもののみずみずしさが良かった。庭園も散歩して気持ちが良い。
講演は丸一日丸一日半日、丸一日丸一日半日と周期的に組まれていて、1日目と4日目に会場で夕食(Reception/Banquet)。2日目と5日目は海外から戻ってきている本郷出身の皆さんと食事に。3日目の自由時間、Kは先輩と計算中であったが僕とNBは観光に出かける。といっても清水寺から祇園にまわってふらふら歩いただけだけれども。河原町でトンカツ屋に入った。
清水寺のお茶屋さんでトコロテンを食べる。黒蜜で二人分というと、出身地を問われる。観光客が多いものだから、京都なのにお酢のほうが売れるとか。
最終日は市民講演会をすこしだけ聞いて東京まで戻ってきた。平日なのでそのまま大学へ出る。中央線でお茶まで、あとはバスを乗ればキャンパス内の奥まで運んでくれるので有難かった。よく考えると、京都に出かけてお祭り気分だったけれども、世間はずっと平日だったわけで。確かに毎朝烏丸線でラッシュに巻き込まれていた。
計算機環境に関連して。講演会場のPCルームが5日目にウイルスにやられたのは残念だった。etherのポートも数箇所あって、手持ちのノートPCを繋げた。Grossが15"のPowerBook G4使いであると判明。他に17"のPBを見せびらかしている人も居た。東京で谷中カフェまで行ってアカウントを発行してもらって望んだNGO提供の無線LANのほうはといえば、結局国際会館内ではつなげずじまい。京都駅のカフェでは何とか使えたのであるが…Uの泊まったホテルはadslの無料サービスがあったらしい。
2日。PDのYさんにさんざん議論していただきました。
3日。昼前に起き出して、微妙に曇っているものの洗濯。京都行きの服がないのでどうしようもない。Liouvilleゼミの終ったころに学校に到着。その後は朝までいろいろと議論など。
4日。きちんと8時間睡眠をとったのち夕方からすこしだけ大学へ、学割をとるなどいろいろ雑用。10時ごろ帰ろうとすると、工学部で勉強会によばれて京都からでてきていた某が帰りの夜行バスを糊過ごしたというので家に押しかけてきた。夜遅くまでビール片手に語り空かす。
5日。朝から関西へ移動。F荘と東京駅のアジア風カフェで朝食、ベトナム風サンドイッチを頼むとドレッシングに唐辛子が利いていて目が覚める。
ひとまず大阪駅まででて家族と食事に行く。その後京都に戻ってプレ登録へ。歩いていると韓国へ行っているHさんに再会。
とまるビジネスホテルは、「旅の窓口」に出ていた宿泊者の声を調べて選んだだけあって非常にまともであった。めでたい。