問題を他の方向から攻めるべく試行錯誤中。
汚い話で恐縮ですが、研究所の木立の木陰のベンチに座って、青空の下考え事をしていると、烏の糞にやられた。見事に頭の上に命中して、服に被害がなかったのが不幸中の幸いか。今度からは上に鳥がいないか確認して座ろう。
今日は計算を繰り返してみたが矢張うまくなかった。しかし AdS/CFT がこんなところで間違うことはあるまいから僕の考えが浅いのだろう。うじうじノートで計算していたらひとつトークを聞き逃してしまった。M.ヘドリックさんが Ricci flow の弦理論への応用を話した筈だ。
夕方は研究所の芝生でピクニック。こちらでピクニックというのは屋外グリルで何でもかんでも焼いてむしゃむしゃ食うというものらしい。二回目なのでどの程度材料を持ってくれば良いかの見当がついたので鱈腹たべた。他の人の議論を聞いているふりをしながら僕は食べてばかりだった。隣に座ってきちんと議論に参加していた I さんが、ピクニック終わって「僕あんまり食べてないんだけど、君は?」というので「食べましたよ。気付いてませんでした?」というとほんとに気付いていなかったらしくびっくりしていた。
夜はシュワルツ大先生のおうちに弦理論ワークショップの人が皆呼ばれてデザートパーティということだった。ほとんど半神ともいうべきシュワルツ先生なのになんと気さくなことか。
お暇して宿に向かうときの星の綺麗だったこと。こちらに来て夜は暗くなる前に帰って出歩いていなかったので、こんなに美しかったのに気付いていなかったのだ。天の川を一年ぶりぐらいに見たように思う。
兎に角今回のアスペン滞在は I さんと親しくなれただけでも有意義だったと言えよう。まだ半分しか終わっていないけれど。
研究所に割り振ってもらっている部屋が移動した。徐々に人が減っているので、一つの建物にまとめつつあるそうだ。トークは Dabholker さんの話。何故 genus 2 なのかはやはり何だかわからない。
自分の計算はやっと突破口が見つかった... と思って喜んで宿にもどって、夕食をとってから反省しているとやはりまだ駄目なことが判って残念な気分になった。
週末を満喫しました。満喫していて良いのかという気もしますが、まあメリハリを付けるということで。
夏のあいだはハイキングの名所ということで、金曜日のうちに秘書さんにお勧めの場所を聞いておくと、栗色池(Maroon Lake)は見逃せないとのこと。 Iさんと自転車で栗色川通(Maroon Creek Road)を行ってみることにした。栗色川通りは、きちんと舗装されている上に、かつ観光用の30分毎のバス以外は基本的に車が禁止されているので、サイクリング道として著名だそうだ。
土曜日は多少天候が悪く、道程の八割方進んだところで雨が降り出して断念。バスに拾ってもらって Aspen まで戻ったら天候が徐々に回復してきたが、晴れには至らず。研究所で暖かいものを飲みながらしばらく雑談して、宿へ帰った。
少々休憩して、小雨のなか街へ買い物へ。Keith Jarret の CD をまた購入してしまったり、自転車で手が寒かったので手袋を買ったりした。手袋は良いものを船便に入れてしまったのだが、こんな8月に必要になるとは思わないだろうから仕方がないか。プリンストンは寒かろうから良い手袋が二つ会っても良かろうと思って少々マシな手袋を買った。歩いていると判るのだが、中心部はブランドの直営店に占拠されている観がある。 GAP はともかく、GUCCI や Louis Vuitton や BVLGARI やらの直営店が沢山ならんでいる時点で Aspen がなにかおかしな町であることを意味している。歩いているのは白人ばかりで、アジア系は研究所に滞在中の我々ぐらいなものだ。あとはヒスパニックの皆さんがお店や工事現場で働いていて、全くといっていいほど黒人が居ない。
日曜日は天候が回復したので I さんともう一度栗色川道に挑戦した。Google Map ではこのような道程。 15km で 500m登るという酷い勾配なので、Iさんと二人でひいこら言いながら歩くぐらいの速度でのんびり自転車を漕いでいると、どんどんと他の自転車の皆さんに抜かれていくのが情けなかった。二時間半ぐらいで何とか到着す。栗色岳(Maroon Peaks)の見事なことはすべての疲れが吹き飛ばすようだ。栗色池ちかくで昼食、写真をとりつつ一時間ぐらい休憩。散策すれば楽しいのだろうがその元気は無かった。
池端で休憩しているときに研究所の他の参加者に会ったのだが、曰く「君らも自転車で上ってきたのか?僕ら毎週月曜と水曜は朝の10時からこの道をサイクリングしているんだ。参加を歓迎するよ。」我々が、どうも僕らにはきついようですと答えても、参加を歓迎するよの一点張りだった。研究前にそんなことの出来る彼らのタフなのは驚くべきだ。
帰りの下り坂の快適なことはえもいえないが、切る風が冷たい。手袋を買って正解だった。途中立ち止まって渓流の景色を楽しむ。ビーバーの巣らしきものも見た。麓の研究所まで一時間ぐらいで到着したと思う。境界のくっきりした雲が空を半分ぐらい覆っていたので、山肌に映る光と影の美しいこと。自転車を走らせていると、目前にその境界がやって来るのが見えて、ああそろそろ日が射すと思うと太陽が降り注ぐのが面白かった。
その後もういちどピアノの展示即売会に行ってきた。あまりに気に入ったので Aspen 音楽祭記念のピアノの写真を撮った。弦の張ってある下の共鳴板のところに50周年記念と(写真が拙いのでこれではきちんと読み取れないが)書いてある。非常に高そうだのに、この二日のうちに買い手がついていたのが矢張 Aspen という街の何かを伝えていると思われる。どのピアノも試弾可とのことだったが、スタンウェイは恐れ多いので触れず。Bostonのピアノがあったのですこし弾いてみた。インヴェンション14番をつっかえつっかえ弾いていると、老紳士が来て、それはバッハかい?良いねえ、美しい。と言ってくれて僕は嬉しかった。
あとは宿でのんびりだ。
今朝も雲に覆われてしとしと降って、いつものように屋外でセミナーをやるのは寒いからというので屋内になったぐらいだったが、昼過ぎから天候が回復、青い空に流れる雲が綺麗だった。夕焼けも素晴らしかった。
トークは Gauntlett さん。11次元超重力の1/4BPS解の話だが、技術的過ぎず大ざっぱ過ぎず、非常に判った気にさせてくれるトークで感激した。これで論文を印刷しても読めそうに思える。Ypq を彼らがどのようにして発見したかも聞くことが出来た。
自分がやっている計算はどうもうまく進まない。休むに似たりだ。
研究所の隣には Aspen music tent とかいう、夏の間音楽祭をやるテントがあるのだけれども、丁度僕がこちらにくるまえに音楽祭自体はおしまいになっていた。さて、今日、計算もうまくいかないのでふらふらと草むらを散歩しているとテントのほうからポロリポロリとピアノの音が聞こえたので吸い寄せられてみると、テントの中でスタンウェイの展示即売会をしていて、そこで調律をしているのであった。アップライトから、いろいろな装飾をしてある可愛いピアノまで並んでいて、しばし時間を忘れた。アスペン音楽祭50周年記念というピアノもあった。黒く塗っておらず木目を出したまま仕上げてあって、譜面台には違う色の木を嵌め込んで木の葉の装飾が飾らない雰囲気に入っている...
今日はお昼の時間に Shenker さんに「まだ会ったことないよね?」と話しかけてもらって嬉しかった。功成り名遂げた方なのになんと下っ端に優しいことか。指導教官は E 先生ですと伝えると、Chicago のときから友達だよとのこと。午後はその Shenker さんの Colloquium。コロキアムは同時に走っている他のワークショップの参加者のためにこちらのワークショップの内容をわかりやすく伝える、という目的のものらしいが、昨今の状況において超弦理論を研究するとはどういうことかというテーマで聴衆の反応も活発だった。第一革命の興奮を知っている彼などからすると現今の状況は多少不本意なのであろうが、聴衆の若手弦理論屋やら現象論屋さんがむしろそれほど悲観/卑下する必要はないと反論していたのが面白かった。フィロソーフィカルに過ぎると言って出ていった年配のかたも居たが、僕には楽しめた。
雲が流れてきて雨が降ったり止んだり。山の天気なのだろう。
昨年 Santa Barbara に居て常時 workshop だったので、随分沢山の string 屋さんに会ったと思っていたが、今回は少々毛色の違う内容の workshop に来てみたので、まるで誰が誰だかわからない。皆さんの楽しそうに議論しているのを聞いていると自然とやる気がでる。気候と景色が素晴らしいのもあるだろう。
昨日は Roberto Emparan, 今日は Eric Gimon のトークがあった。内容も面白いし、聴衆の議論も詳細に陥るのではなく物理が議論されていて聞いていて楽しい。むしろあのように理解したい、議論したいと羨ましいところだ。僕自身はしようしようとおもってやっていなかった計算を机に向かってはじめた。折角ここにいるのだから、議論にもっと参加しないと勿体ないのかもしれないけれども、下っ端なのでまあいいのではないかと思う。
昨日の夕食は研究所の庭にみなで肉をもちよって BBQ。火曜日はそういうものらしい。今晩はメキシコ料理屋で Fajita を食べた。$17 ですこし僕には高い気がするが、量がすごいのでお腹が一杯になった。
徒歩通学だったところ、昨日自転車を借りたら、却って時間がかかるように感じた。歩いているときは、見慣れない風景のそこここを楽しみながら行くので遠くても時間を感じないが、自転車だとどうも速く辿り着くものという先入観があるところに、それほど近いわけでもないから時間を余計に感じるようだ。
20日は朝起きて京成ライナーで成田まで。警備が厳重になっていて、アメリカ行きだけ搭乗口の直前でもういちど手荷物検査がある。ちょっと過剰ではないかと思った。その後9時間かけロサンゼルス、そこで乗り換えてアスペンであるが、乗り換え時間6時間もあった。大変なようだが、時差のお蔭でかなり眠ったのでたいしたことはなかった。到着すると非常に疲れたが、部屋も気持ちよいところだ。
21日は朝起きてシャワーをあびて、研究所へ。のんびり時差と闘う。部屋にいると眠ってしまいそうになるので青空の下ベンチにすわってがんばって起きていた。SさんとIさんがいらっしゃっていたので安心だ。夕食は Asie という中華料理屋に。おとなしい味でなかなかよかった。その後は S さん宅にお邪魔して談笑。
アスペンを日本のひとに説明するなら、アメリカ化された上高地というところだと思う。空気も澄んで、空も青く、風は涼しく、長袖でちょうどよいぐらいで、温かいコーヒーがおいしいぐらいだ。勿論ヨーロッパ系のみなさんは半袖半ズボンなんだけれども。
以上すこしずつ書きためてあったものを追加しました。
14日はあつい一日。朝は東京の広い域で停電だったらしいが、文京区は大丈夫だったようだ。ほぼなにもせず家でぐうたらしていたと思われる。多少本棚を破壊したり、段ボールにつめたり。夕食はココイチでカレー。
15日から母が東京に引っ越しの手伝いに来てくれている。朝から晩まで片付けていると床の踏み場もなくなった。夜は池袋の西武の上で食事。
16日は朝から小雨の中、粗大ゴミを階下におろして区に引き取ってもらった。その後すこし寝る。昼から大学に荷物を取りに行って、船便の段ボールへつめる。相変わらず腹の調子が悪いのをみて、母が料理をつくってくれた。粗大ゴミを捨ててしまったので家では眠れないので、大学近くのホテルへ移動。
17日は朝から家に出勤。母が先に来ていてガスの閉栓に立ち会ってくれたらしい。その後冷蔵庫の回収、昼から船便の引き渡し、昼食に行ってあとは母と別れてまたホテルに。大学に行こうかと思っていたが結局ホテルの部屋で休憩してしまった。晴れたり降ったりよくわからない天気だが、船便を出す前後に日が射していて、地面も乾いていて良かった。夜はずっと稲光である。お茶の水の大戸屋に行く。
18日も暑いなか朝から家に出勤、大家さんに部屋を引き渡す。そのまま僕は大学へ。Y先生の超対称ゲージ理論講義があるが、書類があって参加できないでいたところ、西島先生と食事をするぞとボスが来たのでご一緒することに。本郷に長年居てはじめて松本楼に行く。(以前コーヒーだけ飲んだことがあるはず。)丁度薬膳カレーなるものがあったのでいただく。確かに胃に良さそうだった。西島先生にいろいろ昔話を伺うが、先生が IAS に行ったときはちょうど宿舎が出来たところだったとか、オランダから貨物船に数人だけ乗せてもらって大西洋を渡ったところちょうど Chevalley が載っていて碁を打ったとか、港に着いても貨物のターミナルなので足が無く、船に野菜を運びに来たトラックの運転手に掛け合って町まで乗せてもらったとか、ニューデリーの空港でタクシーを拾ったら運転手に加えて助手席と隣にひとりずつ人が乗っているのでこれはやられたかと思ったら、それぞれドアが外れないように抑える役立ったとか、涼しい顔で凄い体験をいろいろ語ってくださった。夕方まで大学に居る。
19日は大学へいって雑談したあと、東京まで出てきてくれた祖母と合流。汐留のホテルだが非常に良い。こんなものにとまったのははじめてではないかしら。大江戸線で大回りしてきた。兄夫婦も出てきてくれて一緒に食事。美味しい京料理だった。
さて、その食事のはじめ、お酒はどうする?と聞かれたところで、強くないから旅行の前日には飲みたくないので... と言ったところ、兄が「旅行じゃないだろう」と一言。はっとした。そういえば、こないだ実家に帰って石切さんにお参りしたときのおみくじが全般的に吉だったが遠方への旅行は宜しからず、とあったところに、父に「旅行じゃないだろう、だから大丈夫だ」と言われたのだった。
12日は電子ピアノがK君のところへ運ばれていった。運送屋さんの手際のいいのに驚く。丁度サイズにあった、ゴムの通してあって伸縮する筒状の毛布をいくつかもっていて、それを沢山かぶせて、一瞬で運ばれていった。その後俄に空が掻き曇り、遠雷が聞こえる。傘を持って散髪屋にいって髪を切ってもらっていると土砂降りになるが、ちょうど終わった頃にはあがっていて、結局傘を開く必要がなかった。大学へ行って雑多な文書をスキャンす。夕食はインドカレー屋へ。
13日はベランダの掃除をする。夕方からはK君のご両親にお呼ばれしてご馳走になった。こんなにも暖かくしていただいてお礼の言い様もない。
相変わらずの手続き遅れで関係各方面に多大なご迷惑をかけて情けなく泣きたくなる。一日精神が不安定だったが、夜大学から戻ってきて汗を流しながら家の片付けを進めていると気分が晴れた。
情けなくなった以外のトリビアルな用事としては、郵便の転送願を出した。
昨日は台風が朝のうちに抜けていった。雨の中洗濯す。帰省前に洗わずほうっていったので週の途中だがどうしようもなくなったのだ。その後はソフマップに五年前のパソコンを売りに行った。数週間前に捨てた、付属のマニュアル, CD 類のせいで評価が1万円さがるというので、PC 自体は預けたまま家をもうすこし漁ることにする。その日はそれであきらめて大学へ。そのころには雨も止んで美しい夕焼け。家に戻ったら、段ボール箱を組み立てて本を詰めてみる。25kg 以下にせよとあるがどんなものかわからぬ。
今日は台風一過、暑くなりそうだと思った。が、一日終わってみて思うに、雨で東京の建物や地面が冷えていたのだろう、それほど暑くならなかった。街を渡る風も涼しかったといえよう。ソフマップには発掘した付属の Office と 外付け CD-ROM を持っていった。合計 9900 也。秋葉原2往復の甲斐があったか。まあ金を払って家電リサイクルに出すよりは余程よかろう。
大学では、以前本郷にいらした M さんのセミナー。5次元の場の理論の話をするスピーカーの際毎回議論になるところでまた議論になる。夕食はピグ。
家に帰って、大家さんに体重計を借りてみたら、満杯に詰めた段ボールで 30kg だった。多少本と文房具とをまぜて詰めないといけないらしい... それとも総重量を箱数で割って 25kg ならいいのだろうか。
パスポート、DS-2019等渡航書類を見る必要があって、しまってある引き出しを空けてみると見当たらないので顔面蒼白になって探し回ったら、いつも持ち運んでいるカバンに入っていたことがわかった。どうも国際免許をとったときに一式を持っていったあとずっと持ち歩いていたらしい。まあどちらが安全かはわからないが、兎も角みつかってよかった。
イギリスでテロ未遂。
7日は異常に暑かった。朝からピアノの運送の詳細を詰め、粗大ごみの引き取りの予約を入れ、ガスの閉栓手続き、区役所の種々の用事をすませ、大学へ。
途中で家を出入りしているときに丁度新調したスーツケースが到着した。以前のものより一回り大きかったことが判明した。購入したお店が広々としていたから見間違ったようだ。以前のものの時はいつも満タンになって四苦八苦していたから丁度よかろうと思う。
大学でも少々手続き。これだけ一度に事務的な用事を済ませると非常に精神を消耗した。別段たいしたことはやっていないのだが、どうも嫌いなのだ。普段の暇な大学院生の時は一日ひとつ以上はしないようにしていたのだが... しかしそんなことをやって毎日 procrastinate していたのでいろいろまわりの人に迷惑をかけることがあったのだから、今後は用事が出来た度にその日に済ませるようにしないといけない。あとは IAS での summer school から帰ってきた N 君にいろいろ話を聞く。
7日の深夜から8日朝にかけて雨が降った。お蔭で地面が冷えたのか、今日は一日涼しかった。自転車を漕いでいるあいだも風が涼しい。到着して降りると汗がにじむが、すぐにおさまる。今夜はクーラーがいらなさそうだ。
今日は電話加入権、ADSL、家電リサイクル、水道、電気の解約。これでほぼ引越以前にすべき準備は終わったのではないかと思うが。大学へいっていろいろと雑談。早めに帰ってきて、徐々に粗大ごみを処理しはじめる。組み立て式本棚を解体したりす。
以下 Apple 話。昨晩は WWDC で Steve Jobs の Keynote、のはずだったが、半分以上副社長数人に発表を担当してもらうという、Jobs の Apple 復帰後おそらくはじめての事態。一昨年良性膵臓ガンがみつかって手術したあと回復したはずだったが、また悪くなってきたのではないかと噂されていて、ファンとしては悲しい話だ。それは兎も角、Time Machine という機能は面白そうだ。また、Objective-C に garbage collection が追加されたという話。
さて、昼前から新大阪へ向かって東京へと戻る。祖母が新大阪まで送ってくれた。美々卯で鴨なんばを食べた。新幹線は偶然レールスターとかいうものだった。さて、静岡の辺りで車内放送が入って、「車内が暑く申し訳ありません。空調は最大で回転しておりますが、外気が暑く充分冷やせておりません。カーテンを閉めていただけるよう」とのこと。半分ぐらいのカーテンが閉まったろうか、その後は案外涼しくなったように思った。
家で休憩した後、大学へ。みなで夕食にいって、その後は居室の机の片付け。要らないものは捨てて、要るものは段ボールに詰める。小さな段ボール箱が一杯になった。自転車の前かごに乗せて戻ってくると非常に暑く汗をかいた。
昨日は朝は叡福寺までお墓参りに行ってきた。叡福寺は聖徳太子の古墳のまわりにお寺が整備されてあるもので、お寺なのか宮内庁の施設なのか判然としない。境内の木陰は涼しいが、墓地は炎天下で遮るものが無くあまりに暑い。熱射病になりそうだ。駐車場近くに最近整備された公園のようなものも散策しようとしたが暑さのため数歩で断念。造成で破壊された古墳の石室ばかりならべてある公園だ。
今日は一家で石切さんまでお参りに行ってきた。なんだかここ数年でかなり改築したようで鳥居や駐車場が綺麗になっている。これまた暑いが、境内の木立が古いので涼しいのが有り難い。午後は従姉と叔父叔母、従姉の娘息子が来て大騒ぎだった。0歳の姪が殆ど泣かず笑ってばかりでかわいらしい。
とにかく神さん参りとお墓参りと、迷信深い一家であります。あとは毎夕の水遣りぐらいか。
すっかり夏だ。昨日は父が休みを取ってくれたので、二人でドライブがてら運転を見てもらった。家から南下して河内長野を回って、堺に出て仁徳天皇陵をまわって帰ってきた。休憩もふくめて2時間半ぐらいか。運転には徐々に慣れてきたように思うが、アメリカは右側通行なのであまりなれるのも良くないか。今日は朝ジャスコまで車の練習がてら言って、昼からは電車で街へ出て買い物に。祖母に記念ということでスーツケースを買ってもらった。これまで使っていたスーツケースは兄のお下がりで、(というよりは兄から強奪して兄に新しいものを買わせた気がするが、兎も角、)いろいろ持ち運んだ結果とうとう下の車輪が壊れてしまったのだ。
しかし毎朝の蝉の合唱はすごい。家のトネリコの木に蝉が何匹も連なっていて、下を通ると驚くかして僕におしっこをひっかけて飛び去っていってしまう。
さてこのところ基研で研究会があったらしいことを先ほど知った。九後さんのトークは聞くべきだったかもしれない。内容は5次元超重力の超共形形式のまとめだったらしい。まあいづれトラぺがあがるだろうからそれを楽しみにしよう。
本日は朝は、母に助手席に乗ってもらって車の運転の練習をしてみた。なんとか事故を起こさずに戻ってきたが、なかなか難しい。こちらの朝は蝉が庭の木に集まって大合唱だ。下から枝を望むと蝉の沢山いること。20匹は軽くいるんではなかろうか。
夜は PL の花火大会だ。打ち上げ場所にほど近いから、締めくくりに沢山同時に打ち上げるところでは空が半分真っ赤に染まるのがなんとも言えない。皆毎年そのフィナーレを楽しみにしているのが周りの人の会話が聞こえてくるのでもわかる。