Sep 28 22:22, Princeton

今日の昼食は少々遅れて行ったらいつもの机が満員で座れず、ひとりで寂しく食べた。

という以上の一文は後から読むと仮定が多すぎて意味がわからないだろうから説明を追加しておくと、こちらでは本郷などとは違って食事時に皆で集まって食堂に行くということをせず、皆勝手に行くのであるが、机が慣習的にこちらが物理、こちらが数学、あちらは天体物理というふうに決まっているので自然に皆と顔を合わせて食べるという仕組になっている。

まあ寂しく食べたといっても会話についていけず殆ど聞いているだけだからあまり変わらないのではあるが。

自然科学科のホームページが変わって綺麗になった。僕もまだ見たことがないような研究所の綺麗な景色の写真がランダムに表示されるので何回も再読み込みさせてしまった。

昼食後は LHC でのスピン測定というセミナー。夕暮は大学のほうでコロキアムがあったので行ってきた。土星の外部磁場の話。地球と違って磁気軸が自転軸と殆ど同じ方向を向いていて特異だそうで、軸対称性からのずれへ最も寄与しているのはエンケラドスの氷火山からの水蒸気が電離したものと磁気の相互作用からくる不安定性からくるらしい。まあそんな詳細は別にして、言葉回しの面白い先生だった。「この話はみんな知っておくべきだと思うんだよね、before entering the graduate school and studying more and more about ... less and less .」


Sep 27 23:57, Princeton

昨日今日は真面目に勉強した。昨日日記がなかったのは、家にもどって夕食を摂ると眠くなって寝てしまったからだ。夕暮れ前に家にもどって、あまりに運動しないのも行けないと思って軽くサイクリングに行ったのが良くなかったか。夜中に一度目が覚めたのだが日記を書く気にならなかった。

今朝は昨日復習した計算を TeX にまとめた。午後は数学のほうのセミナーにいってみるが難しくて挫折。今晩は新入生歓迎のパーティが食堂で有った。P. Goddard さんの挨拶はなかなか wit に富んでいた。「以前の所長の R. Oppenheimer は、その透徹した目で見つめながら、実り多い滞在でありますように、と言ったので新たに来た人は却っておびえてしまったぐらいだそうですが、私はそんな目は持っていませんけれども同じことを言いたいと思います」とのことで、頑張らないと。


Sep 26 00:06, Princeton

今日は風がすっきりとして心地よかった。すこしずつ秋なのだと思う。ほぼ時差は解消。

セミナーは サーシャ Z. さんで2次元の Coleman-de Luccia のような話。夕食は皆さんで Palmer square のインド料理屋に。参加者がトンでもない顔ぶれで恐れ多かったが、ここはそういう所なのだと言い聞かせて心の安静をはかった。

どうも最近ノートパソコンのスピーカーでは満足できなくなってもう少し真っ当なスピーカーが欲しくなった。そういうことを思うのは、東京にいたときよりも部屋が広くなったのが原因ではないかと思う。というわけでオーディオに詳しい友人に聞いてみたら、五万円以下のなんてどうせ大したことないのでデザインで決めたら?という助言だったので、それに従いたいと思う。


Sep 25 00:29, Princeton

今日も昼過ぎまで寝た。曇って雨がぱらつく一日、湿度が高く蒸す。長袖を着ようか着まいか悩ましいところだった。大学の生協に行ってみたが、まあこじんまりとしていてそれほど大きくもないようだ。東大みたいに何ヶ所にもあるのかも知れない。

懸案の延長タコ足コードを購入す。そこでは延長コードとしては売っていなくて、電圧急変動防止タップとしての製品しかなかった。繋いである電気製品が雷で壊れた場合の保険額がデカデカと箱に宣伝してあって、それによってコードの値段がきまっているようである。

夕食はまた E 先生のおうちでお世話になってしまった。一応先生の不調なパソコンの設定などしてきた。

United Airlines の話を追加しておくと、アメリカで搭乗する際には、前日に航空会社の方からメールが来て、インターネットで先にチェックインが出来、席の指定までブラウザからすることが出来た。鞄が一つだけだったから、空港ではカウンターに寄る必要もなく、持ち物検査に直接行けばいい訳で、非常に簡便だった。それにくらべて成田での搭乗は進歩が遅れていて、ネットチェックインは使えず、空港のカウンターもタッチパネルのチェックイン機を導入したのに一台ずつ案内の人がついて横から指図して入力させている状態だ。僕なんぞはビザ付きだから、途中で機械が音を上げて、結局会社の人に昔ながらのように入力してもらうことになった。まあ成田のターミナル入れ替えからあまり経っていないことでもあるし、あと半年/一年でもっとスムーズに変わるのではないかと思う。


Sep 23 23:45, Princeton

こちらに戻ってみると、多少時差を感じるがそれほど辛くはない。まだ日本時間に染まりきっていなかったのがよかったのだと思われる。今日は日本で買ってきた本ばかり読んでいたが、そんなこんなで買った本の半分ぐらい読んでしまったように思う。空港で買った、集英社新書の「死刑執行人サンソン」はなかなか面白かった。フランス革命期の死刑執行人の話であるが、種本であるところの本人の手記を読みたくなる。勿論、著者が僕のような素人にも判りやすく話を再構成してくれているから面白く読めたのであろうが、もっと詳しく知りたい気になった。どうも荒木飛呂彦の SBR での主人公の記述はかなりサンソンの手記を参考にしているのではないかと思った。

今日はナッサウ通り沿いの有機食品を売り物にしているスーパーで買い物をしてみた。家に近いというのが大きな理由であるが、入ってみると少々汚らしかった。大量に並んでいて回転が早いことに如くはないかと思った。

自転車で College St. を通るとリスが轢かれてぺしゃんこになっていた。可哀想だったが通り過ぎてしまった。あれだけ沢山いると仕方がないだろうが。そういえばこちらでは猫を見ない気がするが、どうだろう。


Sep 22 20:34, Princeton

きつねらあ〜めん。長年東京にいて、ニコライ堂を認識したのは初めてです。20060918(001)朝の急行に駆け込んでNYに行く通勤客。

長い間日記の間が開きました。主な原因は馬鹿な理由で日本に数日戻っていたからだ。

まず日曜は普通に家に居た。晴れた街を自転車で走ってみたりした。また、ふと思い立って Amazon の Unbox とかいうビデオダウンロードサービスで映画を見てみた。視聴権が一回 $3 なので、微妙なところだ。2001年宇宙の旅をはじめて見た。小説の方を読んでいないとさっぱりわからないだろうと思われる。夜は次の日からの用意をする。ホテルに歯ブラシなど揃っていることを仮定して荷物を精選して、かばん一つにまとめた。

問題は月曜日からだ。月曜は暗いうちから家を出て、プリンストン駅からニューアーク空港へ向かい、一度シカゴへ飛んでから成田へ。最近は離陸するとすぐ眠くなるように刷り込まれているらしく殆ど眠って東京まで着いた。成田の入国審査は経験したことがないほどの混みようだった。これは祝日を含んで三連休だったからだと思われる。研究室へ直行して、丁度出発から24時間ぐらいだ。みなさんと根津の和幸に行って新サンマ定食を食べた。この時点で日本は火曜の夜だ。

宿は御茶ノ水の聚楽。近くに東京グリーンホテルもあって懐かしい界隈だ... というのは、大学を受験するときにそちらに泊まったからであるが。宿はまあまあ広く、ネットも使えて悪くない。午前中は区役所やら大学やらでいろいろと事務用をこなす。いつの間にか敬老の日を過ぎてしまっていたことに気がついたので、本郷通り沿いの花屋さんに寄ってヒメリンゴの鉢植えを実家の祖母へ宅急便で贈った。時差が辛いが、すぐにアメリカにもどる予定なので眠気に逆らわず眠ることにして宿へ戻った。

木曜日は取り立てて用事がないのでぐうたらしていた。朝から大学へ行って、食堂で食事をとったら眠くなったのでバスでお茶の水まで戻って宿で寝る。あとは神田の本屋街に行って本をみて、夕食に行って、という具合。すっかり東京も秋になって、金木犀の香りがほのかにするので探してみたり。キャンパスの銀杏も早いものではギンナンが足下に落ちて特有の臭いを放っている。

金曜も朝から大学へ。本を買ったり、書類が増えたりしたので一部を大きな封筒に入れて航空便で送った。あとは上野から成田へ、また UA で今度は JFK まで。飛行機の乗り継ぎが一度減ったので随分楽だった。午後4:20に離陸で午後3:20に着陸、9時間ぐらいは寝たと思われる。あとは電車で Penn Station まで行ってそこから急行で Princeton まで帰ってきた。

United Airlines について一言書いておきたいことには、エコノミーの食事があまりに不味い。例えば、ランチに焼きそばが出た。日本で食べる焼きそばそのままだったのでそういう点では悪くないのかもしれないが、そんな油こいものは個人的には困った。また、フライト途中に三食でたうちの真ん中がカップラーメンだったのは宜しくない。おまけに「きつねらあーめん」と書いて有って、首をかしげて三分待つと、確かにキツネうどんの出汁にインスタントラーメンの麺が浮いたものが出来たのもいただけなかった。うまく便を選んで、今後は共同運行で担当が ANA の便にするのが身のためだと思った。


Sep 16 23:52, Princeton

リスが二匹けんかしていました。

昨日は雨模様。 M さんと一緒に E 先生のおうちにお呼ばれしておいしい夕食をご馳走になった。7時ぐらいから始まったのに、何故だか雑談が盛り上がって気がついたら日付が変わってしまっていたので慌ててお暇した。庭を歩いていると鹿の家族がとことこ歩いている。このあたりはリスも沢山いる。夕方はヒグラシが鳴いているような音がしたが、よく似た音を出す虫がいるんじゃないかと思う。

今日は昼までぐうすか寝る。久し振りに晴れて気持ちが良い、と思っていたら雲が出てきて困るが、雨には至らず。川沿いに大きなほうのショッピングセンターに行ってきたが、あまりに広くて閉口した。サンタバーバラの大学近くのセンターの5倍ぐらいの広さが有るんではないかと思われる。いま地図で確認したら 1km 四方はあるようだ。おまけにこちらはそもそも自転車を結わえ付けるポールが立っていなくて、そもそも自転車で来ることが考慮されていないようである。川は森の中を通っていて歩道があって皆さんサイクリングやジョギングをしている。波の無い水面に木々が映って美しいのだが、4キロ同じ風景が続くので飽きる。なにより湿度が高くて閉口した。もうすこし秋になれば楽しかろうが、冬になるととても自転車では無理だ。

ボーダーズで本を購入。スーパーは西海岸のO157騒ぎの余波でサラダのホウレンソウが棚から消滅していた。


Sep 14 22:10, Princeton

今日は雨模様。雨が収まるまで家に居たら11時ぐらいになった。研究所では論文を読むがあまり身が入らず。

午後は大学のほうでコロキアム。アメリカの素粒子実験業界はどう進むべきか?という話で、政府の諮問委員会のトップの経済学者の人が政治的な話をする。「アメリカがこの業界で指導的位置を失いつつある。どのようにすれば leadership を回復できるか?」と臆面もなく言える心意気が不思議だった。何に関してもアメリカが一番でなければならないのだ。それを僕のような外国人が聴衆として聴いているのだ。

そのあとはセルジオとアントネロと夕食に行った。なぜか日本食に入ることに。アメリカの日本食はアメリカ化されていてあんまり、という話をすると、全く同じことをイタリア料理に対しても思うらしい。彼らはもっと徹底していて、こちらではイタリア料理屋なぞ決して入らないそうだ。(英語がきちんと聞き取れていれば、)鳥肉をパスタにかけるなんてのはあり得ないと言っていたように思う。

というわけで今日の午後は大学近くで過ごしたわけだが、そうしているとプリンストンも案外人がいる賑やかな側面もあるのだとわかる。森の中の研究所にいるのとは大違いだ。


Sep 13 23:19, Princeton

Nassau 通りのお店です。

今日は F D 先生が歩いているのを見た。G 先生にすこし話を聞いてもらえたのも良かった... というあたりまでが午後のお茶の時間までの話で、その後は銀行へ口座を作りに行く。

丁度プリンストン大も新学期がはじまるところで、同じ目的の学生で銀行がごった返している。研究所の身分証を見せると拍子抜けするぐらい簡単に進んだ。ATMに小切手を食わせる方法も教えて貰ったが、不思議な仕組みだ。ただ、銀行に張ってある広告から判断するに、米国でも小切手は徐々にやめにして電子化するというのをはじめているようではある。

Wawa という不思議な名のコンビニでゴミ袋を買って、研究所へもどると入り口の机で W 先生が僕の知らない数学の先生と Langlands 対応の議論をしていた。

昨日は書き忘れた話だが、本館二階にある図書室に行ってみた。というよりも、本館二階のいろいろな部屋がすべて図書室にしてあるといったほうが良いが、廊下にまで古い本棚がならんでいるので壮観だった。所々本棚が抜けていて扉があって、名札から察するにその奥は数学の先生方の居室になっているようだ。文字通り図書館に住んでいるようなもので、恐ろしい話だ。


Sep 12 22:43, Princeton

どうも数時間の時差が解消せず午前中は眠い。昼を沢山食べてその後も眠くなる。

ビザの書類を研究所に提出して、いろいろと諸説明を受けた。ピアノの部屋もありますよ... とあったので古いですよね、と聞いてみると、これまでどなたかが寄付してあった良いピアノを、その人が最近急に必要になったので返却したらしい。そのため、閉まってあった古いのを引き出してきたのだそうな、そういうことで今新しいのを注文しようかどうかということらしい。

夕方小さいほうのショッピングセンターに行って、台所用品で足りないものを買ってきた。地図をいい加減なものしか持っていかなかったから少々迷ったが、なんとか到着。片道 4.5km 也。日暮れ前に帰ってこれて一安心だ。背中のバックパックが満杯になるかならないかを見計らって買えるだけ買った。洗剤、ティッシュその他。フライパン、小振りのナイフも買ってきた。かたちを見ていると、日本の包丁とは文化が違うようだ。

家にもどって、ゴミ袋だけ買い忘れて帰ってきたのに気付いた。アスペンでは食器洗い機があったので、大量に皿を使う癖がついてしまって良くないが、兎に角昨日の晩からたまっていたお皿を洗う。

新製品発表で iTunes のバージョンがあがった。更に使いやすくなったように思うが、CDカバーの表示が派手になったので、きちんとアルバムアートを設定していなかった曲にも設定したくついなってしまう。また、iPod 用ゲームが購入できるようになったので早速 Zuma を $5 出して買ってみた... 操作もなかなか快適だ。


Sep 12 00:09, Princeton

こちらはまだ秋がはじまったばかりという感じだ。今日は研究室の部屋の鍵を貰って、メールの設定など。昼食は食堂で、これは申し分無い。午後は E 先生の奥様が車で買い物に行くのでついでに乗せていってくださるということに。お言葉に甘えて大量に食料を買い込んできた。

そのあとは M さんにまた車で自転車屋まで連れていってもらって自転車を購入。マウンテンバイクでヘルメットを付けて4万円也。これでもこちらの自転車屋では最安の部類だ。東京で乗っていた安自転車の古くなったのに比べると素晴らしい乗り心地だ。アスペンでは新品だった頃はこれよりも良かったであろう自転車に乗っていたように思うが、如何せんそれも古かったのでこの乗り心地には敵わない。足慣らしに街を走らせていると払った値段にも納得が出来た。

あとは早速宿舎のならびのピアノ部屋にいってみた。調律されているのか微妙な音で、カーテンレールがミの音に共振するのはいただけないが、勝手に弾けるのは有り難い。

M さんによると安く夜の食べられるところはないらしい。というわけで買ってきた材料でスパゲッティを作った。どうも作りすぎてしまうがお腹がふくれたからよかろう。サラダのドレッシングは結局オリーブオイルとバルサミコ酢をその場で掛けるのが一番美味しいようにおもう。ヨーグルトには買ってきたブラックベリーとラズベリーを載せた。

食後に片付けようとして気がついたことに、中性洗剤が無い。ゴミ袋も無い。明日買いに行かねば。

さて、日付が変わってしまったので眠らないと。時差のせいで夜型になってしまいそうだ。


Sep 10 23:13, Princeton

プリンストンに着いた。時差が二時間あるというのがアメリカの広さを表している。デンバーからの飛行機で、三時間半の短い空の旅をお楽しみください... とあった。日本なら端から端まで行けるのではないかと思うが、どうだろう。

朝は6時前に起きて、バスで飛行場まで行った。サンタバーバラのもそうだったが、小さく愛らしい空港だ。日本にもこういうのはあるだろうか。デルタ航空のチェックインのコンピュータシステムに障害があったらしく長蛇の列。こちらは United だから助かった。あちらは8:15発なのに、8:45発の我々のが先に離陸したほどだ。ロッキー山脈の上は雲も少なく、黄葉をはじめた木々が綺麗だった。といっても木は疎らにしか生えていないのだけれども。平野に出ると砂漠といってもいいほど。デンバー空港は兎に角だだっ広い所だった。

さて空港で昼食、本屋で2010年宇宙の旅を買ってニューアーク行き飛行機に乗り込む。2001年と2061年は読んだ記憶があるのだが、2010年は定かでなかったところ、明らかに読んだ記憶のある章と読んだことのない章がある。巣鴨駅前の本屋さんで SF をさんざん立ち読みしていたからだと思われる。それはともかく、空の旅をしながら宇宙の旅を読むのは不思議な感慨だった。

巡航高度になってかなり揺れたのがなんとも嫌だったが、着陸のための下降をはじめると却って揺れなくなった。空を八割方覆っている雲の中をゆっくりと下っていくのはなんとも幻想的だ。コロラドに比べると東海岸の緑に覆われていること。住宅地と住宅地の間が木立で埋め尽くされているのだ。ちょうど夕方で、眼下に白い鳥の一段が編隊をなしてねぐらへ帰って行くのが見えた。雲の上を飛んでいるときに、他の飛行機の飛行機雲の上を飛ぶという体験も出来た。兎に角昼間に長距離のフライトをしたのははじめてだったのではないかと思うが、窓の眺めを堪能できたと思う。本も読んで昼寝もして、快適だったと言えよう。

あとは NJ transit で40分ほどで Princeton Junction へ、タクシーを拾って研究所の宿舎まで。秋の虫が鳴いている。

時差があってまだ眠くないけれども、11時を過ぎたから眠らないと。


Sep 9 20:44, Aspen

20060908(010)

金曜日はアスペンの最終日、我々のプログラムだけではなくてそもそもアスペン物理センターの夏季の活動がおしまいだから、人も少なくなって寂しい感じだった。夕方は I さん、S さん、奥様とでメキシカンに。

今日はまた天候の変化が激しい一日だった。晴れと雨が一時間ぐらいで入れ替わるのだ。朝起きて土砂降りだったところ洗濯をはじめて、完成した頃には晴れ、研究所まで自転車を返却に行くと到着した頃にまた雨がぱらつき、...といった感じだ。また Explore Bookstore に行って本を買った。今回は付属の喫茶店に入ってアップルパイを食べた。美味しい。お代を払って気分良くお店を出たら、後ろからお店の人が眼鏡をお忘れですよ!と走って持ってきてくださった。みんないい人だ。

あとはスーツケースを詰めて、宿の片付けをして、だ。明日は一日移動。


Sep 7 20:55, Aspen

今日はParnachevさんSahakyanさんが彼らの話を。酒井杉本モデルのレビューから... というところで J. Schwarz さんが鋭い疑問を発して、僕は驚いた。これまで何度も話を聞いていたのに僕は全くそのような疑問を抱かなかったのだから情けないというべきか。

夜から雨。気密がいいので部屋は暖かいが、朝晩の自転車にはトレーナーを着ないと寒くなってきた。


Sep 6 21:33, Aspen

木の葉が色づき始めました。

こんなに素晴らしいところなのに、三週間も居ると慣れてきてしまうのが人間のおそろしいところだ。ふと数カ月前に教習所にあくせく通っていたことを思い出して、同じ自分だとはなかなか思い難いぐらいだのに。山の木々が多少黄色く色づいてきた気がする。

昨日は宿のネットの調子がいまいちだったので日記も書けなかった。昨日のトークは E. Keski-Vakkuri さんで half S-brane を表す rolling tachyon での n 点関数の計算を大分配行列模型に書き直す話。物理的意義は兎も角手法としては面白いと思った。白人なのに聞きなれない名字だなと思ったらフィンランドの方らしい。今日は D. Mateos さんで AdS/QGP の話。真面目に勉強したことが無かったので非常に有り難いトークだった。自分の計算も順調に進んでいるように思う。

今日の午後になって俄に曇ってきて、少しく雨。


Sep 4 22:23, Aspen

パラグライダーの皆さん。20060904(003)

午前のトークは... 自分の計算が頭から離れずに殆ど聞いて居なかった。まあその御蔭で間違いに気がついて、昼には計算が進んでよかった。

夕方家に帰ろうと手洗いに立つと、西の窓から夕日が壁に木立の影を映していて、そこに小鳥が飛び回っていた。自然の影絵だった。写真を撮ろうと思ったときには小鳥は飛び立っていった。

夜は I さんとタイ料理に行ってタイカレーを食べた。美味いが辛い。いろいろ雑談。土曜ハイキングにいったときの写真を沢山貰ったら、矢張携帯のカメラとは大違いで空が透き通るようだ。 デジカメ好きを公言して憚らない I さんにここ10日ばかりすっかり洗脳されて、ちょっとマシなデジカメを買おうかと思うようになった。


Sep 3 22:31, Aspen

宿のベランダから望む Roaring Fork 川。

今日は一日のんびりした。12時間ぐらい寝たと思う。街の Explore Bookstore という本屋さんに行って 1215 -- Magna Carta の年 -- という本を買った。当時のイギリスの生活がどんなだったかが面白く書いてある。これを家にもどってテラスで山を眺めながら読む。丁度泊まっている建物 が Roaring Fork River という小川に面しているので、せせらぎの音が心地よいのだ。なんとも贅沢だ。

明日は Labor Day ということでアメリカ人はお休みらしいが、研究所では普通にセミナー等があるらしい。主催者によると「僕らは皆外国人なので」ということだそうだ。


Sep 2 22:45, Aspen

20060902(030)20060902(028)乗り場ちかくの遊園場。頂上からみた連なる山並み。中腹からみたアスペン。

今日は I さんと隣の Aspen 山に登ってきた。Ajax 山ともいうようだ。ゴンドラ乗り場あたりから山道が始まる。一番ありきたりな安全であろう道を使った。これは山頂まで車で荷物を運ぶのにも使うらしい。太陽は暑いが、登るにつれて風が冷たくなる。歩いていると暑いが止まって休憩すると途端に涼しくなる。中腹まで登るとアスペンの街が一望できたが、それ以上すすむと傾きがすこし緩くなって奥まで続くので街は見えなくなった。スキーのゲレンデが夏のあいだはお花畑になっていてなんとも素敵だ。パラグライダーで浮いているひとも何人かいるようだ。

へとへとになって山頂に着くと、ゴンドラで登った人が多数いて急ににぎやかになった。レストランまであって文明開化した場所だ。今調べてみると アスペンの街が標高 2400 m, 山頂が 3400 m だから標高差は 1km くらいか。道程は 5km ぐらい。良く登ったものだ。

登りきってみると先週みた Maroon 岳は手前の山に隠されてみえないものの、その周りの山脈を一望できるすばらしい眺望。山頂自身は森林限界より低いが、かなりぎりぎりのようで、見回せば山脈にくっきり水平に木々の無くなる線が目線よりすこし上に見える。

帰りはゴンドラに乗った。出発してしばらくはそんなに傾きはないのだが、谷をいくつも越えるので下を見るとおそろしいほど。風で揺れるのも怖い。ふもとのゴンドラ乗り場に近づくと、地面こそ近いが、斜面が急になるのでこれまた怖い。

麓につくと頂上との気温の差を感じた。10時ごろ出発して2時に戻ってきて、あとはぐうたら休憩した。昼寝までして満足だ。


Sep 1 22:37, Aspen

20060901(008)

今日は特に取り立てて無い。もうこちらにきてほぼ二週間かと思うと時間の経つのは早いものだ。

気分転換に研究所近くの野原を歩いていると、大型犬の散歩にくるおじいさんに会う。近くの日時計を指さして、いま四時だろ、夏時間でなければ5時だ、ほらここの目盛を見ろ、案外正確だろう。と語り始めたのでいろいろ聞いていると、研究所のこの日時計を寄贈したその人ということだった。傍の碑にある一節はミルトンの失楽園からのものだとか。。どうだい?この日時計に合っているだろう。

僕が話を聞いているあいだ、犬はそのまわりで寝転がって遊んでいた。おじいさんが歩き出しても僕にじゃれついてなかなかついていかない。お〜いビスケットだぞ、とおじいさんが言うと急に飛んでいった。

夜は I さんとメキシカンに。


Aug 31 22:05, Aspen

研究所。Smart Hall研究所の庭です。

懸案の疑問がやっと解決した気がする。勿論、また明日の朝になったら勘違いだと判明しているかもしれないが。兎に角お蔭で気分が明るい。

今日は天候の変化が激しかった。一時間毎に晴天と雷雨が交代する。西から雲が流れて空模様が変わるのだ。

午後のトークは Henriette Elvang さんと Iosif Bena さんによる黒環の話。Bena さんは先日でたばかりの論文の解説。しかしそれよりも、セミナー後の Shenker さんと Mathur さんと聴衆の皆さんの Mathur 予想に関する白熱した議論が聞いていて楽しかった。皆さんの物事を物理的にとらえることの上手いこと。形式に拘ってばかりの僕には学ぶべきことが多い。Mathur 予想と言われているものが Mathur さんがそもそも考えていたことから徐々に離れていると笑っていらっしゃったが、提唱者の考えをその場で聞けたのは良かった。