一週間はあっというまに過ぎてしまったが、忙しかったのではなくて単に今週はぐうたらしていたのだ。昨日は晴天だったが、今日は徐々に曇って夕方はしばらくしとしと降った。そういえば随分日が暮れるのが早くなって、8時には暗くなってしまう。
こちらはスーパー等の文具売り場には碌なノートが売っていないので、本屋の文具コーナーに買いに行った。普通にコクヨのキャンパスノートみたいなものが売っていればそれでいいのだが、割高のものしかないようだ。
昨日はトラペは先延ばしにして Lie superalgebra の勉強などしていた。はじめてディンキン図の書き方がわかった。今日は一応トラペを書きはじめる。トラペの色使い、フォント使いはもう二年ぐらい同じものを使っているので、気分一新したいものだがそれは内容が出来てからにしないといけないだろう。
あとはスイスでの会議の皆さんのトラペを読み直す。今回は大抵の講演をちゃんと起きて聞いていたつもりだが、聞き逃していたところが多々あるものだ。
今日も涼しい。久しぶりに森に散歩に行ってみた。
昼食時に雑談していたら、あまりに細かい道交法違反で切符を切られたときに訴えて裁判所にいった話がでてびっくりしていたら、皆さん平然とそれで当然だ、僕もそうした、という反応なのでさすがアメリカだと思った。
もう8月も終わってしまう。セミナーに呼んでもらったのでトラペを作らないといけない。
今日も30度まであがらず涼しい。去年はこの時期もっと暑かった気がするけれども。チューリヒで考えたけれども慌ただしくて出来ていなかったことをやってみようと手を動かしてみるが、思っていたより全く難しいことが判った。一筋縄ではいかなさそうだ。
夕暮れになって、街の図書館にスイスの観光案内を返却に行く。ついでに本屋によってまた一冊買おうと棚を眺める。「The Story of French」というのがあったので買ってきた。ケベック出身の著者が英語で書いたものを日本人が読むというのは変な話だ。
それで思い出したこと。この間の会議でスペイン人のひとが "actually" という単語をどう考えても「これから、今」という文脈で使うので、ネットで辞書を調べたらスペイン語の "actualmente" は「これから、今」という意味だそうである。
夜はピアノ。
ジュネーブ中央駅から空港までは電車で10分ほど。空港でのんびり土産物の買い物をする。Schwitzer Heimatwerk というお店で木のおもちゃがいろいろ売っていて時間を忘れそうになった。結局姪にオルゴールを買った。
飛行機自体はそれほど揺れもせず、無事に JFK に到着。入国審査も列がほとんど出来なかったほど。ただし係のひとは非常に丁寧にひとりひとりみていて案外に時間がかかった。あとはいつものように LIRR と NJ transit を乗り継いでプリンストンまで。30度弱で暑いがたいしたことはない。
今日は時差のため早寝早起きだった。半分仕事、あとは冷蔵庫を埋めるため買い物にいったり、旅行のあいだに溜まった洗濯物など。もどってきてみるとゴミの集積所に大きな容器が増えていて、リサイクルの種別の説明が貼り付けてある。ここも遅ればせながらそういうご時世のようだ。
旅行中に面白かったことで書きわすれたこといくつか。ひとつは、CERN の食堂のデザートが充実していておいしかったこと。もうひとつは、スイス人が規則をよく守ること。ジュネーブ中央駅前で路面電車、自動車兼用の道があってあまり車は走っていないのであるが、皆さんきちんと赤信号のあいだは待っているのは驚きだ。ドイツ人はさらに規則に厳しいようで、CERN から一緒にバスに乗ろうとしたら、券売機に「24時間切符」とあったのをみて、これは買ったときから24時間有効なのか、それとも今日の24時で期限が切れるのかどちらなのかといって運転手さんと揉めていた。
スイス旅行の写真をいくつか置きました。
昨日は会議の最終日。%先生の summary talk は非常にまとまっていて為になった。お開きになった後に @と会場の下の食堂に夕食を食べにゆくと、徐々に人が増えて結局8人ぐらいになる。楽しい雑談。
今日は一日暇だったが、結局ジュネーブ市内で過ごす。朝何も考えず駅に向かうと、今回の会議に伴う市民講演会に行く #に会ったので、僕も講演会へ行くことにする。その後は & と三人で昼食。小雨が降ってきたので適当に最寄りのイタリアンに入って僕はボンゴレを頼む。これはなかなかおいしい。
別れたあとはまた旧市街を散策。聖堂の下の考古学資料館に行った後、先週同様に鐘とオルガンのコンサートに。バッハはやはり良い。
終わって聖堂をでると声を掛ける人が居るので誰かと思うと @ だった。というわけで夕食にいくことにするが、街の中でパソコンを開いてネットで評判をしらべる @ は僕よりパソコン中毒だ。そうやって決めた店に行くと更に知人がいたので、結局 4 人で夕食に。これまた(値段は張るが)なかなかおいしい。
明日は飛行機だ。気をつけて帰ろう。
研究会が始まると毎日朝から晩まで慌ただしくて日記を書く暇がなかった。適度な気温で過ごしやすくてよい。昼に多少汗ばむかというぐらい。食堂の値段は相変わらず高くて一食12フランぐらいするが、なかなかおいしくて宜しい。400人強も参加者がいるのに食券がついていなくて、みながレジで払っていて食堂はさばき切れるのかと心配していたが、驚くほど回転がはやくほとんど問題がない。
月曜夜は国連ジュネーブ本部の見学と、最上階での立食パーティ。入り口は空港と同様荷物検査があって大変だったが、丁度目出度く晴れて夕陽に染まる Mont Blanc の綺麗だったこと。
火曜夜は CERN で初期のピアノの復元したものでの演奏会があった。高音部はいかにも硬い音。ペダルがついていないのに音が伸びたりしてどうなっているのだと思っていたら、鍵盤の下側というのか裏側にボタンがついていて、膝で押し上げる仕組みになっていた。途中で大雨になって傘も持ってこなかったしどうしようと心配していたが、帰る頃にはあがって大丈夫だった。
水曜夜はジュネーブ大でバンケットがあった。水曜昼は講演が無かったから、ゆっくりするなり観光なり出来ても良かったのだが、のんびりイタリア人数人にまじって食事をしていて、ホテルにもどってからコインランドリーを探して洗濯物をしていたら時間が無くなってしまった。
というわけで今晩ようやく行事がないので暇がすこしできたというところ。夕食をどこに行くか考えなくても研究所で食べられるのは簡便で良い。夕暮れのテラスで山並みを眺めながら雑談をするのも楽しい。
朝目が覚めたら9時50分だった。ホテルの朝食は10時までなので慌てて下の食堂へ行く。
昨日車窓からみたレマン湖東端の景色が忘れられなかったので、結局 Montreux まで行ってくることにした。中世の城もあるということだ。ジュネーブの駅まで道をあるいていると %さんに偶然巡り合ったけれども、お疲れだということでひとりでいくことに。
電車を Lausanne で乗り継いで一時間半ほど。行きは Montreux で降りる。ここまでは電車が沢山あるが、最寄り駅までいくには電車が1時間に一本しかないので。湖畔におりて、ガイドブックに「花の道」とかいてあったところを歩く。整備されて綺麗な道だが、少々観光地化されすぎていていかがなものかもしれない。しばらく歩くとシヨン城が湖に浮かんでいるのが見えてくる。あたりもひなびて、山と湖の間が道と線路しか無くなったところで城の入り口である。
外は武骨でそっけない感じでどんなものだろうと思ったが、中はよく保存されていて楽しめた。展示も充実していて、かつ眺めも良い。丁寧な順路にそって地下牢、中庭から天守閣まで二時間ぐらいかかった。写真も沢山撮る。
あの観光地化された道をもう一度戻ることもないかと思って、帰りは最寄りの駅 (Veytaux-Chillon) から Montreux まで各駅停車で二駅のって、そこから特急。Lausanne までの湖畔の斜面はひたすら葡萄畑だ。小旅行を通じて、天気は青空に雲が流れて快適だった。城から出て駅で電車を待っていると小雨が降り始めたが、移動しているうちに青空にもどった。
さてまだ時間があるので CERN で会議参加の受付をしてこようとトラムとバスで30分ぐらい行く。夕食も研究所のレストランで済ませてしまった。明日からは真面目に勉強だ。
金曜は講義も終わって散歩でもしようかと思ったら雨が強く降って困った。一応 ETH のある高台から下まで下りるケーブルカーには乗ってみた。Polybahn というらしい。何のためにあるのかはいまいち謎である。
土曜はすっきり晴れてよかった。%さんと電車でチューリヒ中央駅からジュネーブのコルナヴァン駅まで、3時間弱。牛が草を食んでいるむこうに山を望みながらの快適な列車の旅だった。列車がレマン湖に出たところの眺めの素晴らしいこと。湖に両岸から山が流れ込んでいて、奥には雪を頂いたアルプスが見える。
さて、ジュネーブ駅で昼食をご一緒したら別れてホテルに向かう。駅からすぐで至便、今回は普通にインターネットにつなげるようだ。予約したときにネットで評判をしらべたときはいろいろ狭いやら汚いやら書かれていたが、(日本のビジネスホテルに比べれば)全く問題ない。ただし一日の宿賃に比べてどうかというと難しいかもしれない。
あとは取り敢えず旧市街を散策しようと川を渡って適当に散歩していたら、大きな聖堂に辿り着く。中を見物しようと扉まで行くと、毎週土曜は午後6時からオルガンのコンサートだという、またその前に午後5時からは鐘の演奏もあるというので、近くの喫茶店やら古書店で時間を潰して聖堂に戻った。パイプオルガンを教会で生で聞いたのははじめてだが、圧倒される音響だ。そしてやはり Bach は良い。来週土曜も是非行こう。
明日の日曜は暇なので何をするか考えないといけない。
時間が経つのは速い。宿は無線LANの電波が弱く、中庭に出ないとネットに繋がらないのだが、夕食後に日記を書くだけ為にそうするというのも何だと思っていると日記を書かずに数日経ってしまった。夜はネットを徘徊して時間を潰せないので、論文を読んだり書いたりなかなか捗っている気がする。
こちらは天気は安定しない。月曜は夕方から雨がすこし降って、折り畳み傘をスーツケースから取りだしていなかったのが祟って少々濡れた。プリンストンでは夏の雨は通常一時間は待てば上がってしまうので傘を持ち歩く習慣を忘れていたが、こちらは降りはじめるとしばらくしとしと降っているようだ。火曜は一日しとしと降る。水曜は気持ちよく晴れた。木曜は雲が徐々に増えてきたが昼の間は太陽も見えて気持ちのいい一日。夕方に少し雨が通った。気温は勿論恐れていたほど寒くはなく、長袖で丁度いいぐらい。ETH の建物内も空調は無いが、それで丁度よいぐらいだ。空調がないかわりに、ETH の窓には自動のカーテンというか遮光幕がついていて、太陽光の取り入れ具合で室温を調節しているらしい。講義中に晴れてくると急にカーテンが下りてくるのは面白い。
また、スイス式(ETH式?)の黒板の消し方も面白い。部屋に蛇口があって、取って付きの横長のモップとゴムべらが置いてある。モップを充分濡らしてあまり水を切らず黒板をさっと綺麗に拭きとったら、黒板に残った水をゴムべらで下方にかき落としてしまう。どうりで黒板の鉄の枠が下側だけ赤く錆びているわけだ。チョークの粉も飛ばないし是非各国導入してはと思った。昔トリエステにいったときは単に雑巾で拭いていたように思う。アメリカは日本と同じで黒板消しだ。
食費は高い。CAB棟最上階の Food LAB とかいう生協で昼を食べると12スイスフランである。ETHの学生なら6フラン。自家製パスタは不味いが、日替わりメニューは毎日野菜と肉を蒸したものに米か豆かジャガ芋がついて、これは美味しい。両者ともボリュームはある。火曜の夜は %さんと街のレストランで夕食にした。雨が降って多少冷えたので暖かい鍋を頼んだら生姜が利いていておいしかった。
しかしスイスも掃除、コック、レジ等は非白人が多いようだ。
ホテルの朝食も食べ放題でなかなかおいしい。ヨーグルトにナッツと干し果物と穀物を混ぜ込んだものがあってこれはおいしい。ドイツのものらしく名前を聞いたがよくわからない。参加者が沢山止まっているので朝に話ができるのもよい。ドイツ人同士が出身地がどこかというのをお互い聞いていたので、日本の旧藩のいがみあいの話をしてみたらドイツでも似たようなもので、バイエルン出身の北のほうの出身のひとが言うには、バイエルンの北のほうのどの村の出身のひとに聞いても、プロイセンがはじまるのはその村の 3km 北からということになるんだそうである。という話をしていると、ポーランド人がいうには、ポーランドは社会主義時代に方言やら地方性を抑圧したのが利いているのと、幾度も国境と人が移動させられたために、周辺部で地方性を維持するのが難しかったという問題があるらしい。
また、チューリヒ中央駅が到着したときにひどい状況だったのは、年一度のパレードが前日にあったかららしく、連日あのような惨状ではないそうだ。騒ぐのは日付が変わるまでと決まっていて、日付が変わるとほとんど皆ぴたりと騒ぐのを止めたんだから流石ドイツ人だ、と土曜日から来ていたひとが言っていた。
今回もまた西欧に来て思うのは、食事をどこに食べに行くかというので悩む以外はあまり異国にいるのを感じないことだ。アメリカに来てしばらくして、電車にのっていて周りがみな非日本人であることに違和感を感じていない自分を発見したときは驚いたが、その延長だろうか。ホテルに泊まっていても、キッチンがないので困る以外は何ら違和感がない。東京にいて、はじめて海外旅行に出たときは全くのおおごとで、なにもかもが珍しかったような気がするのだが...
講義は僕にとって適度で勉強になる。こんなに真面目に朝から夕方まで話を聞いているのは随分久し振りだ。大抵の話は二度目、三度目だが、どれも難しい話なので、それぞれちょうど今回ようやく判ってきた感じがするのは悪くないものだ。セミナーもいろいろと前からおぼろげに気になっていたものの話が聞けて良かった。Henningson 先生の (2,0) 理論の話はいつもながら驚くべきだ。
水曜昼は希望すれば街の名所案内を ETH の方がやってくれたようだが、サボって参加者用の部屋でメールなど書いていると、@ と $先生が extremal CFT の議論をはじめた際に出ていくタイミングを失って結局夕方まで話を聞いていた。ときどき議論に参加していたつもりだが何か貢献したというよりは公式の予定に加えて講義をひとつ聴いたという感じで有り難かった。3次元で pure gravity でも BTZ ブラックホールはちゃんと boundary graviton を Hawking 輻射するということだけ覚えて帰った。
以上、Prestrings に来たのは僕にとって正解だった。@と久し振りにいろいろ雑談ができるのも嬉しい。残念なのは参加者名簿に載っていた友人がひとり来ていないことだが、急用なのか、悪いことでなければいいけれども。
ここまで昨晩ホテルでかいたものを、朝の講義がはじまる前に。
さて、9日は # さんに駅まで送っていただいてスイス旅行を開始。JFK まで行って、夜の8時半の便でチューリヒまで。揺れも少なく(席が狭いのを除けば)快適だった。追い風で予定より一時間早く到着。JFK で搭乗手続きの際には、係のひとに「あなたスイス入国のビザは要らないの?」と心配されてしまった。日本人はまあ大抵要らないと思うが、実際飛行機の中にも街にもアジア人は殆どいないので、係のひとにも珍しかったのだろう。
スイス航空は公式国語が沢山あるから大変のようで、機内のアナウンスは英独仏三か国語、コーヒーが出てくる紙コップには英独仏伊、あと分からない言語がもうひとつ載っている(おそらくレートロマン語)。機内誌はどうなってるのかと思ったら、各記事は二種類の言語で横に並べて書いてあるが、選んである二つの言語が記事によって異なる。
朝のうちについて、空港から街までは電車で10分ほどですぐである。電車は日本並に綺麗だが、中央駅は昨夜のどんちゃん騒ぎをおもわせる汚さだ。平日は綺麗なんではないだろうか。上半身裸の酔った若い男を二人ぐらいみかけた。
街中に路面電車とトロリーバスが走っていて適切なものをみつけるのが難しいほど。ETH は川に向かって急な傾斜になっているところの上にあるようだ。宿はその急な坂の下。午前中についてまだ部屋の準備が出来ていなかったので、荷物を預けてまわりを歩きに行く。中央駅のあたりは乱雑だが、古い町の中心部は観光地化はされているけれどもヨーロッパらしい眺めだ。池の側なので風が湿っている。時間を潰す為に国立博物館と Kunsthaus で出土品やら美術品をみて過ごす。さっそく他の観光客に英語で道案内を聞かれたりする。まあアジア人だから英語を喋るだろうと思われたのだろう。
3時から5時までは宿で昼寝。我ながら馬鹿馬鹿しいが、どこかのヨーロッパの街で魔法の弟子入りをする夢を見た。
宿ではドイツ人の研究会参加者に会ったので、夕食に連れていってもらった。ウィーン風カツレツをたべる。うまい。その後は ETH のテラスで夕焼けを見る。
今日はスーツケースを詰める。結局5月にボストンに行った際に買った小さいほうで行くことにする。まあ夏だからなんとかなるだろう。週末には洗濯も出来るはずだし。あちらの寒さがわからないので、チョッキとトレーナーを入れた。さすがにトレーナーは着ないだろうけれど。土産物を入れる隙間がほとんどなくなってしまった。
まあ最近はこちらも30度まで上がるか上がらないかなので、35度40度のところから突如行くよりは体に優しかろう。
さて、寝ながら忘れ物がないか考えないと。
旅行の準備をはじめる。街の図書館まで観光案内を借りに行く。本屋にもよって、結局薄いが値段が高いイタリア中世の本を買ってきた。コーヒーも飲んで半分休日をする。
あとは行き先の地図を印刷したり、飛行機の確認をしたり等。居室に借りっぱなしだった本数冊も図書館へ返却。いつも旅行に行く前にパソコンのバックアップを取ることにしているので、それも済ませる。海外旅行保険も買った。
明日はスーツケースを詰めるだけのはず。最高気温が25度、最低気温が15度とかいうことだから、服装を考えないといけない。
今日は32度まで上がって少々暑い。しかしかえって研究所の居室は空調が効いて涼しめだった気がする。
前の前の日曜にはじめた話は計算が終わった。論文に書かないといけないが、みな慌ただしくなるのでどうなるだろう。まあ旅行中も夜に働けということか。小粒で綺麗な話だとは思うが、実際問題としては相変わらずリー代数の計算を具体的に沢山するだけなので、人間なかなか自分の趣味からは離れられないものだ。
夕方に % が僕の部屋に来て笑いながら言うには、急遽論文を投稿したところだとか。昼食のときは普通に馬鹿話をしていたのに突然どうしたのかと聞いたら、なんでも食後に部屋に戻ったら $ から電話があって、関連した論文を今日出すからそちらも準備が出来ていれば ... ということになったらしい。まあもう一週間ほど前にはできあがっていて、文章を磨いている段階だったから問題はなかったそうだが、自分がそういうことになったらと思うとぞっとする話だ。
夜はまたピアノ。明日はいい加減旅行の準備をはじめなければ。キリもいいので丁度いいだろう。
最近の研究所は静かなものだ。日々単純計算、およそ終わったはず。Hitchin-Karlhede-Lindström-Rocek など印刷して勉強。
夕方はピアノを弾きにいった。
夜は雨。
今日からは半夏休みで食堂はサンドイッチだけ。それでも有り難い。今日も涼しくて有り難いが、旅行先は暑い日で今日ぐらいで寒い日は昼が20度とかいう気候なので、服装を気をつけないといけない。旅行に伴って J-1 ビザの所属先署名欄の更新をした。
夜に寝ている間に足の小指を蚊にやられた。
さて周りも静かになって特に書くこともない。天候は一定しない。一昨日の夜から昨日の朝にかけては大雨だった。昨日の夜は日本人三人でインド料理屋に。いつものことだが美味しい。食後のマサラチャイは何だか薄かったのが残念だ。
今日は晴れて雲が流れるが、結局30度をこえなかったようで、涼しくて過ごしやすい。夕方は Nassau 通りまで自転車で行って本屋とコーヒー、といつもの休日だったが、今日はフラペチーノを頼む気にならず普通に暖かいコーヒーを飲めた。
先週はじめた研究は順調に進んでいて嬉しい。来週には僕も旅行で、#は引越だから、ここ数日で出来る限りのことをしたいけれども。
Viking の本は半分ぐらい読んでしまった。これでは旅行中の夜に読む本がなくなってしまうので、もう一冊買わないと、と思い本屋にいったのだが、やはりイタリア中世の適度な本はないものだ。ノルマン征服前のアングロサクソンの本で適切な密度のものがあったが、別にそれほどイギリスばかり知りたいわけでもない気もする。あとは中世ギリシアと中世東欧の本もよさそうなものがあったが、そちらよりは行ったことのあるイギリスの歴史の本を買いたいような気もする。