Mar 31 21:14, Princeton

研究所にも春が来ました。例年よりすこし早い気がします。

朝はジュネーブ市バスで空港まで行って、アメリカへもどる。復活祭休暇が近いためか空港はごった返していてチェックインするのに一時間かかった。兎も角問題はなくプリンストンに戻ってくる。

唯一問題があるとすれば、空港からの電車で iPhone を落としたら当たり所が悪かったのか、画面に蜘蛛の巣状にひびがはいってしまったのだ。

プリンストン駅についたら $ が同じ電車にのっていたことがわかったので研究所まで二人で雑談しながら戻る。彼はテキサスのあとベルギーとクレタ島に行っていたらしい。

こちらに戻ると春が来ていた。レンギョウが綺麗だ。研究所の芝生の白い花も咲いている。例年より10日ほど早い気がする。

さて時差で眠いのでそろそろ寝よう。


Mar 29 22:43, Genève

今日は晴れ、普通に机に座って勉強して過ごす。

午後は # さんとカフェテリアでおやつを食べながら四方山話をした。モンブランを眺めながらモンブランを食べる、と行きたいところだが見えているアルプスはそれそのものではないらしい。しかし贅沢な眺めであるのは間違いない。

昼は食堂で駝鳥が出た。スパイスが利いていたのでそのものの味は分からず。

あと数日で家に戻ると思うと、旅行中は先延ばしにしていたいろいろな問題が思い出されて悩ましい。


Mar 28 20:35, Genève

車窓からのアルプスの眺め。

今朝はホテルで朝食を取ってからミラノ中央駅に向かう。駅に発車20分前についたから充分時間があると思っていたら、特急の発車時刻を勘違いしていて、残りが五分しかないことがわかって慌てる。昨日の朝が40分発だったので今日もそうだろうと思い込んでいたのだ、実際は25分発。夏時間ばかり気にしていたのが失敗だった。

列車がジュネーブまでどういくかは調べておらず、しばらく西へ行くのかと勘違いしていたが、そのまま北上してマッジョーレ湖岸を通過し、徐々にアルプスに分け入って、Domodossola から長いトンネルで国境を越えてスイスの Brig へ出る。

アルプスの南側は晴天だったが、北側へ出ると雲が流れて小雨が降っていた。トンネル内で異音がしたとおもったらしばらく停車していたのでどうしたのかと思っていたら、案の定 Brig 駅で係員のひとが列車の点検をしているようだった。まあ再び走り出して小一時間ほどで Aigle まで来るが、そこで乗客皆降ろされて次の地方電車にのる。

Aigle からはレマン湖東岸まですぐだ。丁度 '08 年夏に観光にきた Chillon 城を通過したのも懐かしかった。そのとき読んだ説明に、ここはイタリアからスイスに抜ける道がレマン湖とそそり立つ山肌に挟まれて最も細くなる所である。よってこの城を押さえたものはイタリアとの交易を押さえたことになるのである、とあったのを思い出す。

湖の北岸を列車は走る。雪を被ったアルプスを湖を越えて南に眺めるのもまた素晴らしい、と思っていると、 Lausanne でまた乗客がみな降ろされることになった。丁度昼の時間だったので、両替をして腹ごしらえをする。

そこからジュネーブ駅までさらに一時間ほど、そしてトラムとバスを乗り継いで CERN までやってくる。トラムは二年前にきたときよりかなり延伸していて、CERN の前も路面の工事をしていた。次回に来るときはトラムで終点まで来れるかも知れない。

トラムではグルノーブルでの放射光春の学校に参加中の院生さんがひとり CERN を見に来たといっていたが、許可がないというのでどうするのだろうと思っていると、入り口で守衛さんに追い返されてしまった。彼にとっては僕以上に聖地巡礼という感が強かったろうに、申しわけない気がした。

結局移動には5時間半ほど掛かったが、ずっと絶景だったので良し。こちらでトンネルについて調べてみると、青函トンネルが出来るまでは世界最長記録を70年保持した Simplon トンネルというらしい、全長 20km 也。事故があったらと思うとぞっとする。

夜は食堂で夕食の際にビールを飲もうとグラスに注ぐと、半分以上泡になってしまった。するとお店のおばさんが言うには、ムシュー、それは注ぎ方がわるいんですよ、こうやってグラスを斜めにして注いでやるときちんと入りますからね、と。ムシュー以外は何を言っていたかは推測であるが、結局泡を洗い流してなみなみと注いでもらってしまった。


Mar 27 22:20, Milano

大聖堂外部の数ある彫刻のひとつ。

さて今日は宿舎で軽く朝食にしてからトリエステ中央駅に。9時半発の特急でミラノにつくと午後2時。アドリア海を眺めながらしばらく進むが、直に海岸から離れたあたりからしばらくうとうとする。

後半はポー平原の北端を西に向かう。大きな街と街の間には田園風景が広がっていた。まだ枯れ木の葡萄畑と、休耕地が春の花畑になっているのが交代する。ところどころに橙色の屋根の家が集まった集落があってかならず塔をもった教会があるのがよい。

Desenzano からガルダ湖を越えて遠くに望む雪を頂いた山々の綺麗だったこと!写真をとろうとするが、人間の目では目の前を横切る障害物を無視出来るもののカメラではどうもそうも行かなくて困った。

ミラノでは昼食を食べて荷物を宿においたあとは、大聖堂だけ見にいった。六年前は大修復工事中で全貌をみられなかったのが気になっていたのだ。一応天井にも登っておく。明日向かう方向をみるとミラノの町並みを越えてアルプスが見える。

あとは宿でのんびりする。夕食も外で探すのが面倒だからホテルのレストランで済ませてしまった。

さてヨーロッパは明日から夏時間だから気をつけないといけない。


Mar 27 00:10, Trieste

今朝はアドリアティコの地階の洗濯室で洗濯。なぜか一つ目の乾燥機がうまく働かず、別の乾燥機でもう一度回すことになり時間がかかった。朝の講義のおしまいのところに忍び込んで、皆さんと食堂で食事に。

その後は SISSA のほうで & さんと # さんとしばらく議論。一緒にコーヒーを飲んでから午後の講義のおしまいのほうに戻ってくる。

コーヒーといえば、日本の研究室は大抵コーヒーメーカーがあって、アメリカの研究室は大抵カプセルを入れる方式のエスプレッソマシンがあるが、イタリアの良い研究所 ( ICTP, SISSA, ローマなど) は建物内に bar があってコーヒーを頼めるようになっていることが判った。カプチーノで 90 ユーロセントだから安い。

夜はレセプション、さらにひとつコロキアム、その後は隣接して所長宅で軽いパーティがあった。宿に戻って荷物を畳む。明日はすこし移動だ。


Mar 26 00:37, Trieste

ようやく講義が終わった。SISSA の & さんと # さんが聴きにきてくださったので、その後食堂で雑談、ひるは他の講師の講義をさぼってテラスの黒板で春の陽光を浴びながら議論をした。

また、食堂で& さんと # さんと話しているときに @ さんにお目にかかるが、はじめ下の名前だけ聞いたのでしばらくどなたか判っておらず、〜〜という論文がありますが、と僕が言った所で @ さんが「僕はその共著者だよ!」と言ったところではじめて認識するという馬鹿なことがあった。

去年の僕たちの論文に関して仕事をして下さったポーランド人の三人組のかたもいらしていて、挨拶をして議論をすることができた。これも嬉しいことだ。

日本人の参加者がいるはずなのに見ないなと思っていたら、皆さん学会に参加していたようで、今日から顔が見えた。というわけで、ここのポスドクをしている $ くんに案内をお願いして、彼のいきつけの街のレストランに連れていってもらってきた。

いろいろ雑談はつきなかったが、在イタリアの彼らに言わせると、イタリアの料理の味は濃いらしい。というわけで、この味を薄めに感じる僕の舌もかなりアメリカ式になっているということがわかった。

綱渡り的に明日の講義の準備をしなくて良いというのは素晴らしいことだ。


Mar 24 23:36, Trieste

アドリア海。

一昨日は霧、昨日は徐々に雲が減って、今日は晴天。他の人の講義を抜けてミラマレ公園を散歩に行ってみる。海岸線に迫る山並みは美しい。今日は僕は一コマ喋った。公園の中を通って宿舎から研究所まで行けることも判った。

夜は相変わらず明日の講義の準備。綱渡りは良くない、今後は気をつけたい。

毎日午後のお仕舞に discussion session がある。聴衆が勝手にその日の講師を指定して質問できるわけだが、完全に数理物理の話に関する質問が、きちんとした現象論の質問と隣り合わせに出てくる。積極的に質問している人はどの話題にも積極的に質問していて、僕のやっているような形式的な話と、現象論のちゃんとした話と両方に興味があるようだ。そうやって興味が広いのは羨ましい。

日本人参加者は今のところ僕以外誰も居ないが、韓国人の方は沢山いるようだ。それも案外お歳を召した方もいらしているようだ。これも謎である。

宿舎の食堂にピアノがあったので、朝すこし弾いていると、% が通りかかって、彼もピアノを弾くということがわかった。腕前は僕と同じくらいだった。


Mar 23 19:52, Trieste

今日は2コマ合計二時間と、その後の質問セッション一時間を % と共有して、なかなか濃密な時間を過ごした。聴衆から質問が沢山でるのは良い。特にこの一時間の質問セッションは答えている方にもいろいろ勉強になって良い。どのあたりの説明が足りなかったのかがよく判った。

昼ご飯は久々に再開した $ と食堂で。夜はレセプションがある。

カフェテリアの食事は和風洋食のようで良い。アメリカの食事とは違って味が大人しい気がする。

さてすこしワインも頂いたので非常に眠くなってきたが、明日の準備を多少せねばならぬ。


Mar 22 20:53, Trieste

上空からアルプスを望む。地中海側は霧で埋まっている。

さて、晴天だが多少風のある College Station を定刻15分すぎに出発したプロペラ機は無事にヒューストンに、空港のダイナーでハンバーガーを食べて腹ごしらえをしてパリ行きの Continental 便。パリには夜が明けてきた頃着、ドゴール空港のややこしいのに圧倒されながら、バスを乗り継ぎトリエステ行きの出る 2G ターミナルまで行く。

さて、ここで時差ぼけの中で朝の7時半から10時まで待つという苦行をする。2G ターミナルは地方行きの小さな飛行機まで扱っているところで、出発20分前にならないとゲートが決まらないのというのが困難を高くする。9時ごろにカプチーノとチョコクロワッサンを買って食べたあたりからぼんやりしていたらしく、起きてはいるのだが何故か本屋でぼけっと本を眺めていた。まあやっぱり買わないで置こうと出てきたところで偶然丁度搭乗がはじまっていて事無きを得たが、正直言って完全に忘れていた。

パリからトリエステの二時間の飛行は素晴らしかった。雲も殆どない晴天で、まずはパリの市街地の上空を越え、シテ島から何からくっきりと見える。その後は田園風景を楽しんでいるとアルプスが近づき、さながら遊覧飛行だ。地中海側は雲が押し寄せていて、ほとんど何も見えない中トリエステ空港に着くと小雨が降っている。

そこからは公共バスで ICTP まで。テキサスで ICTP 出身の同僚いろいろに空港からタクシーはどれくらいか聞いたら、そりゃバスがあるからバスにし給えと言われたのだった。空港なのに公共交通機関が無いのが普通のアメリカに毒されてきていたようだ。確かに 6 年前に来たときもバスを使った気がする。

小雨に濡れたイタリアの田舎町をバスが通過して行くのも良かった。なんだか日本の実家のあたりに帰ったような暖かさを感じると思って何故かを考えていたが、どうも(ヨーロッパ風ではあるが)瓦葺きの屋根と、全般の寂れ具合が似ているのではないかと思った。

さて、夕食まで頑張って起きるが限界だ。明日は講義のまえには起きねばならぬ。


Mar 21 08:53, College Station

まだ相変わらず昨日と同じホテルにいるのでその顛末を記す。

昨日は起きると小雨だったのだが、朝食をとっているうちにバケツをひっくり返したような大雨と雷になる。朝食の席で同じホテルに泊まっていた & と % に別れを告げホテルのバンで飛行場に向かう。

さて、飛行場についてみると 11:30 発の僕らの飛行機は15分遅れだという。搭乗口がふたつしかない小さな空港なので、便ごとに手荷物検査をされて中に入るのだが、時間が来ても飛行機の姿すらみえない。幸い同じ会議に参加していた先生方やら同僚やらが沢山いたので雑談をしている。15分遅れが30分遅れに、さらに1時間遅れに、となっているうちに、次の2:00発の便に乗る客が待合室に入って来た。その中には & も居る。

そうこうすると2:00発の便が30分遅れで到着、彼らを載せて飛び立っていった。我々の乗るはずの飛行機は相変わらず来ず、さらに一時間ほど経った所で飛行機がキャンセルになった。そのころには雷雨も去って空も明るくなってきていた。

アメリカ内に帰る人達はヒューストンまでバンで運ばれていった。さて、僕はもうニューアークでの乗り換えは絶望的だったので、一日あとの飛行機に変更してもらうことにして College Station にもう一泊することにする。幸い空港の係のひとは非常に親切で、各地に電話をかけて元々の College Station → Houston → Newark → Munich → Trieste の切符を College Station → Houston → Paris → Trieste に変更してくださった。何でももう Munich 経由ルフトハンザの切符は満席なので、Paris 経由エールフランスにしてくださったのだが、飛行機会社を変えるのは手間なのだそうだ。

空港の人も、会社上部が便を数時間遅らせたあげくキャンセルにするのには辟易しているらしく、天候が悪くなったらさっさと欠航にしろと会社に何度も言っているらしいのだが、地方の一空港のチーフ程度ではどうにもならないそうだ。

さてホテルは昨日までと同じところに入れてもらって、% と再開、Chef Cao's という中華屋に二人で夕食に行く。ここの中華は大人しくて良かった。

空港まで行って帰ってきただけの一日だったが、一眠りしようと布団にはいると朝まで寝てしまう。今日は雲ひとつない晴天だ。そろそろまた 11:30 発の便に乗るためホテルを出発である。


Mar 19 23:52, College Station

今日で研究会もお開き、来年はスウェーデンはウプサラだ。

早めに終わったので宿に戻って講義の準備。夜は & と VERITAS というレストランに行く。偶然入ったのだが、大人しいジャズのライブ演奏などあり、食事も美味しかった。ウズラを食べた。

あすはひたすら移動。


Mar 18 23:44, College Station

今日も一日研究会。コーヒー休憩中に議論をするのも良いし、旧交を温めるのもよい。四年前の研究所の同窓会のようだ。時間の経つのは速い。

夜はバンケット。一つの皿に牛ヒレのステーキと鮭のステーキが左右半々に分けて乗っているという面白い趣向だった、なかなか旨い。食後の漫談は今年は Joe Polchinski 先生で、何度も聴衆を沸かせた。あれは準備に時間がかかったろう。


Mar 17 22:36, College Station

研究会が始まってしまうと案外慌ただしくて日記を書いていなかった。

月曜は晴れ、朝のうちに自分の発表がある。これは有り難くて、研究会の残りが気楽に過ごせる。参加者も200人弱なので、それほど緊張しなくて済んだ。二年前の今ごろの基研での研究会のほうが余程緊張した記憶がある。ただ、聴衆を笑わせるにまで至らず。そもそもそういう考えをする余裕がなかったことに気付いた。まあ可もなく不可もなくといった所だったと思う。

昼はテキサス風の店に行ってちゃんとしたハンバーガーを食べる。なかなかうまい。夜は会場で軽くレセプションがある。スウェーデン人および在スウェーデンの人達とホテルまで歩いて戻る。

火曜は雨。昼は物理の建物の最寄りの中華に入ったら、雨だからか皆続々入ってきてお店のおばさんが嬉しい悲鳴をあげていた。可もなく不可もない味。夕方は大勢でメキシカンに入る。サングリアを飲んでファヒタを食べてお腹が一杯になった。

水曜はまた雲ひとつない快晴で、風があって気持ちが良い。昼は PotBelly というところに入って軽くサンドイッチにする。午後はトークはふたつだけで、その後はバスで公園まで連れていかれて BBQ。BBQ といっても自分で焼くのではなくて、出されるのを食べるだけ。丁度 % が到着して、旧交を温める。

さて、一難去ってまた一難、今度は来週の講義をなんとかしないといけない。これまで講義の経験のある人々にいろいろ聞いてみたり、参加者リストを見てみたりすると、どうも思っていたより基本的なところから話をしないといけないようである。あちらには、事前に印刷して聴衆に配れるように講義ノートを送れと言われているのだが、あと数日では申しわけないがどうしようもない。せめてちゃんとした講義を出来るように頑張らないといけない。

しかしながら今日はもう眠くなってしまった。


Mar 14 21:56, College Station

ひどいことになっております。

昨日は朝から徐々に雨足が強まる。食堂で昼食を食べて、そこにいた # と軽く議論をしてから、旅行に必要なものを印刷していると、ますます風雨が強まって、なんども一瞬停電しては回復するのを繰り返すようになった。これは近くで木が倒れて電圧が一瞬変わるからかなにか知らないが、これはそろそろまずいなと思っていると本格的に停電する。これが4時ぐらいだったと思われる。

さて、まだスーツケースを詰めていなかったので慌てて家に戻って、日のあるうちにまずはそれを済ませる。研究所のまわり以外は大丈夫だろうと思って、夕食を暗いところで料理するのも何なので、Wegmans に何か買いに行こうとするが、車で出てみるとそちらに行く道が渋滞になっている。遠くに行くのは得策でないと、Wawa に行き先を変更するが、Lovers Lane から Stockton Rd に出てしばらく行った交差点で倒木が道を塞いで警官が出ている。Library Place で曲がって Mercer St. の工事中でないところにでて、Alexander St. に行くと、ちょうど電車の駅のところでこれまた倒木でこちらは車をひとつ潰している。

まあ幸い Wawa は普通にやっていて、食べるものを購入、来た道は逆向きは渋滞しているのをしっているので、College St. を通ろうとするがこちらも倒木。仕方がないのでのろのろと家まで戻る。まあ頭上に木が降ってこなかっただけ良しとせねばならぬ。

家に戻るともう暗くなってきているので、マッチでガスコンロをつけて暖かいものを淹れ、軽く夕食にして寝ることにする。

さて、よく寝たので朝早く起きる。今朝になっても電気は回復していないが、早朝に雷が通ったあとは晴れ目が出てきた。というわけで、歩いて駅まで行くと、プリンストン支線も止まっており、来るはずの振り替えバスも来ず皆さんこまっている。困っている人四人でタクシーを捕まえて Junction 駅まで降りるが、途中もすこし冠水していたり、ひどい状況だ。

タクシーに同乗の学生さんによると、Alexander 通で潰された車は運転中だったようだが中の人は幸い無事だったとのこと。良かった。

まあその後は普通に電車で Newark まで、Houston 経由で College Station まで。結局研究所が停電から回復したのは午後5:30までかかったようだ。Houston では同業者が沢山居るかと思ったが、どうもそれほどでもなかった。College Station までのプロペラ機からは夕焼けが綺麗だった。

今日から夏時間だが、一時間時差のあるテキサスまで来たので、結局何も変わっていないことになる。


Mar 13 00:11, Princeton

昨日は曇り。出張だからとおもって冷蔵庫の中身を徐々に減らしていたら、またペースを間違えて殆ど空になってしまったので、夕方に買い物に行く。

その後は夕食後急に眠くなって朝まで寝てしまった。

今朝は雨。大学まで車で行って小研究会の午前の部に出る。Myers さんと Son さん。どちらも非常に明快な話

昼食が出たので食べていると、突然指示があって、隣の建物に爆弾を仕掛けたという脅迫電話があったから避難せよという話になる。こんなのははじめてだが、他に用事もあったので丁度良いとおもって # と研究所まで戻ってくる。

午後は # と共にいろいろと計算。ようやく辻褄が合うようになって、全貌が垣間見えるようになった。

夜はまだ雨が降っているが、明日も旅行の準備で忙しいので洗濯物だけしておく。


Mar 11 01:09, Princeton

今日は空全体を雲が薄く覆っている。それでも暖かい。

今日は計算は # に任せて、ずっとスライドの準備をする。@ 先生が数学科のセミナーにいらっしゃっていたので # とで捕まえる。また少し助言を貰った。

夕食後もずっと準備をつづける。一応第0稿が出来たので切り上げてねることにしよう。# も計算が随分うまくいったと言っている。


Mar 9 23:20, Princeton

今日は # と二人で計算に勤しむ。昨日の助言のお蔭で、計算の辻褄が合うようになってきた。

あとは来週話す為にスライドの準備をするが、なかなか進まず。

今日も過ごしやすい一日だった。昼は東京より暖かいようだ。研究所の池にたつさざ波を眺めるのも随分久し振りだ。お茶の時間には皆さん Fuld Hall 前で日向ぼっこをしている。


Mar 9 00:57, Princeton

今日も良い天気、昼は # と歩いて大学まで、物理で $ のセミナーに出た後、数学の幾何学/表現論セミナーで % が喋るというのでそちらを聞きに行く。セミナー後は @ 先生に質問もしてみた。そちらのセミナーは終わると街に出て Triumph で飲むというので、ノコノコとついていってビールを飲んでカラマリを摘む。

さて、また本屋によってから研究所に戻って、@ 先生に指摘されたことをやってみようとしてみるが、徐々に酒が回ってきてミスをしてばかりなので放棄、しばらく寝ていた。ちょっと目が覚めたので日記を書いたが、また寝よう。


Mar 8 00:29, Princeton

今日はますます暖かい。昨日と同様街まで歩くと風が気持ちよい。いつものカフェでは & に会ってしばらく雑談をする。

昨日つい本を2冊買ってしまったが、先週空港で買ったモンゴル帝国の歴史の薄い本を読み終えていなかったので慌てて読んだ。著者はアメリカ人だが、ソ連崩壊後のモンゴル解放時に、そちらの研究者と共に元朝秘史に従ってステップを駆け巡ってフィールドワークをしたそうで、序文と結語に少しだけ載せられたその時のエピソードが印象深かった。なんでもソ連時代は民族主義につながるということで元朝秘史は禁書になり研究者は迫害されていたそうで、大変な話だった。


Mar 7 00:19, Princeton

今日は晴天で10度まで上がって暖かくて良い。

研究所の食堂に昼食に行ったら、いつもほど良いものが出なかったので少々残念だった。土曜はいつもその週に余った材料で作ったものが出るのだが、あまりいいものが余らなかったのだろう。しかし、デザートのほうはいつになく美味しいものだったので満足出来た。

暖かいので自転車で街まで行こうとおもうと自転車がない。家の前にも研究所の前にもないようだ。というわけで徒歩でてくてくと歩いて行く。いつものように本屋とカフェに寄る。

本屋では "Latin Alive" という新刊があったので購入。日本語なら「現代に生きるラテン語」とでもいう本で、ラテン語から現代ロマンス語に至るまでの概説のようだ。もう一冊マロリーの「印欧語族を探して」を買う。

それ以外は月末にしないといけない講義のノートを作りはじめる。ー時間を4コマ話さないといけないが、そんな長い話はしたことがないので、どれくらい用意すればいいのか見当が付かないのが困った。


Mar 6 01:03, Princeton

今日は # がこのあいだの % 先生との論文の話をセミナーで。一月に % 先生による話を Stony Brook で聞いていたのもあって、徐々に何をやっているか掴めてきた気がする。

# とやっている計算のほうは相変わらずだ。

いろいろ状況証拠から A=B だと思われて、いろいろ計算しているとうまく行く兆候がある。しかしいくら計算しても最後まできちんと上手くはいかない。A は自分たちで計算出来るが、B は自分たちの理解度が足りないので論文に書いて有るのを鵜呑みにする以外にできない。そうすると、A の方で微妙に計算間違いをしていて、そちらが修正されれて A=B になれば良い、と思って、A の計算を何度も見直すのであるが、どうもそちらは正しいようだ。ならば B を本格的に勉強しないといけないということになる。

食後も打開策はないかぼんやり考えていたら日付が変わっていた。


Mar 4 23:37, Princeton

夕暮れ。

そういえば昨日は昼に買い物に行ったのを書きわすれていた。あとは停電の日に救ってくれた # 夫妻に日本のお土産を渡すととても喜んでもらえたのと。

最近こちらも案外暖かいので、気分転換に外をふらふら散歩してみたりするが、雪による木立の被害は案外大きいようで、いろいろな木の枝が折れたままになっているのが見える。研究所本館接して南側の大木も一番低いところから出ている大きな枝がひとつやられたようで、昨日までは痛々しい姿を晒していたが、今日の昼に綺麗に切ってしまったらしく、切断面と地面に木屑がひろがっているだけになった。

今日も計算は一進一退だ。


Mar 3 23:41, Princeton

昨日今日と小雨が降る。昨日の夜は旅行疲れが溜まっていたのか、夕食後に急激に眠くなって、少し寝ようと布団に入ると朝まで寝てしまった。結局12時間近く寝た気がする。

昨日今日は計算をいろいろするが、どうもうまくいかないので心にわだかまりがある。


Mar 2 00:06, Princeton

今日は久し振りに研究所の居室で一日過ごす。これもいいものだ。昨日から書き始めた原稿を一応仕上げてしまうのに一日費やす。あとは少々議論。

気温は7度まであがったとか、雪がどんどん融けてゆく。


Mar 1 00:47, Princeton

今日は12時ごろに起きて、ぐうたらする。買い物に行って冷蔵庫を埋める。

夜はすこし仕事をはじめたら、こんな時間になった。時差を直さないといけないので、切り上げて寝ないと。