May 31 22:53, Princeton

朝研究所へ行くと、今日からしばらく滞在中の + が #議論していたので、参加して楽しんでいると、@ も現れて昼食時まで大騒ぎだった。

ちょうど良い機会なので、来週の「弦理論と数学」研究会の予稿に書いた、最近やっている話を数学者にも判るように定式化しましたという話をどう思うか聞いてみたら、その定式化がそもそも良くないと「けちょんけちょん」に言われる。まあ指摘された点は全くその通りなのだが。

その他は $ 君とメールで議論を進める。

また宿舎の鍵を閉じ込めてしまって、警備員さんに開けてもらった。


May 30 23:50, Princeton

朝の五時頃大雨が通って、雷が近くにいくつか落ちたようだった。

雲が通り過ぎると、暑い夏の日。31度まで上がったとか。休みなので街で大学の $ 君と落ち合って昼食に。その後は夕方まで大学で議論。

研究所に戻って少々雑用をする。


May 29 23:42, Princeton

プリンストンは暑い。今日は28度まであがったとか。今年は芝生が枯れてしまわないよう祈りたいが。

車で街に行っていつもの喫茶店で昼食、その他買い物等。

一度家にもどって Wegmans まで食料品を買いに行く。車のワイパー液が切れたので探すと、3L入りの大きなものしか無かった。それでも $2 也。

夕方は洗濯、その間ひさしぶりにピアノを弾くなど。

明日は戦没者記念日でお休みだということを知った。


May 28 23:35, Princeton

今日は移動日。ホテルで朝食後、RER でシャルル=ド=ゴール空港まで。路線工事の都合か何かで、パリ北駅からは本数が減って、地上ホームまで行って乗り換えないといけなかったが、まあ何とか空港には着く。

手荷物検査を済ませたあと、コーヒーを飲みながら搭乗を待っていたら、母と同じぐらいの年の日本人のおばさまが同様にコーヒーを飲みながら疲れた顔をしていたのでしばらく雑談する。フランス一周のツアーに参加していたそうな。

さて、ニューアーク行きに搭乗したのはいいが、なんでも地上係員がストライキ中だそうで、預けた荷物の積み込みに数時間かかって、午後一時半発のはずが離陸まで機内で結局午後四時まで待つことに。隣のフランス人の方が、フランスってこうなのよねぇとおっしゃる。待っているあいだに飲み物が出たりもした。

飛び立ってしまえばスムーズな空の旅だった。機内食もおいしく、エールフランスにして正解だった。行くときより帰りの機内食がおいしかったのは、パリで積み込んだからか。

八時間の飛行ののち着陸、ここで入国審査に長蛇の列で一時間待つ。

お腹が減ったので荷物を受け取ったあとに空港で軽く夕食にした。折角アメリカに戻ったのだからと Wendy's でハンバーガーを買った。

電車を乗り継いでプリンストンまで。丁度駅を降りて家まで歩き出したところで花火が始まった。Graduate college のところに皆さん集まって眺めているので、僕もおしまいまで見ていることにする。

花火を堪能したあと、残り半分を歩いて、ようやく帰宅。疲れた。


May 27 23:26, Le Guichet

今日は曇り気味で涼しい。研究所まで行って一日 $ と議論をする。

昼過ぎはこちらの文献紹介があったので参加。

夕方はまた # 君と Gif まで行って、軽く夕食。またクレープ屋に入ったら、今日は一昨日とうって変わって満員だった。金曜日だからだろうか。

さて、滞在も終えて、明日は飛行機だ。


May 26 23:06, Le Guichet

今朝はパリ市内でパリ近郊弦理論グループ合同のセミナーがあって、最近 %君とやった仕事の話をしてきた。案外質問も出てまあまあの出来か。もう一人の発表者は $

セミナーは昼まで、昼食は近くのパン屋さんでサンドイッチを買って皆さんで雑談しながら。昼でお開きなら、折角パリまで来たのだから美術館でも行こうかと昨晩は思っていたのだが、昼食後も結局 $ と学生さんと、またその後は & と議論していて、結局夕方になってしまう。

ということで電車にのって Le Guichet まで戻って、駅前のレストランで夕食にして、ホテルに戻る。


May 25 23:02, Le Guichet

研究所のバラ。

昨日今日と、研究所でのんびり過ごす。次はどんな計算をしてみようか、と頭を捻る。また、こちらの先生方やらポスドク連中と軽く議論をしたり。

昨日の夜は Gif まで行って、いま IHES でポスドクをしている # 君と地元の上等のレストランに入った。これまた美味しい。食前酒だけ飲んでしまった。

夏時間で日が長いので夕食後もまだ日が沈んだ直後だった。というわけで河原の散歩道を雑談しつつ Bures まで行き、そこから電車でホテルまで戻った。

ホテルでは計算をはじめてみたらなかなかうまく行かず、考えているうちに日記を書きそびれて、寝てしまう。

今日の夜も研究所から Gif まで歩く。途中の通りに Rue de la Source Perdue (失われた源の小道) という洒落た名前のところがあった。夕ご飯は軽く、と思ってクレープ屋に入ると案外ボリュームがある。

今日も川沿いに La Haquinière まで散歩して、電車で宿に戻ってくる。


May 24 00:04, Le Guichet

今日から一週間は CEA の IPhT に滞在。Le Guichet の駅前からシャトルバスに乗って、五分ほど高台に登る。Yvette 川が Chevreuse 谷をつくっていて駅は低いところにあるのだ。

一日議論やらなにやら。昼食はカフェテリア、なかなか美味しい。

夕方は研究所裏の岡の散歩道を下まで降りる。急な坂になっているところは開発されずに森になっていて気持ちが良い。

夜はホテル近くのレストランに入ってピザを頼んだ。釜で焼いてくれて出来立てだ。ビールを飲んでいて、ふと、ヨーロッパに来てから毎夕食に酒を飲んでいることに気付く、といっても一杯だけだが。明日からはやめておこうか、と思った。


May 22 22:27, Brussels

Yvette 川。

今日はパリまで戻ってくる。特急が着いたのは Bruxelles midi 駅だったから、と、毎日地下鉄で大学に行く際に通過していた Bruxelles central 駅で降りてみると、どうも見慣れない。しばらく駅の案内をみていると、どうやら midi というのは middle という意味では無くて南という意味で、 central 駅とは別なのだった。

駅の地図によれば丁度中央駅と南駅のあいだは旧市街のようで、たいした距離でもないので折角なので歩くことにする。大聖堂やら骨董品街を抜けて悪くない散歩だった。

そこから Thalys の特急でパリ北駅まで、1時間15分。30分ほどは論文を読んでいたが、眠くなってうとうとしているうちについてしまう。

そこからは RER B で南下して、今回は Le Guichet のホテルに泊まる。

夕食をどうしようかと思うが、Le Guichet は小さい街で日曜は開いていないから、Gif-sur-Yvette まで行くことに。Gif の街をしばらく散歩したあと結局月曜と同じ店に入ることにして、本を読みながらビールを傾ける。

独り者の旅行だけれども、自由で悪くはない。


May 21 22:57, Brussels

聖カタリナ聖堂前広場。

研究会がはじまって、時差ぼけやら忙しいのやらで日記を書く暇がなかった。

16日は IHES での研究会。Vafa 先生の話は明解だった。その他自分も話をする。夕方は Gif-sur-Yvette まで $ 先生と # 君とで行って、駅から近くのレストランに入ったら、丁度 % と @ が居たので一緒に夕食にする。Bures まで戻って、夕暮れの中を # 君と四方山話をしながら散歩をした。人懐こい毛並みの良い猫が寄ってきて猫好きの # 君が喜ぶなど。

17日も IHES での研究会。午後四時ごろまで参加していたが、移動のためおしまいの講演は出られず。RER B に座ってパリ中心部まで戻ると、何かの不具合か電車の本数が少なく、パリ北駅に着く頃には東京の朝の混雑並で降りるのが一苦労だった。

Thalys の特急でブリュッセルまで、田園風景を眺めるのは楽しい。一面の畑の中に木立が少々、そして遠くに教会の塔が見える、など。一時間半ばかりで到着、聖カタリナ聖堂脇のホテルまで地下鉄で移動。

ホテルではちょうどプリンストンから着いたばかりの親友 & が居たので、一緒に夕食に行く。彼は服装も恰好良いイタリア人で、煙草を吸うの姿もきまっているのでオタクの僕が横に居ると場違いな気がしないでもない。どうせ講演者は会議から夕食代が出るのだから、と奮発してホテル近くのレストランで「オマール海老の宴」なるものを食べた。これは美味しい。しかし次の日に、旅費以外は払い戻しが受けられないことが判った。

18日からはブリュッセルでの研究会。会場はブリュッセル自由大というところで、地下鉄の Delta 駅まで20分ほど。大学は日本訳してしまうと分からないが、オランダ系の Vrije Universiteit Brussel とフランス系の Université libre de Bruxelles に随分前に分裂してしまったらしく、会議はフランス側である。弦理論グループは両側にあって仲良くやっているらしいが。Leuven でも同様の事態になっていて、そちらは分裂時に図書館の論文雑誌の偶数号はフランス側、奇数号はオランダ側という分けかたをしたとか。

* はマンハッタン、パリとブリュッセルとで同じ話をしたので、僕は三回聞くことになった。流石にこれだけ聞くと判った気になる。

講演をする人は皆同じホテルに泊まっているので、食事に行くのは便利で良い。18日の晩はベルギー出身の * のお母様お薦めという魚料理の店に &, =, ^, * と + で行ってきた。Pollack なる白身魚を食べる。美味しい。

ブリュッセルは全般に魚介類がおいしいようだ。ホテルと聖堂のあいだにも、Nordsee/Mer du nord という魚屋があって、軒先に沢山魚が並んでいる。

また、昼食は ULB のカフェテリアだが、流石フランス語圏だけあってなかなか美味しい。

19日も朝から晩まで研究会。& のトークでは、M-theory circle が bolt になる際に IIA 解釈が分かっていないと聞いて衝撃を受ける。2011年になってそんなことが判っていないとは想像もしなかった。

夜は研究会のバンケットで、中央駅あたりのレストラン。僕は !、?、[] という東アジア人組でテーブルを占めていろいろと雑談。

20日はまた僕が話す番。大体おなじ週に研究会があるのはおかしいが、世話人同士が協調性がないのではないか。参加者もかなり被っていて、両側で見るひとも多数。というわけで僕はパリとは違う話をした、といっても、三月に名古屋で話したものとほぼ同じであるが。笑いも何回か取れて、時間通り終わったから悪くは無かったのではないか。

夜はホテルに戻ってみると {} から > と < と食事に行かないかという連絡がはいっていたが、既に = と & と食べに行く約束をしていたので、一緒に大勢で行くのはどうでしょうと言ってみるものの {} は乗り気でなかったようだ。{} は真面目に議論をするつもりだったのではないかと思われる。こちらはしばらくしてから = と & と、更に丁度ホテル玄関で会った ^^ とで = が ULB の友人から聞いてきたお薦めのレストラン、Fin de siècle に行く。兎を食べる。これまた美味。

さて毎日美味しいものを食べた話しか書いていないが、実際ブリュッセルは食事が美味しく、町並みも心地よいところだ。中央駅等汚いところもあるけれども。

普段ならそうしてレストランから戻ってくればホテルの部屋でのんびりしているのだけれども、先週金曜に似た論文が出たという事件があったので、今週は部屋に戻ってくると早速プリンストンの同僚へ Skype をつないで議論をしつつ論文をひたすら詰めていたのだった。すると日付が変わって、寝て、また研究会へ行って、というのの繰り返しで、日記を書く気にならなかった。

今日土曜日はブリュッセルに留まる。この出張の予定をいれた時点では、今日は軽く観光でもしようと思っていたのだが、それどころではなく、朝食後は部屋に籠って論文の作業。

朝食時にホテルの朝食場所に = が居ていろいろ雑談できたのは良かった。

昼は聖堂までのあたりを散歩していると、美味しそうな Galette 屋さんがあったのでハム、卵、チーズのガレットを食べる。ブルターニュ名物をブリュッセルで食べてどうするかという気もするが、美味しかったので良し。作業中でなければ店の他のお客さんは皆頼んでいたシードルを僕も頼んだのだが、コーヒーにしておいた。

ホテルに戻ってまた作業、ようやく一箇所辻褄があっていなかったところが解決したので共同研究者に送り返して、僕としては一段落したつもりになる。時計をみると4時、ネットで美術館の案内を調べるものの五時閉館だというので諦めて、またあたりを散歩することにする。

夕食は静かなところでのんびりしたかったので、聖堂前広場の人の少なめのレストランに入って、若干季節外れの気もするもののベルギー名物ムール貝の白ワイン蒸しを食べる。これまた旨い。店主は地元の気のいいおじさんのようで、なぜあまり流行っていないのか謎だった。食後にウェイトレスさんにカフェラテを下さいというと、カフェオレね?と言う返事だった。

食後もすこし散歩して、あとはホテルで休憩、そしてこの長い日記を書いた。


May 15 22:42, Bures-sur-Yvette

14日はのんびり起きて、共同研究者にメールをいろいろ送ったあと、街に昼食に行くことにする。

薄曇りではあるが気候も悪くないので歩いて行こうと、スーツケースを引きながら Olden Lane をてくてくしていると、丁度車で研究所まで来た % とすれ違った。彼は随分良い奴で街まで乗せて行ってくれた。

Chez Alice で昼食やら読書やら。先週注文していた本が届いたという案内も先日あったので、本屋に行って受け取ってくる。その後は電車の駅まで行って、空港まで。

今回は Air France にしてみたが、アメリカの航空会社より断然良かった。

パリに到着すると15日の朝。空港で軽く朝食を取ってから、RER B でパリを縦断、Bures-sur-Yvette まで来た。切符を買う際にいくら言っても駅の名前を判ってもらえず、結局アルファベットを読む羽目になったが、正しい発音はなんだろう。

日曜夜は店があらかた閉まっているので、夜は # 君のおうちにお邪魔させてもらって夕ご飯を頂いてしまった。


May 14 00:33, Princeton

今日は大学で @ のセミナーがあるが、来週ブリュッセルで同じ話を聞くので今日はサボって一日用事をする。

夕方はまたピアノの練習、夜はスーツケースを詰めた。小さい頃は遠足だって大事だったと思うが、二週間海外へ行くのに三十分で準備が済むのは何故だかわからない。


May 12 23:58, Princeton

あやめ。

今日も晴れて、良い風が吹いて気持ちが良い。そとを散歩すると上空を何羽も鷹が舞っていた。

昨晩 twitter で % 先生に教えていただいた数学の面白い話を同僚に説明してみる。

また、週末からの出張先の天気はどうなのか、ホテルが何処なのか、どうやって移動すればいいのか等ようやく調べるなど。

その他、夕方珍しく研究室の電話が鳴ったので何だと思ったら、$ 君が共同研究の詳細の話

夜はすこしだけピアノの練習。

家に戻って arxiv の今日の論文を確認すると、丁度夕方話をしていたのと殆ど同じ内容の論文が出ていてびっくりする。


May 11 23:39, Princeton

研究所前の花。

昨日は頑張ってもうひとつのトラペを作る。お茶の時間から夕方は $ 君としばらく議論していたが、それと Whole Foods に行って買い物をして夕食にした以外はひたすらパソコンに向かっていた。

話の構成も自然な流れが思いついたので、案外進捗が速く、日付が変わる頃には一通り出来上がった。しかし、セミナーの準備をしていると、実際にセミナーをするときと同様興奮してしまって、落ちついて眠れるようになるまで時間が掛かってしまった。

というわけで今日はあまり使い物にならない。返事をしないといけないがほうってあったメールやら、読んだが書き上げていなかったレフェリーレポートやらを微妙に眠い頭で処理する。

夜は洗濯をしているあいだピアノの練習。


May 9 23:24, Princeton

部屋の前の白い花が満開です

今日は晴れて気持ちが良い。研究所の玄関の白い花も満開だ。

締切が来ていた年次報告等を書いて、来週のトークのうち既にほぼ同じ話をしたことのあるほうはスライドを組み換えて絵を数枚入れ替えて作ってしまった。

残りの時間は = と ? と簡単なはずの話について散々議論をするが、より混乱して終わった。

というわけで明日から数日でもうひとつのトークを作らねばならないが、こちらは去年論文を書いてから話したことが無いので構成から考えないといけない。


May 9 00:02, Princeton

もう初夏です

今日は晴れて、外を歩くと汗ばむくらい。

街まで行って、コーヒーを飲んで、大きくあたりを回って、森から研究所へ行く。

その後は夕暮れまで原稿に手を入れて、日本に送り返した。

その他締切が来ていた文章をひとつでっち上げる。もうひとつこちらの研究所の年次報告も書かないといけないことを思い出した。

次の土曜日から出張だが、それの準備もはじめなければ。

というわけでいろいろとしないといけないことがある。


May 7 22:53, Princeton

雲間からの光。

昨日はニューヨーク市にある Stony Brook 大学の分室で Simons Center 主催のセミナーがあったので朝から電車で一時間半かけて参加してきた。

講演したのは D. Green、D. Jafferis と F. Denef 。ただ、僕の主目的は弦理論の中でも興味を同じくする Stony Brook 組の皆さんと四方山話をすることだったので、講演のあいまの休憩時間は和気靄々と喋り通しだった。

夜は通りを渡って反対側のイタリア料理屋でおいしい夕食。% さんと = 先生がイタリア語でお店の人に注文してくださっていたので、ちょっと外国に来た気分だった。

食後にコーヒーはどうだとお店の方が言うので、申し訳ないがカプチーノを下さいというと、案の定テーブルのイタリア人連中からそんな馬鹿な、カプチーノは朝に飲むものじゃないかと横槍がはいる。

帰りの電車は同様にプリンストンから来ていた $ 君と半分議論、半分雑談をして帰った。

今日は気分を入れ替えてパソコンに向かってまた原稿の推敲。

昼下がりは買い物に行って、家に戻ってお茶を入れて休憩していると急に眠くなったので寝てしまった。

夜はチャーハンを作った。


May 5 23:17, Princeton

夕陽に輝くハナミズキ。

今日は晴れて気持ちが良い。

一日パソコンに向かって原稿を弄る。ようやく見られるようになってきたように思う。

夕方は青空に誘われて街まで散歩に行った。

いつもの本屋で本を二冊注文したら、オンラインストアがあるからそこで注文したら家に直接届けられるけれども、と言われた。良く本屋に来るからここで受け取れると便利なんだと答えたが、そういう時代か。

あとはいつものコーヒー屋でデニッシュを齧る。

夕焼けのなか家に戻ってくる。夜はしばらくピアノを弾いた。


May 5 00:22, Princeton

今日は小雨、最高気温は13度。

昼は僕が話をする番。一年半ぐらいやっている話をする。最初は基礎的なところからはじめて、55分たったところでちゃんと判っているところまで説明が終わって5分余った。そこで、判っていないところで何に困っているかを説明して終わりにしようと思うと、やはり判っていないところは簡潔に説明出来ず。質問も噴出して結局25分ほど超過してしまった。まあ先生方がお仕舞まで質問してくださっていたので悪くは無かったんであろうが。水曜は非公式内部セミナーでもあるし。

しかしながら残り五分のところで切り上げておくべきだった。

夕方まで $ 君と % 君と議論。彼らが帰ったあとは @ と + と雑談のような議論のような。その後はパソコンに向かって原稿を弄る。

一日にもっと時間が欲しい。


May 3 22:10, Princeton

日曜夜、日記を書いた後、ポーランドといえば、以前シマノフスキのピアノ全曲集のアルバムを集めはじめて揃えていなかったのを思い出した。何故全巻 CD を買わなかったのか理由を覚えていなかったが、iTunes Store で探してみると、おしまいの第四巻は 2005 年発売とあって、集めていたのがこれまた iTunes のデータベースによると 2003 年だそうだから、道理で揃えられなかったはずだ。

というわけで早速購入して聴く。

昨日は大学で # が彼と $ の最近の 論文を紹介するセミナーがある。皆さん興味があるようでセミナー室は盛況だった。

夕方まで @ 君と* 君といろいろ議論する。家に戻って、軽く夕食にして、また研究所にいって少々仕事をしていたら夜が遅くなった。

というわけで日記を書きそびれて寝てしまう。

昨日はまだ20度を越えたぐらいで涼しかったのだが、今日はまた最高気温が 26 度、変化が激しくて困る。アメリカに来た頃花が咲いていた本館脇のカエデの大木の種がもう実りはじめて、気の早いものなどくるくる周りながら落ちてきている。

昼は明日黒板で話す話を準備する。

また、% 先生と & の論文がとうとう出来たとかで、何かコメントがあったら言ってくれと原稿をもらった。有り難いが、夕方には投稿したとかで、そんな短時間でコメント出来るものか。取り敢えず見当たった誤植を伝えておく。

その他いろいろ用事をこなす。

Szymanowski のアルバムが気に入ったので、一曲弾いてみようかと「民謡変奏曲」 の楽譜の一ページ目だけ印刷して夕方ピアノに向かってみたが、当然ながら非常に難しいことがわかった。


May 1 22:46, Princeton

これは何でしょう?

今日は20度弱。空も一日うっすらと曇っている。

昼過ぎまで用事をしたあとは、一日休憩にする。

昼下がりから街に行って本屋に。日本から持ってきた本、来る前に注文してあって届いていた本を全部読んでしまったから、一冊購入。

本屋のウェブサイトで中世ロシアの本が在庫とあったのでそれを目当てにしていたら、棚に無く、お店のひとも首をかしげていた。というわけで、眺めていた東ヨーロッパ史の棚に並んでいたポーランド史の本を買ってくる。

その後はコーヒー屋で早速それを読む。

夕方は Triumph で # 夫妻、% 君、@ 君と夕食、体に悪いアメリカンなものを食べた。デザートは Bent Spoon でアイスクリームを食べる。

夏時間でまだ日があったので歩いて帰ってくる。