自己紹介/主張
Oct.5,1979 | 中秋の名月に生まれる
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1982 | 腸炎で生死の境をさまよう
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Apr,1992 | 私立灘中学校に入学
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Jan,1995 | 阪神淡路大震災に遭遇
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Apr,1998 | 上京
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Oct.5,1998 | 再び中秋の名月に誕生日を迎える
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立川裕二(たちかわ/ゆうじ)、
東京大学理学部物理学科。岩国育英財団と杉山報公会から奨学金を頂いている。
- 興味は主に理論物理、それに必要な数学。ただし物理的に重要でないところの数学的厳密さには耐えられない。具体的な粋な理解を好む。テキストを読んでいるとこれはこうすると解けた。この問題はこのように解かれた。とばかりあって、そのこころを感得してほかの疑問解決につかえるようになるかもしれないし、実際それはそうなのだが、そのようなおあつらえむきの疑問にめぐりあうだろうか。結局は何か疑問があると自分で編み出して解決せねばならんのだろうが、いままで学んだことで解決できそうにない問題にめぐりあっても、テキストで既成の問および解を学ぶことに逃避してしまう。
- 理論的説明を必要とする人と、博物学的列挙を好む人とに分類するなら、困ったことに僕は後者に属するのだろう。ひとからは前者に見えているかも知れないと思うが、単にさまざまな理論的説明の博物学的列挙に満足しているだけだ。
- 趣味はピアノ。Bach。最近無茶してロシア人に手を出した。人が聞いていると意識すると指がもつれる。独りで弾いているのが好きだ。叫ぶかわり。聴くのは鍵盤楽器ソロと弦楽重奏を好む。
- あいかわらず運動神経を持たないのだろうが、ここ2年ほど運動を強制されないのでそれをコンプレクスに感じる必要がなくなった。毎日学校まで片道20分の坂道を自転車で通っている。
- 空を見上げることを好む。一方でうなだれて歩くことをも好む。夕空と虹、桜、いちょうを好む。雨の音を好む。9cm の屈折望遠鏡で空を見上げたら土星の輪が見えた。自分がこの太陽系の中に、銀河系の中に、局部銀河群の中に、この宇宙の中に生きていると実感しているだろうか。自分が細胞から、原子から、素粒子からできていることを実感しているだろうか。このような還元論が気に入らなければ次のように言い換えてもよかろう。この世の特徴的なそれぞれの大きさにおいて、我々が既にかなりの科学的理解を得ているとは、どういうことだろうか。
- 哲学の本を読まなくなって久しい。
- 突然昔読んだ一節/会話した内容を思い出して反芻する癖がある。考え事の最中にこれが起こって何を考えていたかわからなくなってしまうことが良くあるので、読書/会話は避けなければならぬ。特に、後々まで記憶に残る興味深いものを避けなければならぬ。現在帰省中で、物理を解さぬ人との付き合いが異常に増えた。また昔買い集めた数学セミナーや日経サイエンスなどが山のようにあって、本業がおろそかになっている。沢山のことに手を出してしまう癖はずっとつづいていて、昔それでは立花隆にしかなれないと諭された記憶がある。ひろくあさく、せまくふかくという対照に欠けているものがある。金塊を探すには、どのあたりを掘るか、その近くで何箇所掘るか、深さはどうするかの3要素があるのではないだろうか。僕は視野を狭くし、穴を深くすべく色々講じてきて、めでたく掘る場所は狭まってきたが、結局単位時間あたりの掘る箇所の数は変わっていないようだ。よって深さも変わっていないわけだ。
- 友人は〇〇人いる、と書きたいところだが、小学校から中学へ、高校から大学へと変わった際になりゆきで友人であった人とはほぼ完全に縁が切れてしまっている。興味を共有しなかったからで、これからはそのようなことはないと信じているのだが、かといって興味を共有するらしい相手とは親密に付き合う結果、微妙な差異が判明して受け入れ難くなってなりゆきで友人であっただけなのかと僕が誤解するのであっては、どうすればよいものか。
- 会話をしていてすこしカチンと頭にくると指数関数的に興奮して大声でわめいてしまい、そこでハタと自覚して口をつぐむ。
- 思考を必要とするゲーム(囲碁将棋チェス、トランプ系)は全く駄目。先を読めない。
- 僕が研究したいかとは別にして、生命の本質、意識の本質を科学的に扱うことにはとても興味がある。しかしたとえばパソコンの window system の本質を知ろうと思っても、それはパソコンを分解して各部品の物性を調べてもわからないし、チップの中の電流の変化を追跡してもわからないし、機械語になった羅列をみてもわからないし、ソースコードを見てもわからないだろう。プログラマの意図を知らねばならぬ。それはプログラムの応答からもっとも直接に得られるのではなかろうか。数学畑の人にわかるように言えば、実数の本質は集合論的構成にあるのではなく、完備順序体というそれが示す性質にあるだろうということだ。
- 「〜は知らない」ことこそ正しいという顔で「〜は知らない」と口にする奴は嫌いだ。
「やりたいことは今探している」ことこそ正しいという顔で「やりたいことは今探している」と口にする奴も嫌いだ。
自分の本分をほっぽりだしてボランティアせよ、というのには閉口する。
人助けが天職になるべき人もいるだろうが、人口の何%だろうか。
- 感情的ハト派。であるからまず戦争が起こったら強い側に逃げられる程度に学問せねばならぬ。各個人が自分の命を最優先に考えれば戦争は起こるはずが無い。自分が団体行動するのは大嫌い。せいぜい3人。また他人を動かしている人を見るのは嫌い。だから野球、サッカーは嫌い。特定のチームに心酔できる人は戦争時には国家に心酔するであろう。よって彼らは人類全体にとって悪影響を与えているのである。
- 最近日本の与党および政府の愚かさを嘆き、日本の未来を憂う行為が流行しているが、そのような国粋主義的な考え方が許されてよいものか。
- 学生のあいだに世界を旅したなど、さまざまな経験を積み、視野の広いのを自慢する輩をよく見かけるが、えてしてそういう奴は現在の、地球上の、人間に関することしか考えられない、まったく矮小な視野しか持ち合わせていないものである。
- 同じ単語でも用い方が異なることが良くある。それに根ざした誤解で互いの主張を読み取れない経験をバイト先での講師会議で繰り返した。結果話をする際は相手に何と思われようと判らないことはずけずけ聞く癖がついた。これにより議論の食い違いがさっさと判る。がそれに慣れない相手には僕は言葉尻にこだわる単なる揚げ足取りに見える。それは理解できる。以心伝心できれば最善であるが、通用しない場合もままある。その場合でも相手に伝わりうる状態まで自分の主張を明確にしておくことは非常に有用である。その過程で弱点難点を発見することが出来る。
- これもバイトなどの経験からだが、ことばをこころのなかで緻密に分析すれば正しい解釈が得られると思っている子供達が多いようだ。しかしある程度は人の作った単なるきまりごとで、残りのほぼ全ては外界に聞かねばならぬのが実際ではなかろうか。
- 若者がタバコや酒を飲むのはそれが法律上20歳以上にしか許されていないからである。あの法律をなくせばみなあんなもの飲まなくなるに違いない。
- 物理をまなびたてのころは第1原理から基礎方程式を導くことに興味をそそられたが、J.A. Wheeler 曰く実験で検証された基礎方程式が許される第1原理を決定するのである。実験の理論負荷性といって、見たいものを見てしまうというのとは別に、実験で測定するってったって測定結果の解釈に理論がいるじゃねーか。というのがあるが、実験結果の解釈につかう理論は既に数10年以上前に確立していて、検証したい理論そのものではないことは教養学部時代の講義では聞かなかった。
- 多くの物理学科の同級の人が思っている以上に数学科のひとは我々から離れているのだ。奴らの大半は実数や複素数は使わないのだ。というとじゃあ何をやっているのだ、と問われる。
(2001年1月1日)
Written by 立川裕二。メールは
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