Aug 30 21:50, Bunkyo-ku

今日は猛暑が戻ってきた。暑い。

登校中、大学内を散歩中のご老人に道を聞かれた。方向が一緒なのでしばらく話を聞いて歩く。

? 君と議論の続き、夢が膨らんできたが、そううまくいくだろうか。昼は正門近くの蕎麦屋、夜は赤門近くのインドカレー屋に行く。

その他、昼には久々に会議がある。

昨日までの予報では、今晩から台風の近づくのに伴って雨になって明日には暑さもましになるとのことだったが、来るのが遅れていて、数日猛暑が続く由。


Aug 29 23:00, Bunkyo-ku

昨日の写真ですが、三四郎池の夕暮れ。

徐々に暑くなってくる。

論文を読んだり、? 君と議論をしたり、で一日が過ぎる。相変わらず # の追っかけで多少情けなくはあるが、面白そうな題材が見つかったので、それでも考えようかということになった。少なくとも # の論文をより良く理解する助けにはなる筈。

午後三時には彼が来てからは彼とコーヒー屋に行って雑談をすることにしているので、今日も冷房の効いたところでホットコーヒーを飲んで甘いものを食べる。環境に悪い贅沢な話だ。

夜は皆さんでもり川に行く。帰宅後はプログラムを弄る。


Aug 28 22:33, Bunkyo-ku

百日紅。

青い空、しかし矢張り風はどことなく秋を孕んでいるように思う。

午後は ? 君とああでもないこうでもないと議論、結局最近のとある論文が面白そうだというので読んでみることにする。その他、夕方になって多少涼しくなってから、本郷の構内を紹介するなど。

夜は根津のイタリアンに行った。帰り道、喫茶店の前に古書を並べてあったので一冊購入。

修正版の論文管理ソフトを友人数人に使ってもらったら、さっそくエラーの報告があったので、午前はそれの修正をしていた。一日自分でも使っていると少々不具合があるので、家に帰るとそれの訂正をする。


Aug 27 21:39, Bunkyo-ku

今日は晴れて昼はなかなか暑くなる。

? 君がはるばる来てくれて、週末まで居るので、さてどんなことを考えようかと昼過ぎから夕方までああだこうだと話をする。判りそうな話もあり、判らなそうな話もあり。

夕食は二人で森川に行った。

ちょっと暇がある気がするので、急に長い間ほうってあった自作論文管理ソフトに手を入れる気になった。先週 $ からメールが来て、とある機能をそろそろ取ってしまえばいい、とあったのに背中も推されたのだ。

五年前につくりはじめたときはうまく動いていたのだが、長年使っているとデータが大きくなって、その機能はうまく働かなくなり、却って使う際に邪魔になっていた。諦めきれず、ときどき改善しようとしたが、結局どうにもうまくいかず、時間もあまり取れないので、一年以上放置することになった。

しかし、ときには諦めることも必要なのだろう、と、ばっさり機能を切ってみると、他に簡単に修正できて実際日々の使用には役に立つ点がいろいろと目に付いた。これを機会にそのあたりをやっておこうと思う。


Aug 26 23:40, Bunkyo-ku

今日は7時半に起きる。晴れているが風がほのかに涼しい。つくつく法師も随分多くなった気がする。

さて、 # との研究に関連して簡単なプログラムを書こうと思って、まあ午前中ぐらい頑張れば出来るかと思っていたが、そうは問屋がおろさない。そうこうしていると昼食の時間になる。

その後は * 君と + 君と今後の方針についてちょっと話をする。その後は * 君と別件で議論。

そうこうすると三時半ぐらいだが、またパソコンに向かって頑張っていると、本質的な部分はできたが、表示が綺麗にいかない。

夕食後もそこを悩んでいたが、まあ内容には関係ない、ということで、棚上げにすることにした。


Aug 25 23:11, Bunkyo-ku

今日は曇、雨がぱらついたのだったかそうでなかったのかよく覚えていない。

朝はこの間書いた論文に関して同僚から問い合わせが来たことに関して、共著者の * から相談のメールが届いていたので、どうしたものか考えて返事をする。

昼食は担々麺屋に行く。その後は読書。夕方には買い物に行って、夕食は豚野菜炒め。作りすぎたのでお腹が一杯になった。

道を歩いていると、町会の夏祭りをしているところがある。案外小さい子供がこんな都心にいるものだ、と思った。


Aug 24 23:46, Bunkyo-ku

ツマグロヒョウモン (Argyreus hyperbius)

時差ぼけが徐々に解消して、今朝は八時ぐらいまで寝た。午前中は家でぼんやりする。

昼食にイタリアンに行こうとおもうと残念ながらおやすみだった。しかたがない、と思って近くの公園の花壇を通りかかると、見事な橙色の蝶を見かける。熱心に写真を撮っていると、白髪の老婦人が通りかかって、見かけない綺麗な蝶々ねぇ、誰かが蝶になって訪ねてきてくれたのかしら、とおっしゃる。

結局昼は最近出来たらしい喫茶店に入ってキーマカレーを食べた。

午後は大学で結局いろいろとメールに返事を書いていた気がする。夕方は少々 = 君と議論。

夜は中華に行った。


Aug 23 22:54, Bunkyo-ku

今日は曇ときどき雨。濃淡のある雲が都心を流れてゆくのが居室の窓から見える。

まだ時差ぼけで朝早く 6 時に起きる。社会人として真っ当な時間に起きたというべきかも知れないが。

先月日本に来てくれていた $ 君との研究、物理というよりは組み合わせ論であるが、長大な原稿を書いてもらったのを解読中だった。ようやくほぼ読んで、議論の改良の方針を定めたので、昼過ぎまで掛かって場合わけの再整理をした後、午後のお茶のあとはそれをひたすらタイプする。

夕食後は家に戻って、もうすこし作業、大体の議論の筋を書き終えたのでメールで送る。


Aug 22 20:30, Bunkyo-ku

昨晩はあのあとまた雷雨になった。稲光と雷鳴のもの凄いこと。

今朝は家で仕事をした後、大学へ。ミンミンに加えて、つくつく法師が鳴いているのに気付く。

今日は今日とて、アメリカに居た際に ? と # と話をして、ちょっとやってみるよ、とつい言ってしまったものを計算。まあすぐに終わって、メールを書く。

あちらではいろいろ旧友/同僚に再会して楽しかったが、いろいろ安請け合いしていまった簡単な計算がいくつかあって、まずはそれを片づけていかなければいけない。

夕方はちょっとピアノの練習。第二食堂上の共用練習室も八月だからか人が少なかった。

夕食を食べると眠くなったので帰宅。


Aug 21 21:48, Bunkyo-ku

今日は曇、夕方から雷雨。幸い恐れていたほど暑くはないが、湿気はひどくて蒸し蒸しする。

昨日に引き続き、アメリカで $ に聞かれたまた別の話について考えて、まとめて、メールに送ると一日かかる。

それに関連して、代数トポロジーの勉強をまたもう少ししないといけない。困った。


Aug 20 22:18, Bunkyo-ku

何故か犬に好かれる私。

日本に戻る。

日曜はのんびり寝て、ホテルで遅めの朝食、チェックアウト後もまだ空港に行くには早いので、港でフェリーの行き来を眺めながら読書、二時間ほどぼんやり過ごす。途中で家族連れがとなりの椅子でくつろいでいると、あちらが連れてきた犬が何故か僕の足もとまで来て撫でろというので撫でたりする。名前はスパイキーと言っていたが、柴とポメラニアンの雑種かなにかか。

タクシーで Port Jefferson まで、そこから空港へ。空港でも三時間弱ばかり余裕がある。

というわけで、ステーキ屋に入ってちゃんとしたハンバーガーを頼む。空港内だから割高だろうと高を括っていたら、お値段に見合う非常に美味しいものが出て来た。ポテトすらハーブといっしょに揚げてあって香りが良い。ひとつピーマンだと思ったら緑トウガラシのピクルスで口が燃えそうになる。

飛行機は一時間半遅れて出発。隣は小学校の男の子で一人旅だそうで、感心する。横で揺れにおびえている自分が情けない。食事に蕎麦が出て、醤油と出汁の味に感動する。一ヶ月間これが足りなかったのだと思う。

さて、寝ている間に眼鏡を紛失。結局出てこないので困った。機内食のお盆に載せて回収してしまったんではないかと思う。まあ無くても生活にはそれほど困らないが、遠くがぼやけるので自転車が乗れないのが困る。

成田につくと月曜午後10時過ぎ、ホテルで一泊。

今日は有給にしたので、朝はゆっくり、成田空港に戻って、蕎麦屋に寄ってから、電車で都心へ向かう。しばらく色付きはじめた田圃を眺めるのは楽しい。大学への土産を買ってくるのを忘れていたので、途中東京駅で適当にお饅頭を買って、家路。

家につくととりあえず洗濯、片づけ。その他、アメリカで空港へ出発前に $ から貰ったメールにあった問題について飛行機の中で考えたので、夕食後はそれをノートにまとめて彼に返信する、等。


Aug 17 23:28, Port Jefferson

江戸期の屏風。

朝の電車でニューヨーク市まで行く。Huntington で乗り換えた際に、# と $ に巡り合って、途中まで雑談。# は空港まで、$ は飛行機が遅いからニューヨーク市でしばらく観光だとか。

Penn Station についたら、Au bon pain で軽く昼食にして、まずは Morgan Library & Museum というところに行く。西洋中世の時祷書等が沢山あるとネットで見つけたから行くことにしたのだ。着いてみてわかった事には、金融会社に名前のついている Morgan 氏が収拾したものを彼の旧宅に展示してあるということで、良い趣味だ。

小さい美術館だが、中世の羊皮紙本はこれでもかというほどある。絵の出来にも良し悪しがあるというのが判った。数年前メトロポリタンで Limbourg 兄弟の "Très Belles Heures" を見て以来興味があったのだが、あれが傑作だったということが判った。また、メソポタミアの印章のコレクションもあって、こちらも堪能する。

美術館で美味しい昼食の後、メトロポリタンまで移動。

着いてみて、午前の美術館で注意力をかなり使ってしまっていることに気付く。というわけで、ふらふらと歩いているが、偶然イスラム教の書道および細密本の展示に巡り合って、これは面白かった。

また、ふらふらと歩いていると、日本の美術品の展示も良い。畳に座って休憩出来るようになっていたので、生け花を眺めてぼんやりしていると、日本人の上品なご婦人一人と大学生ぐらいの女性二人とが着物で展示室から出てきたからびっくりした。

屋上に出て、セントラルパークの緑の向こうに摩天楼を望む。

バスで Penn Station まで行く。帰りの電車にすこし時間があったから、駅の小さな本屋を眺めると、以前買おうかと悩んでそのままにしていた本があったので購入。

帰り道も二時間ほど電車に揺られる。途中で電車の行き先を他の乗客に二度ほど聞かれたが、地元のひとに見えただろうか。早速本を読んでいると、丁度モルガン美術館で、中世の手法で現代で再現した聖書として開いて展示してあったイザヤ書の一節が引用されているので、不思議な符合だった。著名な箇所なのだろうが。

宿に戻るとちょうど夕焼けが暗くなる頃。メキシカンに行って夕食。


Aug 16 22:44, Port Jefferson

研究所のガラスの角に光が巧く当たってスペクトラムが。

研究会の最終日。朝は & の話、非常にうまく行っているように聞こえる。

参加者は講演途中も次々に帰っていき、研究所の雰囲気もますますのんびりとする。お茶の時間は = さん、$ と雑談のような議論のような。

朝大学へ来るバンの客も少なかったが、帰りの宿へのバンはなんと僕と = さんのみ。折角なので夕食は = さんと奮発する。といっても僕は地ビールにアメリカンな肉汁したたるハンバーガー。ほろ酔いになると話は尽きない。

さて、日本に帰る飛行機は日曜発なので、明日は暇だ。一日ぐらい観光しようということで、マンハッタンで美術館に行く予定。


Aug 15 23:31, Port Jefferson

研究所からの夕焼け。

研究会もおしまいが近づいて、徐々に人が減ってきた。

今朝は ? 先生の話、午後は非公式に # の話がある。

昼食前から昼食後にかけて、? 先生とちょっと議論、キャンパスをすこしばかり散歩。その他、% 君と話をしたり、& に質問されたり。

そうこうしていると夕方の研究所内コンサートの時間になる。ベートーベン、シューマン、バルトーク、ショスタコービチ、プロコフィエフ。ピアニストの方自身が解説しながらで、時代の変遷にともなった曲想の変化をみようというもの。ショスタコービチのは iPad に楽譜を入れていたので、見ながら聴こうかと思ったら、24の前奏曲とフーガのうちどれか覚えていなかったので楽譜を探しているうちに終わってしまった。これならじっくり聞いておけば良かった。14番。

バンで宿に戻る、= さんと ! と夕食。


Aug 14 22:47, Port Jefferson

今日は浜辺でセミナーです。

今日は浜辺でセミナーの日。自分が話す番でなかったので、落着いて辺りをいろいろ見回せた気がする。

講演は ? さん。風が強く、テントの下の日陰にいると半袖で座っていた人は寒そうだった。昼食時は =、$、# と散々議論。

その後は少々浜辺を歩き回る。車の無い参加者はスクールバスで運ばれてきたのだが、案外の人が車で来た人に同乗して帰ってしまって、帰りのスクールバスはがらんとしていた。% さんと雑談をして帰る。

研究所に戻ると、ちょうど宿に戻るバンが来たところだったので、乗り継いでホテルに戻る。シャワーを浴びて、少々休憩したら夕食に。

実は今日も & さんのおうちでパーティがあったそうなのだが、一人で静かにする時間が欲しかったのでそちらは割愛す。


Aug 13 23:59, Port Jefferson

構内の別の花壇です

今日は主に雨、ときどき晴れ間が出る程度。

徐々にこちらでも朝起きるのが辛くなってきた。バンを待っていると + が車があるから乗っていくか、というので、数人と同乗す。セミナーは $ さん、だいたい Aspen で聞いた話と同じだが、二回聞くとよく判るというものだ。

午後は = 先生と話すなど、いつのまにか今度は # 先生のおうちでのパーティの時間になって、またスクールバスで揺られて行く。楽しく過ごして、またバスで揺られてホテルへ。その間に届いていたメールに返事を書いてほっと一息するとこんな時間だ。


Aug 12 22:54, Port Jefferson

研究所の花壇の実がベンチの上で大きくなっています。

さて、今日からまた平日、朝は小雨の中、研究所までバンで運ばれてゆく。

午前のセミナーは + 先生、非常に明快で勉強になる。

昼食後は % 君と * とで議論、するとお茶の時間、ちょっと ? に捕まって話をしたら、帰りのバンの時間になるが、= 先生が車を借りていてそれで送ってくださるというので、もうすこし研究所にいてから宿に戻る。

夕食は = 先生とイタリアンへ、内装の小洒落たところだったから、量は日本なみに少ないかと思いきや、頼んだパスタはそれでも日本の二人前ぐらいでお腹が一杯になった。

食後はシャワーを浴びて、港で夕焼けをぼんやりと眺める。


Aug 12 00:15, Port Jefferson

泊まっているホテルの外観。

今日もぐうたら寝る。朝昼兼用の食事を近くのカフェで、その後はしばらく港をぶらぶらす。

宿に戻って、何をしようか考える。まあ取り立てて何も思いつかないので、日本を発つまえに半分ほど書いた論文に、それから飛行機に乗っている間やらこちらでいろんな人と議論して判ったことやらを付け加えておこうと思ってパソコンに向かうと、瞬く間に夜になる。

夕食は Mexican で軽く済ませる。その後も文章を弄っていると夜も更けてしまった。寝る時間だ。

折角出張中の休日なのに、どこにも行かずホテルにこもって我ながら詰まらない人間だが、まあ読書やら研究やらしているのが観光より好きなのだからそれでいいはずだろう。


Aug 10 22:46, Port Jefferson

Port Jefferson の夕暮れ。

今朝はぐうたら寝て、朝昼兼用と称してホテルのレストランで上等のものを食べてみる。

その後は何をしようかと思うが、部屋に戻って布団で読書をしているといつの間にか寝てしまう。

起きてもしばらく読書を続けて、日が暮れてきたところで夕食に出掛ける。Japanese restaurant に行くと = が居たので彼と雑談。店から出てくると見事な夕焼けだった。

宿に戻って半分やっきになって読書、ようやく Aspen で買った本を読了。 十九世紀終わりから二十世紀はじめにかけて、アメリカの億万長者の娘がイギリスの貧乏貴族と結婚することが多かったそうで、その話。Winston Churchill はそういう両親からの子供だったそうである。数年前に、「イギリス貴族の没落」という本を買って、学術的で読むのが大変だったが、今回のはもっと軽い本だった。


Aug 9 22:48, Port Jefferson

昨日はパーティの間は晴れていた。今朝は起きると雲が厚く、研究所にいるあいだに何度か雷雨が通る。

朝は $ のセミナー、読んだ論文だったからよく判った。

昼食のあとは ? と話をして、その次は * と話をしていると帰りのバスの時間になる。

戻って宿でぼんやりしているとまた雷雨、その後かんたんに夕食にする。ずっと外でばかり食べるのもいい加減に飽きてきた。特に洋食ばかりなのが困る。醤油が足りない。


Aug 8 23:19, Port Jefferson

研究所の外側の敷石が Penrose tile です。研究所の二階の庭園。

曇。今日は全般に気が抜けていた。

今朝のセミナーは ^ 先生だが、よくわからない。

昼食時は + にいろいろ教えてもらって勉強になった。建物の中が長袖を着ても寒いが、さらに1枚着るのも馬鹿らしいから、と二階にある屋上庭園に出て論文を読みながらぼんやりしていると、お腹が一杯で眠ってしまう。しばらくしたら @ が通りかかって、はっと起きたら、「論文を読んでいるふりをしてたの?寝てたの?」と聞かれる。

お茶の時間からはいろんな人といろいろ議論。夕方は Avalon 公園で公式のパーティ、おいしい夕食が出る。宿に戻ると遅くなった。


Aug 7 23:51, Port Jefferson

浜辺で研究会。

今日は浜辺で研究会がある。

まず Long Island 北側の浜辺の宿から、研究所までバンに揺られていって、朝食。その後、皆でアメリカの黄色いスクールバスに揺られて Long Island 南側の浜辺 Smith Point まで行く。

砂地に設えた白板二枚を使って話をする。出来は悪くなかったのではないか。後で @ さんに「あの内容で笑いをとるのはよく頑張った」とお褒めをいただく。

その場でバイキング形式で昼食が出て、その後は数時間浜辺でのんびり。僕は泳げないが、靴を脱いで一応砂浜の波打ち際を歩いてみる。

またスクールバスで研究所に戻って、しばらく議論やら雑談やらをしたら、宿までバンで送られて戻る。汗をかいたのでシャワーをあびたあと、ひとりで夕食を済ませて、部屋で用事をする。


Aug 6 22:50, Port Jefferson

今日も送迎のバンで研究所まで。午前中の講演は... と書くべきところだが、朝食後に #, %, & に捕まって、昼食中まで議論をしていた。

食後は明日の自分の話の準備。お茶の時間は ? 先生に昔の論文について聞かれたが、すっかり忘れていてしどろもどろになる。数日内に復習します、という情けない返事。

夕方は研究所の講堂でピアノのコンサート、四手のためのものをいろいろと。

日が暮れてから宿にバンで戻る、@ と Mexican へ行く。


Aug 5 23:05, Port Jefferson

夕暮れに向けて出航するフェリー。

さて、こちらは参加者は二箇所のホテルに分けられていて、大学までは歩いて行きようがないので、朝晩むかえのバンがある。それに乗って Simons Center へ。

以前来たときは Simons Center は書類上はあれど、建物は建築中だったが、数年経って来てみると見事なガラス張りの研究所が出来ていた。朝食、昼食は中のレストランで食べられるので簡便で良い。美味しい。お皿を載せたトレイを返却する必要すら無い。

いろいろな友人と再会を祝す。今日の講演は = で、沢山質問していたら 2/3 ぐらい話したところで時間切れになってしまった。昼食後に話せなかった部分を話してくれるよう頼んで、数人で聞く。

その後お茶の時間に *, $ と雑談をして、今 ? とやっている話を説明したら、昔の論文で似たものをみたことがあるという。彼らも文献はうろ覚えだというので、調べてもらうと、確かに関係はあるようだが完全に同じではないようで、胸をなで下ろす。 ? には大変な分類問題をしてもらっているのに、始める前の僕の文献の下調べが足りなかったようでいけない。

夕方に宿に戻る。水曜に話をしてくれと言われているが、準備がまだであるし、昼も沢山食べたし、どうも洋食にも飽きてきたから、一人でさっと済ませようと Japanese の店に行く。お味噌汁と Dragon roll を頼む。Dragon roll というのはアメリカでは通用する名前で、巻きずしの外側にアボガド、中にウナギだか穴子だかが入っている奴だ。

食後に港を歩くと夕焼けの綺麗なこと。夜は話の準備。


Aug 4 21:53, Port Jefferson

Port Jefferson。

さて、明日からは Stony Brook で Simons workshop なので、Port Jefferson まで移動した。

アスペンでチェックインした際に、ネットで席を指定していたのに、United の係のおばさんが何だか時間を掛けて搭乗券を再発行してくれていたので、何か不具合かと思っていた。しかし、飛行機に載ってみて驚いたことには、エコノミー席よりすこしだけ空間の広いエコノミープラスの席に替えてくださっていたのだ。

まずアスペンからロサンゼルスまで戻る、この空の旅は雲の流れと沈む夕陽が最高だった。

ロサンゼルス空港でサンドイッチで腹ごしらえをした後、ニューヨークまで。太平洋を越える 777 より小さい 757 とかいう機体だが、内装は最新式で、普通は手すりに埋め込んである有線リモコンを全廃して、画面のタッチパネルだけにしてあって、これですこし空間に余裕が出ている。無線LAN もあったが、寝る予定だったので使わず。

途中すこし揺れた際に目を覚ますと、隣のゲルマン系の男の子が完全に僕に寄りかかって寝ていたことが判った。道理で少し広い席の筈なのに夢の中でなんだか狭い気分がしていたのだ。

今回も悪くない空の旅、JFK 空港で朝食を軽く摂ったのち、最終目的地まで向かうが、これが案外大変だった。まず、Huntington までは30分に一本あるのだが、日曜日なので Port Jefferson 行きが1時間半に一本しかない。これで乗り換えで一時間ぼんやりしていることになる。

次に、P.J. に着いてみると、以前来たときはいつも駅前にタクシーがいたものの今回は見あたらない。海岸まで下り道で30分ぐらいなのは知っていたので、潮風も吹いて悪くないかと歩きはじめたものの、半分徹夜のようなもので、ホテルに到着するときには案外疲れた。歩いている途中に、既に研究会に来ていて今日はニューヨーク観光へ行く = にあったが、飛行機大変だったろうと言われる。

と、これだけ時間を使って来ていても、ホテルのチェックイン時刻には早かったので、荷物を預けてしばらく港でフェリーの発着を眺めてぼんやりしている。

ようやく部屋に入ったのは飛行機の着陸六時間後か、ロスからの飛行時間以上掛かった。シャワーを浴びて昼寝。

夜は夏の日曜日でごったがえしている街で、ハンバーガー専門店で大きなバーガーを食べて栄養補給。前回この宿にとまったときは厳冬で凍りついていたから、街の雰囲気は随分違うものだ。こんなに港には人がいるのに、列車の駅は人があまりいないのだから、みなさん自分の車で来ているのであろう。


Aug 3 18:48, Aspen

今日は移動の日。昼間を飛行機の中で過ごすよりは、と思って夜のフライト(こちらの俗語では red-eye という)を取ったのでのんびりだ。

朝は起きたら軽く朝食、しばらく読書。日本から持ってきた日本語の本を読み終える。明治末年の倫敦紀行。

昼食はスーパーに行って適当に sushi を買ってきた。その後は宿を片づけ、研究所まで青天に雲が流れる下をのんびり歩く。

研究所ではピアノを弾いたり、コーヒーを飲んだり、共同研究者から回ってきた原稿を弄ったりする。週末は滞在中の研究者が多数入れ替わるので、研究所の係のかたは何人かいるけれど、物理屋はほとんど見かけない。先週末と同じ掃除担当のおばさんとしばらく雑談をする。

そうこうしていると雨が通って、すぐに止んだものの雲は空を覆ったまま、随分涼しくなった。午後五時半ごろ研究所を出てバス停まで、Aspen に住んでいるかたと雑談、日本のどこかと姉妹都市だかで、三人居る子供さんが順に日本に行く機会があるのだとか、今度はこいつの番だ、と一緒にいる十歳の息子を紹介してくださる。

空港は街のすぐ外、到着して、諸手続を済ませ、搭乗口まで来たところ。時間がしばらくあるので日記を書いてしまおうと思ったのだ。


Aug 2 23:13, Aspen

花壇の蝶。研究所の表の眺め。研究所の裏の眺め。

今朝は宿の洗濯機と乾燥機で洗濯物をすませてから、昼前ごろに研究所へ行く。

共同研究がひとつ一段落した気が昨日したので今日は心がいつもよりさらにのんびりしている。

夕方はちょうど宿に帰るところの ? を捕まえて議論が出来てよかった。

夕食は +と * とでメキシカンへ行く。途中で = もあらわれて、楽しい食事。暗くなって宿に戻って、荷物の片づけ。


Aug 1 22:43, Aspen

アスペンの夕暮れ。パラグライディングをしている人がいます。研究所の空。

今日はまた曇っている、ときどきぱらついたり、さっと降ったりするが、降り続きはせず。

共同研究中の分厚い原稿が送られてきていたので、解読をはじめる。

昼食も、曇天のもと芝生のうえのベンチで皆で食べていたが、小雨が降ってきて退散。

昼過ぎはコロキウム、銀河の研究会も同時にやっているので、そちらの方が天の川銀河のまわりの矮銀河の話。最近沢山みつかったそうな。

夜は = 先生と夕食に、本屋の二階のレストランに入ったらなかなか美味しい洋食だった。