Jan 31 23:46, Tokyo

昨日はもりもり食べたというのは嘘で、小心者なので雰囲気に呑まれてあまり食べずに帰った。夜中お腹が減って起きだして牛乳を温めてクッキーを食べた。その他勿論この日記には嘘は沢山書いてある。

今日は柏へ。

昼食中は $ と議論。その後は部屋に籠って査読の返事を書いていたらお八つの時間のチャイムがなった。しばらくして書き終えて、カレンダーをみたら、なんと今日は昼にセミナーがあったではないか。逃してしまって、残念。先々週も同じ過ちを犯したので、反省が無くていけない。

お茶の時間のあとは $ と % 君と話をする。


Jan 30 23:35, Tokyo

今日は春のように暖かい。本郷へ行く。あまり心が集中していない。昼は昼食会で * 君の文献紹介を聞く。

その後はお出かけ。以前お世話になり今もお世話になっている ? 先生がどこやらの団体から何やら賞を受賞なさったののパーティに呼んでいただいたのだ。末席を汚す。

十年前はプリンストンでしばらくご一緒して、そのときはお子さん二人とも雪だるまを作ったりして良く遊んだものだが、まあ、久し振りに会うとすっかり大人になったものでびっくりした。

この賞は戦前から続くそうで、案内のパンフレットには長い受賞者リストがあるが、戦中はまあそれは見事に軍国主義的なものに賞が出ていて唖然とする。それを隠そうとしないのはある意味潔いことではあるが、戦争責任の反省がないということでもある。

しかしまあ、どのような団体が提供していても上等の食事は上等の食事である。僕はもりもり食べる。受賞者は立食パーティでも挨拶に忙しく食べる暇もないようだった。数学の質問を幾つかお聞きしたかったが、その時間もなかった。


Jan 29 23:12, Tokyo

週末。朝は僕がぐうたらしているあいだ奥さんが娘を遊ばせに連れて行って、昼食後は奥さんと娘が昼寝をしている間僕は横で本を読んでぐうたらして、その後は三人で外に出て奥さんが買い物に行った間だけ娘と僕とで遊ぶ、というのを二日繰り返した。

今日は娘もぐっすり昼寝をしたので夜はなかなか寝ず、さきほどまで起きていた。

いつもなかなかすっと寝てくれずに、布団から出て遊びはじめてしまう。しかし、僕と奥さんが仕事での話など娘にとって詰まらない話をはじめると、起きていても仕方がないと思うのか、すっと寝てくれることが多い。というわけで、最近は、家にかえってすぐには学校での話は奥さんにはせず、娘が寝るときに取っておいてある。

週末はこういう話がないので困るが、今日は奥さんと、子供の頃眠れたか眠れなかったかという話をはじめたら、とても詰まらなかったらしく、寝てくれたのであった。


Jan 27 22:55, Tokyo

今日も柏へ。

昼は滞在中の # のセミナー。読もうと思っていた論文だったのでとても有り難かった。

あとは、? とちょっと議論、その後 $ 君、@ 君と今後の方向性の相談をする。

和菓子を買って帰宅。押し入れから布団を出すと広げる前に早速娘が寄ってきて上に乗って遊ぶ。ここまではいつものことだが、ちょっと離れた隙を見計らって延ばすと、「ふとんたたんで!」と言われたのでびっくりした。


Jan 26 23:34, Tokyo

今日は柏へ。昨日より随分あたたかい気がする。

学校では案外のんびり、昨日 * さんに教えてもらった論文をまずはざっと眺める。また、査読中の論文を読み進める。

午後は ? と少々議論。お茶の時間は * と少し議論をしたあとはまた論文を読むのに戻る。

バスの時間まであと少しあるからもう数頁読もう、と思ってふと気が付くともうぎりぎりだ。階段を駆け降りてバス停まで走るが、目の前を通過して行った。そこで二つ先のバス停までさらに走る。というのは、バスは一度国立ガン研究センターに寄る為遠回りをするので、追いつけるのである。無事にバスに乗る。

すると駅では電車にまで時間がすこしある。Kaldi で輸入洋菓子でも買おうかと思ったら、バレンタイン前でいつものクッキー等はひとつも置いておらず、全部チョコレートに替わっていた。当惑して、何も買わずに帰る。


Jan 25 23:07, Tokyo

今日は駒場へ。

朝は久し振りに代々木上原から歩いてみる。途中の幼稚園も建て替えが終わって綺麗になっていた。以前の古めかしいのも案外味はあったのだが。漏れ聞こえてくる子供たちの声は楽しそうだ。

図書館で昼まで色々と研究関係のメールに返信。食事は生協の横のパスタ屋で。

午後は本郷柏駒場の3キャンパスの弦理論研究室の合同修論審査会。恙なく終わって、一安心。

朝とは別の方法で家まで戻る。今晩も僕が娘を風呂に入れた。最近は泣かずに風呂に入ってくれるようになった。


Jan 24 23:56, Tokyo

柏の夕暮れ。

今日は柏へ。夜は氷点下だったらしく、五六郎池の表面がすこしだけ凍っていた。

? と議論、@ と議論、その後は * と = 君と議論。これで家に帰る時間になる。

夕暮れ、キャンパス駅に徒歩で向かう。千葉大農場を通ると、前方には駅周りの高層マンション群が夕日を受けて紅く光っている。振り向くと夕焼けを背景に梨の木が黒々としている。手袋を取って携帯のカメラを弄っていると手がすぐに冷たくなる。

まだ高層マンションは追加で作って、あたりの雑木林は切り開いて宅地をどんどん造成しているのであるが、部屋は全部埋まるのか。また、数十年後、ますます日本の人が減ったときに、これをどうするつもりなのか。よく、わからない。

家に戻ると、娘が「ママー、みかん、みかん」と言って泣いた。なんでも、すこし前に同じく帰宅途中のママから電話があって、みかんを買って帰ってくるのを期待していたのに僕が先に帰ってきたらしい。一方で昨日は奥さんが僕より早くかえって、そのときは「パパー、ふとん、ふとん」といって泣いたらしい。というのは、僕が帰宅すると布団を引くときに毛布に飛び込んで遊ぶのだが、それをやりたかったそうだ。

さて、久々に娘を風呂に入れる。その後、夜は娘が早く寝たので、* と = 君にやってもらった計算を別の方法でやってみた。


Jan 23 23:03, Tokyo

一番星。

今日は本郷へ。

午前は ? さんの、午後は = さんの修論審査。

それが終わって居室に戻ってお茶を淹れようとすると、学生さんが議論で盛りあがっている。素粒子実験の学生さんが来ていて何か相談だそうだが、ちょうどその彼も明後日が修論審査だそうで、「スライドあるんで練習に聞いてください」というので喜んで聞かせてもらう。

その後は一時帰国中の + 君のセミナーもあったので折角なので出た。なかなか面白し。

さて、金曜に南イタリア人ふたりに薦められた小説の "Il Gattopardo" は日本語訳が岩波文庫で出ているらしい。そこで書籍部に寄ってみると、丁度一冊置いてある。これも巡り合わせだろうと、買って帰ってくる。イタリア統一の時代を生きたシチリア貴族の没落の物語らしい。


Jan 22 23:21, Tokyo

昨日は朝は奥さんが娘を遊びにつれて行って、その間僕はぐうたら寝る。

午後は奥さんは高校での親友とお茶に出掛けて、僕が娘とお留守番の筈だったが、途中から奥さんのご両親がおいしいお八つを持って遊びに来て下さった。娘はお陰で大喜び。

今朝は珍しく僕が娘を遊びに連れていく。楽しんで走り回ってくれるのはよいのだけれど、そろそろお昼ごはんになるから帰ろう、と説得してもなかなか帰ろうとしてくれず、説得してから30分ぐらい掛かった。

その他、特筆すべきことも無し。


Jan 20 22:23, Tokyo

今日は寒い。柏へ。昼は雪がちらつく。

午前中はいろいろと用事をこなす。

昼食ではバシリカータ出身とシチリア出身のイタリア人ふたりが居たので、先週ガリバルディの伝記を読んだのだが実際どう受けとめられているのか聞いてみた。すると「ガリバルディはうちの村を通っていったんだ」「いや、うちの村には一泊していったんだぞ」と、善良なイタリア人がとるべき反応をわざわざしてくれた。勿論、大人になってから、そう単純ではなかったことは学んだそうだ。

昼は ? 君の修論発表の練習。その後は $ 君と議論。彼の場の理論への洞察には感服する。僕は数学にばかりかぶれていて、どう場の理論が振舞うかという感覚を徐々に失っているのではないかしら。

さて、発表練習をする一階の部屋に移動中、見学に来たという女子中学生ふたりに会って挨拶をする。発表練習の途中、部屋のとなりの大黒板を「長ーい」と言いながら走ってきたそのうちひとりと目が合ったら、恥ずかしそうな顔をして走り去っていった。


Jan 19 22:45, Tokyo

今日は柏へ。

まずは二時間ほどカナダの $ とスカイプで議論。昼食の後は ? と議論、その後はすこし # 君と話して、お茶の時間は * に進捗を聞き、その後は一瞬 % と話をし、その後は中国であったアジア弦理論冬の学校から帰ってきた二人としばらく雑談をする。

と、家にかえる時間になる。昨日なかなか眠れずに自分の昔の日記を読み返したりなどしていたのが祟って、帰宅途中に眠くなり、車中はぐっすり。


Jan 18 23:10, Tokyo

今日は本郷へ。

僕が修士論文を審査する学生さんで自分の学生でない二人とそれぞれ会って、内容について質問をした。

また、著者が多人数になったせいで誰も積極的に書いていない論文の原稿にすこし手をいれたり、考え事の続きをしたり。

また、= さんと % さんと大学の事務処理の効率化をどうすればよいかという雑談をした。

例えば、教員には裁量労働制が適用されていて、日々の勤務時間を毎月申告する必要がある。しかし、申告方法は、印刷すれば同じであるが部局によって内部は異なるエクセルファイルに入力したものを、メールで各部局の事務の人に送っている。それがおそらくさらに上まで順次あがって、電子ファイルではあるものの結局手作業で処理されているのだと思われる。

もう一つの例としては、博士論文を学生さんが事務に提出する際には書類が沢山必要である。個別の書類は電子ファイルのひな形がある。しかし、個別の書類に、論文題目を別個に入力せねばならず、結局印刷して提出され、それらの間に齟齬がないかは提出時に事務の方が指でなぞって目で確認している。

このように、電子化されたといっても単にファイルが電子的であるという以外は全て手作業であって、明らかに機械化出来る事務処理が幾らでも存在するが、これを何とかして、事務の皆さんにもっと有意義な仕事をしてもらうようには出来ないものだろうか、というのだ。


Jan 17 23:29, Tokyo

柏の夕暮れ。

今日は柏へ。

昨日駒場で、審査会場へ向かう際、* 先生に「柏はどうですか」と問われて「空が広くて良いですよ」と答えたのだが、さて審査会場に入ると見事な眺望。* 先生は「でも駒場もこの建物は空が広いですよ」と仰ったのだった。

しかし柏の葉はやはりさらに空が広い。これは良いことだ。

昼食後、# と議論していて一段落したのでお茶を淹れに行くと、実は今日は旧友のセミナーであったことに気が付いた。しかしそれももう終わろうとしていたので、今から聞きに行くのも面はゆく、居室に戻って査読の返事を書く。

すると気が付くとお茶の時間もとうに終わって、家にかえる時間。慌てて帰途につく。

筑波エクスプレスの車窓からの夕焼けの眺めはすばらしい。

移動中昨日借りた本を読んでいたら、先週だか立教近くの古本屋で買った本にも出て来て始めて知った崔南善という人の話がまた出てきて驚く。

さて、何故かこの前の土曜日から、娘は一日一度、机の前の白い椅子に座って「はいちーず」と言って写真を撮るようにせがむようになった。いつまで続くのやら。


Jan 16 22:53, Tokyo

夕日に輝く新宿副都心。駒場キャンパスの冬。

今日は駒場で3時から博士論文の審査、というわけで朝からそちらへ向かう。

渋谷から大学まで久々に歩いてみる。来る度に工事で状況が変わっていて良く判らない。

午前中は非常勤講師控室で作業。本郷や柏と違って話す相手も居ないので、非常に仕事がはかどった。

学生さんの昼休みが終わった辺りにキャンパスのパスタ屋で昼食、混んでいなかったのでそのまま居座って査読中の論文を読む。

以前検索したら駒場図書館にあるとあった本を借りてから審査へ向かおうと思いきや、貸し出し中、というわけで新着図書の棚にあった「ガリバルディ」という中公新書の伝記を借りる。

博士論文審査は何の問題も無し。

帰宅時はラッシュに巻き込まれ、びっくりする。

夜は娘がうまく寝つけなかったようで、抱いて揺らしている奥さんが、もう寝たようだから、と座るたびに大泣きして弱った。乳児のときは良くあったが最近はあまりなかった。こうなると僕が抱こうとするとかえって「いやー」といって大暴れするので、奥さんに替わることも出来ず、不甲斐ないことだ。


Jan 15 22:07, Tokyo

昨晩はどうも娘が何回か夜泣きをして、みな寝不足。

午前中は僕が寝させてもらって、昼食後は奥さんと娘が午睡。それで生気を取り戻す。

その後は寒いが外で少し遊ぶ。吹くのではなくて振ると風で小さなシャボン玉が沢山出るおもちゃを百円ショップで買ったらしく、娘がそれを持って走り回ると、傾きかけた日の光に飛ぶシャボン玉が美しい。


Jan 14 23:32, Tokyo

休日、冷える。

朝は奥さんが娘と外で遊んでいるあいだ家で休憩。昼食後は三人で午睡、夕暮れ時は皆で買い物。

珍しく二時間半もぐっすり昼寝をしたせいか、夜は娘が風呂上がりも遊んで寝なくて困る。十一時過ぎにようやく寝て、ほっとする。


Jan 13 22:50, Tokyo

今日は柏へ。

相変わらず、やるべきことを放り出して、ここしばらく考えていることの続き。

昼は # と議論、そして @ 君に話を聞いてもらっているとお茶の時間になり、その後すこし ? 君と議論。

そうすると % が顔を見せて、計算がうまくいかないから聞いてくれ、というので、間違い箇所をほぼ特定した所で家にかえる時間になった。

いちご大福を買って帰宅、食卓の上に置くと娘が「いちご、あった!」といって食べたそうにするので、近くにあったものを被せて隠すと、「ふた!」といって何故か満足して去っていった。


Jan 12 22:05, Tokyo

安田講堂に昇れる月。

今日は本郷へ。

博士論文を読む、昨日の続きを考える、各地と議論のメールをやりとりする、等。

日が暮れて帰り道、正門まで来ると、人が沢山こちらを向いて携帯のカメラを向けている。ライトアップでもされていたかしらと振り向いてみると、ちょうど満月が葉の散らした銀杏並木の真ん中に、講堂の上に昇った所だった。


Jan 11 21:48, Tokyo

今日も柏へ。

年末から考えていた件であるが、すこし面白げなことに気が付いたような気がしている。先日の研究会でも色々な同好の士に話を聞いてもらったが、相変わらず根拠が増えない。他の同好の士にも意見を聞こうと、Facebook に投稿してみたら、案外好意的な反応だった。

というわけで、もう少し真面目に考える気になって、午前中は沈思、昼食後はまず ? と議論。

その後は * と別件の話、こちらは彼にアイデアを振ってからは任せきりで、進捗を教えてもらっているだけ。

お茶の時間のあとは % 君の博士論文審査会の練習会。

赤ちゃん本舗に寄って買い物をしてから帰宅。娘は昼寝が出来なかったらしく、夜は珍しく七時頃寝てしまった。

というわけで、家でも夕食後、考え事をしていた。


Jan 10 22:11, Tokyo

つくばエクスプレスよりみる富士。

昨日は研究会の四日目に行った。朝は小雨、昼は雨上がり、ビルの向こうに淡い水色の空が見えるのは素敵だ。

? さんの実験の講演がとても面白かった。可積分系は実験からもっとも遠い分野だと思っていたがそうでもないらしい。兎も角、Bethe Ansatz の出来る実験家、もしくは実験も出来る可積分屋という人が存在するということが判った。

さて、娘はこの二週間で随分いろいろ出来るようになったようだ。歯磨きをさせようとすると嫌がるのだが、偶然あごに歯ブラシをあてたのをみて「それはあごだよ」と僕らが一度大笑いしたものだから、その後は歯磨きをさせようとする度に自分からあごに歯ブラシを持っていって「あごー」と言っている。

今日は久々に柏まで。

いろいろ溜まっていたメールに返事をする、議論をする、等。

帰りのバスの時間になったら、また丁度夕日が富士に落ちるようになっている。日も随分長くなった。


Jan 8 21:07, Tokyo

昨日は土曜だが研究会。

昼食は一昨日とおなじ所へ。その後、次の講演まで少し時間があったから、近くの古本屋に行った。本を選んでいる間の老店主とバイトの青年とその友人との三人の会話が小説かドラマから切りだしてきたかのようで、心があたたまった。

今日は雨模様、研究会はあるが家にいることにする。どうも足が冷えてかなわない。

というわけで、奥さんのもこもこの靴下を借りて追加ではこうとしたら、娘が「ままの」といって取りあげてなかなかはかせてくれなかった。

審査しないといけない修論と博士論文をゆっくり読んでいる。修論は楽しく読めたが、博士論文はなかなか難しい。


Jan 6 23:52, Tokyo

今日は立教で研究会。

朝は早めに行って大学構内の Tully's でコーヒーを飲んで用事をしようと思ったら年始で閉まっており、引き返して池袋駅地下のスタバに入る。

昼は * 君と # 君と近くの店で昼食、4d N=2 談義。* 君は何故か目が魅力的になったなと思って本人に聞いたら、いつのまにか最近二重になったらしい。

午後は自分の講演を終えて、まあなかなかうまくいったと自賛していると、次の ?未発表論文に関する講演が比較にならないほど素晴らしくて脱帽する。

家に戻って今日あった事を聞くと、娘を一歳半検診に連れていったらずっと泣いていて、周りの子の中で一番泣いていたそうな。困ったことだ。


Jan 5 21:32, Tokyo

今日はまた休みということにして家に居た。

しかし午前は急に Skype で会議。

昼からは奥さんは仕事に行ったが、僕は娘と一緒に昼寝をしたあと、公園に行って、一緒にすべり台で遊ぶ。


Jan 4 23:15, Tokyo

今日は本郷へ。まだ学校は人も閑散としている。

一日掛けて、明後日の研究会でのスライドをがんばってつくった。

昼は皆さんで生協食堂へ行ったら休み、そのまま大学の外まで歩いてちゃんとした担々麺屋に行く。中国出身のふたりも一緒、一人は辛くない地方出身、一人は辛い地方出身なので反応の違いが面白かった。

という話を彼ら本人にすると、そもそも担々麺のは麻味であって辛味ではない。麻とは痺れである。という。山椒の辛さにそもそも別の単語があるのは豊かな文化だと思った。


Jan 3 22:28, Tokyo

今日は奥さんのご実家から一度僕は自分の家に戻って必要なものを取って、また奥さんのご実家に行った。

その道筋、年末に ? 君からもらったメールについてぼんやり考えていたが、どうも三年前の二月に書いた論文のおしまいに「こういうことが出来たら良い」と書いた件は、二年前の三月に書いた論文の中で実質ほぼ出来ていたことに気付いた。

さて、奥さんと娘とお義母さんとがスーパーに買い物に行ったら、娘が「なっとうー」と叫んだので納豆を買ってきたらしい。しかし娘は夕食では納豆は食べずじまい、そのかわり海苔はおにぎりにつけて沢山食べた。あとはヒジキも好きなようである。


Jan 2 21:29, Tokyo

今日は東京に戻って、奥さんのご実家に。

新幹線では途中から娘は随分ぐずって弱った。東京駅で乳母車に乗せた所で泣き疲れたのかようやく寝てくれた。

それは兎も角、通路を挟んで隣の席には同じような年の男の子をつれた親子が居たのだが、まあ美男美女の両親で子役でも通用しそうな目鼻立ちの息子さんでびっくりした。しかも大人しくしていた。


Jan 1 21:49, Osaka

元旦。おせちのお煮染の味は悪くなかった。

近くのお宮さんにお参り。

年末年始は何故か S3/Γ 上の平坦束での Chern-Simons 汎関数の値が具体的に計算できるか考えていた。SU(n) の場合の論文があったので拡張出来るかと思ったが、一ヶ所途中でつかっている仮定が一般の半単純リー群で成り立つのかわからず、夕食後はどうも駄目な気がして気落ちしていたが、風呂あがりにもう一度反省すると今は大丈夫な気がしてきた。というわけで日記を書く気にもなった。