Dec 31 23:35, Osaka

今朝は餅つき。四十年前に買ったらしき半自動餅つき器である。母がもち米を準備して、僕と父が餅つき器を回して、母と祖母と姪が餅を丸めた。

午後はこれも例年通り、おせちのお煮染の味付けの手伝い。

あとは、審査に係わっている博士論文を読んでいるのを姪が不思議そうにみているので、「来週テストをしないといけないんだよ」と説明したのであるが、その後、うちの母に「おじさん、来週難しいテストをうけないといけないんだって、大変ねぇ」と言っていたそうである。


Dec 31 00:24, Tokyo

富士。

諸事情あって、娘と奥さんを奥さんのご実家に残して、僕だけ今朝から帰省。パパは数日でかけてくるんだよ、というと、パパいかないで、と言ってくれたのは初めてだ。これまでの長期出張のときは、まだあまり数日いなくなるという概念がなかったのであろう。駅の改札まで見送りにきてくれるが、そこまで来ると特に名残惜しそうでもなく「エスカレーター乗る」といって帰っていってしまった。

新幹線は大混雑。幸い奥さんが席を事前に予約してくれていたので、のんびり座っている。富士のところでは寝ているとなりのひとの肩越しに写真をとろうとすると、手があたって起こしてしまった。申し訳なかった。

車中ではちょっと仕事、また、昨日 $ に送ってもらった論文の原稿を読む。

三時半ごろには実家について、あとはのんびり。祖母とゆっくり話をする、など。


Dec 29 23:35, Tokyo

今日は一日ぐうたらする。

昼ご飯の前の買い物に、娘を奥さんと駅まで連れていった。帰り道のベビーカーで娘は寝てしまう。というわけで大人は落着いた昼食を摂ることができた。

夕ご飯の前の買い物にも、娘を奥さんと駅まで連れていった。スーパーで品物を見ていると、娘が「うんち」という。昔なら大慌てしていた気がするが、随分慣れてしまっていて、まあなるべくはやく買い物を済ませ、家に戻って、おむつを替える。


Dec 29 00:09, Tokyo

今朝も娘を保育園に連れてゆく。

その後は家に戻って、奥さんと家の大掃除。

昼食にいく途中、近くの和菓子屋さんによって帰省の土産にするお菓子を買う。

さて、片づけたいところは片づけたので、僕はしばらく論文の原稿を書く。この共同研究は二年前の冬からやっているのであるが、あとしばらくで、何とかなりそう。

保育園も今年は今日でおしまいなので、いろいろと置いてあったものを持って帰ってくる。先生方とも年末の挨拶を交わす。


Dec 27 22:20, Tokyo

今日の富士も燃えるようです。偶然か、12/5の写真と同じ場所です。

今朝は娘を保育園に連れていったところで左手袋の行方がわからなくなった。右手袋は同様に月始め頃に紛失した。

学校では、推薦状を書く、机の片づけをする、研究所の図書館からずっと借りていた本を十冊ほど返却するなど。

帰宅中、富士が綺麗である。電車の中で昨日の証明を反芻していると、一ヶ所微妙な所に気付いた。

解決しないが、まあ娘を拾いに行く。左手袋は保育園の娘の着替え袋に入っていた。

家に戻って夕食前にすこし計算すると無事修正できることがわかった、安心する。


Dec 26 23:45, Tokyo

母が虹の写真を送ってくれた。

今日も娘を保育園につれていって、柏に向かう。あちらではまた急遽会議。

昼食時は、@ が「甥がクリスマスプレゼントを開けているこの動画をみてくれ。このオモチャは全部親が買ったんだぞ。うちの兄弟は甘やかし過ぎだろう、お前のうちはどうだったんだ」と言ってきた。確かにうちの五倍以上は買い与えているように見えた。

娘を拾って帰宅。今日は少しながら進捗があって嬉しい。というのはこうだ。

数ヶ月前、とある論文を読んでいて、途中、それほど難しくないはずの数学的主張に対して物理的な論証が与えてあったが、数学的証明が僕には出来なかった。すると数日前、偶然著者の一人 # から別件でメールがあったので、説明してくれと頼んだところ、追加で物理的な議論をしてくれた。

そのメールのやりとりを読んでいて、以前考えた時の方針でやはり証明出来るはずだと再確認したので、昨晩娘が寝て、日記も書いたあとで、ノートにあからさまに書いてみる。うまく行くように見えた。何ぶん眠かったので、今日学校にいく途中に反省してみるが、問題はなく、証明ができていた。

今になってみると、何故、以前考えた時に出来なかったのかは謎だ。大した結果ではないが、何か判るということは嬉しいことだ。


Dec 25 23:10, Tokyo

娘は十二時間ぐっすりねた。今朝も娘を保育園につれていって、本郷で講義。

途中で講義ノートに書いた証明がまちがっていることに気付き、詰まる。情けなや。しかしなんとか正しい証明を思い出した。

講義後は学生さん二人が黒板の前に来て、最近の場の量子論の進展について聴かせてくれというので、一時間半ばかし雑談。

二時頃に食堂に行って、遅い昼食。その後は $ 君としばらく議論。その後は昨日に引き続き論文の原稿を書く。

古本屋で百円で新書を買ってから、保育園で娘を拾って、帰宅。今日は娘は十時四十五分ごろ就寝。


Dec 24 22:48, Tokyo

今日は一日中、娘は大騒ぎ。

休日のうちにクリスマスプレゼントをあげようと、昨晩「寝てる間にサンタさんが来るよ」と言ったら、「サンタさん怖い、来たら怖いから寝ない」というので困った。すこしまえ保育園にきたサンタさんが怖かったらしい。

今朝はフォークを危ない持ち方をしていたので「危ないよ」というと、急にフォークを持った手を上に突き上げるので「どうしたの」と聞いたら、「フォーク取りあげたの。」「誰から?」「じぶんから。」と言う。

夕方は、おむつを履き替えさせようとすると、おむつを脱いだまま、「はかないダンス!はかないダンス!はかないダンス!」としばらく大暴れしていた。

夜はご義母さんが豪勢なクリスマスディナーを作ってくださる。娘はそれを食べ終わった頃には、一日遊んで気持ちよく疲れたのだろう、七時半には寝てしまった。いつも最近十一時就寝なので珍しい。

というわけで、二時間ほどパソコンに向かって仕事をする。


Dec 23 23:29, Tokyo

聳え立つ高層住宅。

風邪はまあほぼ治っているのだが、鼻が出るのが止まらなくて困る。

金曜も娘を保育園につれていってから柏へ。あちらではまずは相変わらず来年度ポスドクの件で相談。

次に、この冬はどうも居室が暖まらない、暖房の設定を25度にして一日つけても18度ぐらいにしかならないので、とうとう事務の施設担当の方にメールを書いてみた。さて、メールを送ってみると、暖房器具のせいではなく窓がきちんとしまっていないのではないか、と急に思い立って、部屋の窓を全部調べてみる。と、隅の小窓が案の定きちんと閉まっていなかった。あわてて事務の方には取り消しのメールを書く。

真夏の暑い時期、朝来ると部屋が蒸し風呂になっているので、せめて夜のすこしでも涼しい風を入れておこうと、その窓は開けたり閉めたりしていたのであるが、きちんと閉まっていなかったのだろう。

次に、その日の新着論文を確認。@ の論文が出ていて、やはり彼には敵わないと再確認する。というのはこうだ。九月ごろから学生の + 君とゆっくり考えていた話を、ようやくこの水曜日に勉強会で話をしてきいてもらったのだが、彼の論文はまさにそれを精密にやった話だからだ。勉強会のあとすぐに、出ていた = から、@ が似たような話を八月の研究会でのトークでやっていたから確認したほうがいい、と、聞いていたものの、こうすぐ出るとは思わなかった。

僕の論文でこれまでで一番有名になったものも、彼のアイデアで、僕はまあ計算手法を提供しただけだった。弦理論のなかにもいろんな話題があるが、僕と彼の興味は非常に近く、それでいていつも彼は僕より質の高い良い論文を書くのだから、困ってしまうのである。

まあしかし、こんなことを気にするのは、僕と彼がほぼ同い年だからで、年齢を度外視すれば僕は Witten 先生になぞは全くもって敵わないことはずっと前から知っていることで、気にしても仕方がないことだ。

その後は、仕上げなければならない論文の原稿に手を入れる、など。

なかなか寝ない娘を寝かせようと布団で寝転がって相手をしているうちに僕が先に寝てしまったので、日記も書かず。

土曜日はぼんやりごろごろとしている。特に書くこともない。審査すべき博士論文に目を通しはじめる。


Dec 22 00:35, Tokyo

夕空に月。

今日も娘を保育園に連れていってから柏へ。

午前中は事務的なメールに返事。午後はじめは事務室にいって事務の方と所長とややこしい相談。

その後は昨日に引き続き % 君と # と楽しく議論。

今日はお義母さんに娘のお迎えを頼んだので、遅くまで議論してから、家に戻る。


Dec 21 00:10, Tokyo

今日も今日とて、娘を保育園につれていって、柏まで行く。僕の風邪もほぼ治ってきたが、鼻水が沢山出て、困る。

今日は勉強会で「トポロジカル相の分類へのキタエフのホモトピー論的アプローチに関して」という話をした。いろいろ質問をしてもらって、有り難かった。

その後はすこし % 君と # と議論。娘を拾って帰宅。

九月の手足口病以来、手の爪が根元側から剥がれてきていたのだが、数日前ようやく最後の一枚が取れた。取れたといっても、下から次の爪が伸びてきているので、深爪をしたような感じになっている。結局左右三本ずつ剥がれた。引っ掛けない限り痛くなかったのではあるが、引っ掛けないよう覆いをしておかないといけなくて面倒だったのからようやく開放された。


Dec 19 22:41, Tokyo

いつものように娘を保育園につれていって、いつものように柏へゆく。

あちらではセミナーふたつ。午後は旧友の $ のセミナー、読もうと思って読む時間がとれていなかった論文を明快に解説してくれてありがたかった。

帰りの電車はまた夕焼けに黒々と富士が見えた。今日は裾野までくっきりと見え、ほれぼれする。がらんとした車両に乗り合わせた老夫婦と、綺麗ですねぇ、と言っていると、途中の駅で親子連れが乗ってくる。おばあさんが「富士山がみえるよ」といって指さすと、窓から外をのぞいた男の子が「わあ」と歓声をあげた。

ここ数日は、考え事をしている。20年ぐらい前に物理屋が「クーロン枝」という一連の多様体を導入したが、ここ数年、数学者がきちんと数学にしたのである。きちんと数学になって、予想が証明されただけでなくて、どうも僕を含め物理屋がいい加減にすら知っていなかったことが見出されつつあるらしい。と、いうわけで、そのあたりの進展を物理屋なりに理解しようと思っているのだが、なかなか、一筋縄では無い。


Dec 18 22:37, Tokyo

枯木と青空。

朝は娘は保育園にいかないと大騒ぎだったが、連れていくと楽しく遊びはじめた。

その後は本郷へ、講義。一ヶ所途中で講義ノートに i 倍を忘れているのに気付いてあたふたした。

昼食後はのんびり。明後日に勉強会で話す内容を準備する。

娘を拾って帰宅。


Dec 17 21:16, Tokyo

散り残る紅葉。

娘の風邪は治ったはずなのに昨日はなんだか咳をしているな、と思うと、別の風邪だったらしく、僕の喉も今日になって痛くなった。まあ娘の喉は今日は既に少し良くなっているので、ひどい風邪ではないらしい。

娘を公園に連れていく。都心の公園にはまだ深紅の紅葉が散らずにあった。

娘は風邪のためか三時半から八時ごろまでぐっすり昼寝。


Dec 16 23:28, Tokyo

午前中は奥さんと娘を公園に連れてゆく。すべり台に登って降りてというのを娘はひたすら繰り返す。よく飽きないものだ。

午後は昼寝、夕方は娘をお義母さんとスーパーに連れてゆく。行きは楽しく走って店まで行く。帰りは「だっこ」というので抱きかかえたら、遊び疲れたのか、瞬く間に僕の肩で眠ってしまった。


Dec 16 00:24, Tokyo

沈みゆく太陽。

今朝は僕はぐうたら寝ていて、起きたら娘は朝食を終えていたので、慌てて僕も着替えて朝食をとって、保育園へ連れてゆく。

その後は柏へ。一日薄曇り。部屋の暖房を入れても暖まらず、夕方になっても 17 度にしかならなかった。仕方がないので上着を着ていたが、空調が壊れたのかしら。

昼食後に % が、彼の友人で学振の外国人特別研究員制度で日本に来てひどい目に遇って日本が嫌いになった例を二つも教えてくれた。うちの研究所はそんなことはないと慰めてはくれるが、いたたまれない気持ちだ。

お茶の時間に、韓国からしばらく来ている * が、僕らも含めて自分の写真を撮っているからどうしたんだと聞くと、出張した証拠として事務に提出しないといけないらしい。日本でもそういうことをやらせている大学があるが、うちの国だけではないと知ると安心出来る。

その他、いろいろと用事をする。週のはじめに共同研究者に今週こそは時間があるはずだから原稿に手を入れると宣言したものの、それは出来ずじまい。出来ないことを約束するものではない。

和菓子を買って帰宅。


Dec 15 00:23, Tokyo

今朝は冷える。娘を抱いて保育園に連れていき、学校へ。

昼は $ の昼食セミナーを聞く。

それ以外は居室から一歩も動かず講義ノートを書く。娘を保育園から拾うのは奥さんのご両親にお願いしたので、いつもより一時間遅く居室に粘って、一応来週再来週の分は書いてしまったつもり。


Dec 14 00:07, Tokyo

娘の風邪は軽いもののようだ。娘を保育園に連れていって、その後家に一度もどって、昼まで Skype で会議に参加する。

昼食を本郷三丁目の上島珈琲で摂って、本郷に行く。あとは講義ノートのつづきを書く、用事のメールを書く、など。

日が暮れると風が冷たい。娘を拾ってバス停で待っているがなかなかバスが来ない。ようやく来たバスは満員、娘を抱えて吊り革を持っていると、優先席に座っていた僕の母ぐらいのお年の方から席を譲ってもらってしまった。それでも娘はむずがって泣く。

バスを降りてみると、すぐ後ろに次のバスが来て、がらがらのまま通り過ぎていった。


Dec 12 22:13, Tokyo

どうもまた娘が風邪だ。昨晩はまた咳をごほごほしていた。僕らはマスクを付けた。

今朝は奥さんと僕とで娘を医者に連れていく。お医者さんの扉の前で僕は別れて柏へ、見せた後奥さんは娘を保育園につれていった。

あちらでは午前中は会議、その後はいろいろと用事。

先週のいつだったか、駒場の数理の図書館に複写を頼んだ論文であるが、いつのまにか郵便受けに届いていた。というわけで帰宅時の電車内でざっと目を通す。

娘を拾って帰宅。咳は出るが悪くはなっていないようで、安心する。


Dec 11 22:37, Tokyo

一面の銀杏の落葉。

昨日の晩の寝る前、娘は布団に座って手を振り上げながら「あしたは保育園にはいきません!げつようびも保育園にはいきません!じゅうがつも保育園にはいきません!」と力説していた。

そういう娘を朝は保育園に連れていって、その足で本郷へ。朝は講義。

昼食を瀬左味亭に行って、古本屋で一冊本を買う。

その後はすこし原稿を弄ったり、メールに返事をかいたり、講義ノートの続きをかいたりする。

娘を拾って帰宅。連れて帰ろうとすると「ぶーぶーがよかった!」と大泣きされた。車に乗って遊ぶ順番を待っていたところだったらしい。コートを着せようとすると「ぱぱじゃだめ!○○先生がいい!」といって先生に着せてもらう。


Dec 10 23:10, Tokyo

今日はあまり特筆すべきこともない。

どうも六月末のイスラエル出張の航空券代がイスラエルから届かないなぁと思って昔のメールのやりとりを調べてみたら、滞在費はあちら持ちだが、航空券はこちら持ちにすることにしていたことが分かった。しかし、こちらの出張手続はすべてあちら持ちということでやってしまっている。いまから僕の研究費から航空券代が出せるものやらわからないが、一応事務の方にお伺いを立ててみる。

こういう失敗は今後しないようにしたい。


Dec 10 00:23, Tokyo

午前中は娘を奥さんのご両親に任せて、僕と奥さんは街へ買い物に出掛ける。

そういえば今日は昼寝をしなかった。まあ今朝は十時まで寝ていたけれど。

昨日は和菓子を買って家に帰ったのだった。娘はお饅頭を美味しそうに食べた。「パパにありがとうは?」と聞かれた娘は、「また買ってこようね!」と答えていた。


Dec 9 00:12, Tokyo

今日も娘を保育園に連れていって、柏に行く。今日は大人しく来週の月曜の講義のノートをつくる。

午後はお茶の時間のあと # 君と少々雑談、その後は ? 君と少々議論。

今晩もお義母さんが迎えに行ってくださるということでのんびり帰る。都心に戻ると案外雨が降っていて弱った。駅前でビニール傘を買う。

夜は % 君から最近書いていたという論文の原稿が届いた。すっきりしていて面白い話だった。


Dec 7 22:54, Tokyo

今日もいつものように娘を保育園に連れてゆく。コートを着るのを嫌がる娘であるが、唯一着てくれる袖無しのコートがあるので今朝もそれを着せていたところ、朝のバス停でとうとう「さむい。」と言った。

さて、まあ娘を先生方に渡したあと、僕は柏へ。来週の講義の準備をしないといけないが、昨日の疑問が気になって考え事をしてしまう。

昼は $ さんのセミナー。火曜のと違ってとても難しい。僕のやっている話のはずが、言葉が数学なのでよくわからないのである。

その後はしばらく % 君に考え事を聞いてもらった後、講義ノートを書こうと居室に戻るが、筆が進まず、考え事に戻る。+ 君が部屋に来たので少々雑談。

今晩はお義母さんが娘を迎えに言ってくださるということで、すこし遅めに僕は帰宅。電車の乗り換えのため駅の雑踏のなかぼんやり歩いていると、あちらから走ってきた会社員とおぼしき若い女性とぶつかりそうになった。「すいません!」と向こうが僕のすぐ近くでいうのであるが、アニメやドラマで如何にもありそうなシーンが実際にあったので驚いた。


Dec 6 23:33, Tokyo

朝日を受ける晩秋の木立。

今日も娘を保育園に連れていって、その足で柏へ向かう。

午前中は三ヶ月弱放置していた原稿に目を通していろいろと細かな修正をした。

午後はお茶の時間のあとに、天文のセミナーで深層学習を使ってクエーサーの分類をするというのがあったので、新しい物好きの僕としては出てみようと思っていた。しかし、昼食後机にひじをついてぼんやり考えていると、先週金曜日にわかったと思ったことと、二週間ぐらい前にわかったと思ったことが矛盾することに気が付いた。

というわけで、家に帰る時間まで机から動くことが出来ず。娘を拾うため家路には着く。昨日と同様最寄りの駅のベンチに座って考え事をしていると、すこしだけ予定していたより遅くなる。娘は保育園の玄関で寒いのにコートを着ないといって押し問答になって、ここでも時間をつかった。

というわけで、目の前でさらに家に向かうバスを逃した。保育園には近いが滅多にバスの来ないバス停と、遠いが頻繁にバスの来るバス停があるので、近いバス停を使えるように時間を調整していたのである。仕方なく、遠いバス停まで娘を抱えて歩く。


Dec 6 00:12, Tokyo

車窓より望む富士。

今朝も娘を保育園に連れていって、柏へ。

普段は iPad を持って移動するところをパソコンを持って移動したので、車中でも夜の間に届いていたメールにいろいろ返事するなど、随分仕事が出来た。

昼食時の馬鹿話では、若い未婚のイタリア人某ポスドクが、「モルモン教では死んだあとも結婚しているらしい。しかしカソリックでは死んだあとは個別に神を崇めるわけで結婚しているというわけではないんだ。僕はモルモン教を信じていたとしたら結婚したいと思うかどうかはわからない。死ぬまで一緒というのはわかるが、天国に行っても永遠に結婚しているというのはちょっと覚悟がつかない」と言っていた。

昼食後は $ のセミナー。

帰り道の夕焼けの綺麗だったこと!僕は電車の扉の窓にへばりついてひたすら富士山の写真を撮っていたら、途中から乗ってきた白人の親子連れのお母さんのほうも娘を席に座らせて自分は富士の写真を撮るのに夢中になりはじめた。この時期の帰り道の景色は、素晴らしい。

家の近くの駅まで順調にもどったが、保育園に娘を拾いに行くのには少々時間があったので、駅のベンチでパソコンを開いて十五分ほど仕事をする。

夜は娘は久し振りに寝るのに失敗して、大泣きをしながらなんとか十一時ごろ就寝。少しまえまでは頻繁にあったけれど、最近は寝る時間は遅いが、まあ、すうっと寝てくれていたので、なんだか久し振りである。


Dec 4 23:57, Tokyo

今朝も娘を保育園に連れてゆき、その後は本郷、午前は講義。

その後はメールを返事、のんびり金曜日の考え事のつづき、など。

帰り道、また古本屋で一冊本を買う。河出書房の「生活の世界歴史」シリーズのひとつの「インドの顔」。以前、偶然同じシリーズの「イスラムの蔭に」を読んで、感銘をうけたので。今日買ったものも読みはじめてみたが、期待を裏切らなさそうだ。徐々に、他の巻も買いたい。

娘を拾って帰宅。


Dec 4 00:06, Tokyo

今日も青天。午前中は僕はぐうたら。

皆での昼寝の後、夕方になって娘を買い物に連れてゆく。「赤信号だから止まろうね」というと「ちがうよ、赤信号はいそぐんだよ!」と言う。一体誰からそんなことを聞いたのやら。

ポスドク選考の季節なので、応募書類を読みはじめる。履歴書に母語が書いてあることがあるのだが、イラン出身のひとで、母語がペルシャ語でなくてクルド語のひとやらトルコ語(アゼルバイジャン語)と書いてあるひとが居た。後者はどういうことやらと思って調べてみると、アゼルバイジャン語は小アジアのトルコ語とごく近いらしい。また、アゼルバイジャン語を話すひとはアゼルバイジャン自体よりも隣接するイランに住む人が多いらしい。


Dec 2 22:15, Tokyo

大銀杏も見頃です

今日は青天。

奥さんのご両親も一緒に、娘を本郷キャンパスまで連れてゆく。着いたすぐは、近くの公園に行くと思ったのに違うところに連れて来られたからかご機嫌斜めだったが、早めの昼食を食べさせた後は楽しく遊び回って、追いかけるのが大変なほど。

帰り道、娘は昼寝。しかし家に戻ってしばらくしたら起きた。一時間弱ぐらいだから、保育園での昼寝より一時間ほど短い。というわけで、寝るのも一時間ほどはやく、十時前に寝た。


Dec 1 23:52, Tokyo

いつのまにか師走。いつものごとく、娘を保育園に連れていって、その足で柏へ。

一応締切に追われる必要が無くなったから、今日は一日全ての義務を放擲して、以前からやろうと思っていた勉強をする。帰りの道中も含めて、すっきり理解出来た気がして、誰かに聞いてもらいたくて仕方がなくなった。

夜は娘が奥さんの布団の隣に潜り込んだがなかなか寝ないので、「KO理論のスペクトラムは massive free fermion の質量項のなす多様体そのものだと分かったのだけれど…」と説明をはじめてみたら、ちんぷんかんぷんだったようで数分で寝てくれた。この方法は今後も使えるかも知れない。