Dec 31 23:03, Tokyo

今日はようやく多少形のあるものが出た。しかしまだまだだ。食事の後は辛くなる。

博士論文を読んだり、査読を頼まれていたが放置してあった論文を読むなどする。当然ではあるが、英語圏のひとの書いた英語の読みやすいことよ。

昼過ぎになって流石にさみしくなったので、奥さんのご実家に僕も寄せていただくことにした。


Dec 30 20:43, Tokyo

今日も一日ひとりでじっとしている。

精神的には元気になってきて、多少食欲も出て来たが、下痢はあまりよくならない。

まあしかし、読まないといけない博士論文をひたすら読むことはした。

また、ちょっと考え事もしてみる。27日の夕方に共同研究者にメールをした件について、その後も胃腸の不良で朦朧としながら考えていたらしく、ゲージ群が SU のときはいつの間にか判っていたので、E6 と E7 の場合も考えてみた。さすがに例外群は頭の中では出来ないので、久し振りにノートを開いた。わかったことを書き留めておかないと、忘れてしまうだろうが、読み返してもわかるようなまとめを書く元気はまだない。


Dec 29 21:41, Tokyo

木曜は普通に柏に行く。仕事納めにして、金曜からは帰省の予定だった。

午前中は物性研に滞在中の学生さんのセミナーがうちの研究所と合同であったのでそれに参加する。

セミナー後は皆さんで食堂に、その後は $ とお茶の時間まで議論。お茶の時間は @ が朝のセミナーをした学生さんを連れてきてくれたのでしばらく話をした。

その後は = くんと彼の修論の話などをしていると時間になったので、帰宅。

楽しく夕食、娘が寝るのはいつもよりも遅くなったがまあ穏当に眠ってくれて、とまでは良かったのだが、僕は急に胃腸の調子が悪く、一度トイレに駆け込んでから、日記も書かずに寝た。

金曜朝は元気なつもりで、娘を普通に保育園まで送ってゆく。しかし、一度家に戻って来た所で、急にまた胃腸にきて、トイレに行くと水のような下痢。その後何度かトイレに行く以外は、ぐったりしてそのまま横になっていた。

昼にお医者さんにみてもらうと、おそらくウイルス性だろうということで、薬を貰ってくる。熱はお医者さんで計ったときに微熱があったが、その他は平熱。

子供たちにうつったらいけないということで、奥さんと子供たちは予定通り奥さんのご実家に帰省。僕もそのほうがただ寝ていられて楽だった。

夕食は奥さんが準備しておいてくれたうどんを食べる。そのまま早めに寝て、泥のように眠る。

今日もひたすら寝ていた。トイレには昨日ほどは行かないが、下痢はそうすぐはなおらない。

午後四時ぐらいになってようやく起き出してきて、iPad で YouTube を見る気になった。ポスドクだった昔を思い出して、アメリカのトークショーをみたり、当時の同僚がやっているバンドの音楽を聴くなどする。

夕食は炊飯器でおかゆを炊いて、大根でお味噌汁をつくって食べる。ようやく人心地がついてきた。


Dec 27 00:10, Tokyo

今日は物理学科の日程では月曜扱いなので、本郷まで講義に行く。講義では半単純リー代数のルートを導入して、古典型リー代数のルート系を具体的にみる。

講義後は図書館に寄って本を一冊借りる。

その後はいつも通り赤門の横のカフェで昼食、総合図書館に籠って仕事をする。講義録を投稿したから散発的に引用を追加してくれというメールが飛んでくるので、それに対応する。

また、考え事もする。昨日の @ 君のアイデアで、半年ほど考えていた件はほぼ解決したようである。計算もすこししてみたが、欲しい結果がでるようだ。目出度い。理解すべき詳細はまだまだあるが。

夕暮れ、いつも通りドトールでカフェラテを飲もうとしたら、エスプレッソマシンが壊れて出せないという。仕方がないのでローソンでカフェラテを買って、飲みながら歩いて帰る。

夜、娘がトイレに行く際、便座に座ろうとしないで遊ぶので叱ったら娘が大泣きした。こういうことはひと月ほど前はしょっちゅうだったと思うが、随分久し振りだったので、最近かなり利口になってきていたのだな、と思った。


Dec 26 00:01, Tokyo

遠くに望む富士。

今朝は息子がはじめて寝返りをした。

皆で家を出て、奥さんが娘を保育園につれてゆく。僕は柏へ。

移動中は車内では博士論文を読む。歩いている間は別の考え事。

お昼ご飯に行こうと思ったら、* さんがドライカレーを沢山つくってきたといって配って下さるので、$ と # さんと広間で食べる。スパイスが利いていてなかなかおいしい。

昼食後は $ と議論。

帰りの移動中は @ 君から受け取ったメールについて考える。彼のアイデアは素晴らしい。

さて、夜に娘が先にねて、息子が奥さんに抱かれて楽しそうにしているので、珍しく笑っているねと言ったら、奥さんには良く笑っているというので驚く。僕が抱いているときは大抵寝ているか泣いているので。

昨日は講義録をようやく投稿したら、本日の新着論文にはそれと同時に + の論文と = の論文が出ていた。僕と + と = は同じときに同じ研究所でポスドクだったが、彼らが前向きに面白そうな論文を書いているのに引き比べて、僕のやっていることの後ろ向きなことよ。


Dec 25 00:15, Tokyo

今日は晴れ。娘は奥さんのご実家に一日預かってもらう。こちらは息子をつれて少しだけ外に行ったが、その他は概ね家に居た。息子は昨日散々起こされたので、今日はほぼずっと寝ていた。夕方には娘を連れて帰ってきて下さったので、その後は僕らだけで過ごす。

最近は偶然図書館で借りた「エチオピアのキリスト教・思索の旅」というのを読んでいた。エノク書やヨベル書が現代まで伝来した唯一の宗派だというのは有名ではあるが、実際に現地に行って体験してきた人の文章を読むのははじめてだったので、印象に残った。


Dec 23 23:20, Tokyo

昨日今日と小雨が降ったり止んだり。

昨日はどうも疲れがでて、家でぐうたらさせてもらう。午前中は奥さんが娘を遊びにつれていって、その間、僕は息子と一緒に朝寝。昼食後もまた奥さんが娘を連れて行く。僕は家の片づけをすこししたぐらい。夜も日記を書かずに寝てしまった。

今日はようやく疲れもとれ、朝は僕が娘をつれて買い物にゆく。その間、奥さんは昼食と娘のクッキー作りの準備。NHK の子供向け料理番組を見た娘が、是非これを作りたいというのだ。クッキーに型を抜いたところに、透明な飴を砕いたものを詰めて焼くと、飴が溶けてステンドグラスのように固まるというもの。

それ自体は綺麗においしくできたのだが、問題は、僕と娘が飴を砕く際の大きな音で、朝寝中の息子を起こしてしまった。その後も息子は寝る度に物音で起こされ、うまく眠れず、ちょっと申し訳なかった。

夕方は奥さんのご両親がいらっしゃる。子供たち二人を見てもらっているあいだ、僕と奥さんで夕食の準備に足りないものをスーパーに買いに行く。

娘は十時すぎにはすっと寝た。しかし一日うまく眠れなかった息子はその後もなかなか眠れず、少し前にようやく寝た所。


Dec 21 23:50, Tokyo

今朝は皆で家を一緒に出て、娘は奥さんが保育園に連れていき、僕はそのまま学校へ。

学校では午前中はまず隣の建物の $ くんに来てもらって博士論文を受け取る。しばらく内容について話をして、その後は一緒に昼食へ行く。

午後は駒場の % くんに来てもらって博士論文を受け取る。しばらく内容について話をして、その後はお茶の時間。

それぞれ事前にメールで論文の pdf ファイルは貰っていたのだけれど、この二人は僕が主査だから、直接来てもらって、印刷した論文やら種々の事務書類を受け取って、かつ、内容の話をするというのは、まあ、慣例として許してもらおうと思う。しかし、こういう立場に長くいると、徐々に学生さんへの応対が傲慢になっている気がして、いけない。

その後は、こちらの学生さん方としばらく雑談、居室に戻ってすこしだけ仕事をして、帰宅。

娘は今日はおおはしゃぎしてきたらしく、風呂の後は一瞬で寝た。


Dec 20 23:00, Tokyo

今朝は穏当に娘を保育園につれていって、普通に柏へ向かう。

あちらではメールに返信したり、原稿をすこし書いたりなどするが、主に $ と議論。

お茶の時間、博士論文の提出の終わった # 君が疲れた顔をしていたのをみかけて、「いつも元気なのにそんな疲れたふりをしてどうしたの」とつい口から出てしまい、それはアカハラだと # 君からも周りの皆からもひどく怒られた。全く言い訳のしようもない。反省のため、ここに書いておく。

博士論文の提出が終わったということは、審査員側の僕は沢山博士論文を読まないといけないということで、電車のなかで読むことをはじめた。

家に戻っても、時間をみつけて、読む。


Dec 19 23:40, Tokyo

今朝は娘はご機嫌。家を皆で一緒に出て、娘は奥さんが保育園に連れていき、僕は学校へ行く。

行きの電車からは富士山が綺麗に見える。帰りは西にだけすこし雲があって富士は見えず。

午前中は $ と議論、昼食後は # と議論、お茶の時間は $ と # と、イスラエルとイランと日本の宗教的感性の違いの話をしていた。その後はまたすこし $ と議論。

帰りの車中では * くんの議論のメールに返事を書く。

娘のクリスマスプレゼントにマグフォーマーなる磁石でくっつくレゴのような玩具を貰ったのであるが、箱を開けてホットカーペットの上に並べるとときどきジージーと振動する。どうも、ホットカーペットに交流電流が流れる際に振動磁場をつくって、それに磁石が引かれたり押されたりして鳴るらしい。サーモスタットで電流が入り切りしている様子が急に音でわかるようになった。


Dec 18 22:50, Tokyo

柏の葉の夕闇。

今朝は娘が保育園に行きたくないといってさめざめ泣くので僕は連れていけなかった。僕が出掛けた後、一時間ほど遅れて奥さんが連れていって、お昼ご飯のあとには連れて帰ってきたらしい。

こちらは柏までいって、文献を漁るやら、メールに返事を書くやら、? と議論をするやら、= のセミナーを聞くやら。

お茶の時間は博士論文提出のため慌ただしい雰囲気の学生さん達と雑談をする。

帰り道、西の空に黒々と富士が見える。ちょうど通りかかった新入りポスドクの % にあれを見ろ、と指さしてみる。

家に戻ってみると娘は奥さんと一日遊べたので満足そうな顔をしている。夜も穏当に寝た。


Dec 17 23:52, Tokyo

散り残る大銀杏。

今朝はまだ小雨。娘はまあ元気そうなので保育園につれていった。

そうして本郷へゆく。講義は su(2) の有限次元表現を復習して、そのうちどれが SO(3) の表現にあがるか議論したところでかなりの時間を使い、あとは u(N) のルートの構造を説明したあたりで時間切れ。

講義を終えて外に出てくるとすっかり青空になっている。昼食をいつものように赤門横のカフェで食べようと歩いていると、文学部の建物にあんな緑青の綺麗なでっぱりがあったかな、と思ったら、なんと数匹綺麗な緑色のインコがとまっていて飛び立った。東工大のあたりには野生化したのが沢山以前から居るが、本郷にはいつからいるのだろう。

食後は第二食堂上のピアノで少々練習。その後は物理図書に籠って論文を書きはじめる。

ドトールでカフェラテを飲んでから、帰宅。

息子は今日で五ヶ月。今日は BCG のハンコを押したらしい。夜、泣いている息子を抱きながら、二つの系を duality chain でつなげることを考えていた。これは娘が数ヶ月のときに抱きかかえながら考えていた duality chain を拡張すればわかるはずである。言うことを聞かない娘だが大きくなったことだ。子供たちは十時過ぎには寝た。


Dec 16 23:19, Tokyo

今日は寒い。明け方は都心も二度、日中の最高気温も七度だったそうな。

朝は以前から予約していたので奥さんが娘を歯の検診に連れてゆく。僕が朝ご飯の片づけやらを終えて、歯医者まで会いに行ってみると丁度出てくる所で、なんでも終えてお会計を済ませている間にすこし吐き戻したらしい。

家に戻っても娘はあまり元気が無く、食欲も無いようだ。一昨日からの胃腸の不調の続きだろう。家でゆっくりさせることにする。

娘は夕暮れごろに一時間ばかり寝て、ようやく元気を取り戻してきた。奥さんのご両親もいらして、夕食の準備がはじまったので、僕は抜けさせてもらってしばらく仕事をする。

娘にはお腹にいいものを少しだけ食べさせる。息子は相変わらず目が覚めているとあまり母乳を飲まず、うとうとした時でないと飲まない。

子供たちは十時半すぎに寝た。朝起きたときに娘が寝ぼけて「保育園にいく!」といって大声を出していたのを思い出して、寝る前の娘に「あれは何だったの」と聞いてみたら、母親と手をつないでけんけんぱをしながら保育園に行っている夢を見ていて、ちょうど転んだ所で起きたのだとかなんとか言っていた。


Dec 15 23:03, Tokyo

今朝は奥さんが娘をすこし離れた所の短大の学園祭に連れてゆく。保育学科が主だから、ちいさな子供向けの催し物が沢山なので。

僕は家の片づけをもうすこしやってから遅れてゆく。娘はなかなか楽しんだようだった。

帰宅後、午後は僕は息子のとなりで昼寝をさせてもらう。その間、奥さんと娘はすこし早いがクリスマスケーキをつくる。買ってきたスポンジに生クリームと苺で飾り付けをして、僕が目が覚ました頃には完成していた。

夕方は奥さんのご両親もいらっしゃって、皆で夕食。

娘は昼寝をせずに夜まで過ごした。そのせいで寝る前二時間ぐらいの機嫌は乱高下して大変だったが、いつもより早く九時半にはすっと就寝。

息子は最近は寝返りの練習に余念がない。ここ数日で体を半分立てるところまではするようになったが、まだ下になった手を抜けないようだ。


Dec 15 00:38, Tokyo

冬枯れの桜並木。雲と青空。

昨日は雲と青空が半々ぐらい。娘を保育園につれていって柏へ行く。

柏では滞在中の $ にセミナーをしてもらう、興味深し。その後彼と #、*、= とでキャンパスを出てすこしのところにあるうどん屋に行って、議論やら雑談やら。

ららぽーとでお尻拭き用コットンを買って家に帰る。

夜は娘が十時過ぎに寝たあたりに僕も眠くなってしまって、十一時半ごろ起き出して食洗器やら洗濯物やらの片づけをして、そのまままた寝てしまった。

今朝は娘が二度ほど下痢をする。あまり元気もなさそうなので保育園は休ませる。しかしまあ僕は柏へ行く。

雲ひとつ無い青空で、行きの電車からは雪を頂いた富士が綺麗にみえる。

あちらではメールに返事をするやら、講義録にもらった意見を反映させるやら。

昼食は何故か今日は * しか居なかったので、二人でキャンパス端のすし屋に行く。食事中から議論をはじめて、戻っても一時間ほど続ける。この話はいろんな人とやってみているのだが、うまくいかない。今度こそうまくいくだろうか。

$ は今朝は別の共同研究者と議論をしに行っていたのだが、お茶の時間には戻ってきて、またすこし雑談と議論をした。

家にかえってみると、娘はその後下痢はせず、徐々に元気になったようで、一安心。娘は十時半には寝た。

明日締切の推薦状をひとつ書くのを忘れていたことに気付いたので、それをその後書いていたら遅くなる。

さて、ここしばらくは移動の車中は偶然借りた「聖なるロシアを求めて」(平凡社ライブラリー)を読んでいた。ロシア正教の旧教徒(17世紀のニコン総主教の改革を拒否したため迫害された人々)の話をきちんと読んだ事がなかったので、興味深い。たとえば、旧教徒のあいだでは、東方に旧教徒が自由に暮らす楽園があるという伝説があったらしく、明治時代になっても、ある村が代表を日本に派遣して楽園を探しにきたのだが、無いことを知って落胆して帰っていく、ということがあったそうである。


Dec 13 00:14, Tokyo

今朝は雨。傘をさして坂を下っていると娘がすてんと転んだが泣かなかった。すこし濡れたズボンは保育園で着替えさせる。

こちらはその後は柏へ。途中で携帯を家に忘れてきたことに気が付いた。

朝は # と議論、途中から $ も加わって、議論。昼食を挟んで、お茶の時間までずっとやっているが、これがなかなか難しい。

その後は返答の必要のあるメールに返事をいくつかするなどして、帰宅。

娘と息子は今日もまあ穏当に十時半まえには寝る。

娘は最近は何かその時にやりたいこと、欲しい物があると「○○がいい!」といってそれ以外のものは普段好きなものであっても「××は嫌い!」というので、どうしてそう好き嫌いが時と場合によるのだろうと困っていたのであるが、どうも「○○のほうがxxより好き」という構文を知らないだけなのではないかという気がしてきた。そう思ってみると言っていることの意味が判ってきた気がする。


Dec 11 23:34, Tokyo

今朝も娘の保育園ゆきは随分穏当だった。

その後は柏へ。今週は韓国から長年の共同研究者の $ に来てもらったので、彼と一日いろいろと議論や雑談をする。

その他、昼は + さんのセミナーを聞く。

奥さんから、今晩は奥さんのご両親にも来てもらって助けてもらうから、もうちょっと学校にいて仕事をしていても良いからと言われて、三十分おそく帰ってきた。帰ってくると夕食の途中で、娘が「どうして今日は遅かったの」という。しかし、慣れないことをすると、いろいろと違和感を感じる。

夜は娘も息子も十時過ぎに穏当に寝た。


Dec 10 22:50, Tokyo

銀杏。

今朝はまあ穏当に娘は保育園に連れられていった。そのまま徒歩で本郷まで。

あちらではまずは講義。前半は指標の例を D8 と Q8 でやって、有限群は一段落。後半はリー群とリー環の話にうつる。

昼食時は $ くんと議論のつづきをする。

その後は生協の書籍部で群論関連の教科書を今さらながら眺めてみる。三階のピアノで随分久し振りにすこし弾いてもみる。

あとは物理図書に籠って、事務的なものやら物理の議論やら、いろいろとメールに返事を書く。

暗くなって歩いて帰宅、西の空に低く細い月が見えた。

昨日と同じような経緯で娘は十時半すこし前に寝た。息子もその後すぐ寝た。


Dec 9 22:51, Tokyo

今朝はフレンチトーストを奥さんと娘がつくってくれた。そのあと娘は奥さんのご両親に連れられて出掛けてゆく。

僕と奥さんは家の片づけ、掃除をしながら、息子を連れてどこか出掛けようかと話をしていたが、息子が昼食前にぐっすり寝てしまったので、目が覚めるまでこちらも家で休憩することにする。僕は昼寝。結局三時ごろからすこしだけ街に出掛けた。

家に戻って、皆で夜はお好み焼き。今日も娘は沢山遊んでもらったお蔭か、すっと寝た。横ではちょうどしばらく寝ていた息子が泣き出したところだったので、娘も起きてしまうかと思ったが、何とかなった。


Dec 8 23:34, Tokyo

今朝は十時過ぎに娘を連れて本郷キャンパスへ行く。銀杏の落葉の絨毯を見て「まっきいろだー!」と歓声をあげるのを見て目を細める。総合図書館前の広場で遊ぶ、など。

昼頃、息子を連れて奥さんが合流、昼食、すこし散歩したら奥さんは息子を連れて先に帰宅。こちらは娘と更にキャンパス内で遊ぶ。

総合図書館前の広場に戻って遊んでいると、知らない若い学生さんが声を掛けるので何だろうと思うと、来年物理学科に進学する二年生らしい。どう返事をしていいか困ったので、娘を紹介してみる。もはや僕と彼の年齢差よりも彼と娘の年齢差のほうが小さい。年をとったものだ。

娘が眠そうにしはじめたので、ベビーカーにのせて、自宅近くの公園まで移動することにする。すぐに娘は寝てしまったので、晩秋の東京の街をのんびり歩いてゆく。公園につくと丁度目が覚めて、またひとしきり遊ぶ。

四時ごろ息子をつれた奥さんと交代、結局娘は五時まで遊んで家に戻ってきた。

さすがにこれだけ遊ばせただけあって、風呂上がりの娘は一瞬で寝た。


Dec 8 00:03, Tokyo

雨の後の銀杏並木。

今朝も穏当に娘は保育園に連れられてゆく。

今朝もその後は家に戻って、昼までスカイプで会議に参加。

奥さんと昼食のあとは、本郷まで歩いて、% がセミナーを二つするのに参加。彼の話はいつも非常に明快だ。彼の一連の仕事はきちんと追っていなかったので、こうやって本人から話を聴けるととてもありがたい。

日が暮れて、徒歩で帰宅。途中、夏の間預けていた毛布をクリーニング屋さんに取りに行くが、なんとこの年末でお店を閉めてしまうらしい。そのクリーニング屋さんはチェーン店なわけだけれど、会社が来年一月からすべて管理をタブレットですることにしたのだそうである。が、お店をなさっている温厚なおばあさんはタブレットはしばらく練習したのだけれど使いこなせないから、これを気にすっぱり止めてしまうことにしたのだとか。これまでどおり紙でできればいいんだけどねー、私はこうやってぴんぴんしているんだから。とのことである。

最近娘は急に絵が具体的になってきた。十時半には穏当に寝た。

その後は僕はしばらくパソコンに向かって講義録の編集をする。


Dec 6 23:27, Tokyo

今朝は小雨、娘はレインコートに傘をさして歩いていったのが楽しかったのか、保育園ではいつもべったりくっついている先生がいらっしゃらなかったにもかかわらず泣かずに僕から離れていった。

柏に行っていては間にあわないので、家に戻って、スカイプで会議に参加、正午まで。

奥さんと昼食。その後はすこし休憩して本郷にでも行って図書館に籠って仕事でも、と思っていたら、昼寝をしてしまい、気が付いたら三時半。奥さんは四時には娘を迎えに行くが、娘が帰ってきてしまうと仕事にならないので、僕も慌てて家を出る。

仕事をはじめたら、時間を忘れて、気が付いたらいつもより遅くなっていた。七時すこし前に帰宅。じいじとばあばも来ていらして、夕食中。僕は普段は夕食前には帰るようにしていたので、夕食に遅れたことに愕然とするが、僕以外はあまり気にしていない模様。

今晩は随分久し振りに娘が寝る前に眠れないといって泣いた。それでも十時半には寝た。


Dec 6 00:21, Tokyo

本郷キャンパスの銀杏。

今朝も娘を保育園につれてゆく。案外穏当に済んだ。

そのまま歩いて本郷へ。銀杏が見事だ。黄色い落葉で遊んでいる保育園児を横目に僕は総合図書館にゆく。

そこではひたすら書類を読む。昼ご飯は瀬左味亭。

その後、大学の古い友達と久し振りに昼食をとっていた奥さんと息子と合流、少々キャンパスを散歩。

見送ってから、こんどは物理図書に籠って、書類をよむ。

頼まれたバンホーテンのココアの缶を買って帰る。すこし前にふと買って娘につくってやったら随分気に入ったらしく、ここ十日ほどはほぼ毎晩せがまれてつくっていたら、100g 入りの缶を使い切ってしまったので。これまでは買っても使い切る前に冬が終わっていたことを思うと、大きな違いだ。

娘は今日もうまく眠れないと言いはじめそうになったが、なんとか寝てもらった。十時四十五分頃。


Dec 4 23:40, Tokyo

柏の夕暮れ。

金曜夜に理解が進んで嬉しかったという話は、昨晩皆が寝静まってから文献を漁っていると、* 先生の十月の論文の一部分に含まれていることがわかった。新しいことをみつけたと思っても、なかなかうまく行かないものだ。

今朝は大過なく娘を保育園につれてゆく。

クリーニング屋に寄って、夏の間預けてあった毛布を家に持ってかえってから学校にいこうと思ったら、今日は定休日だった。というわけでそのまま学校へ向かう。

あちらでは今後数回の講義のために講義ノートを準備する、というのは、去年その箇所をやった際に、ノートに書いた証明の間違いに気付いたが、放置してあったので。また、講義ノートに追加するのに良い材料を、早春 ? くんと共同研究している際に、どこかの論文で読んで、内容は覚えていたものの典拠を忘れてしまっていた。辛うじて著者を思い出したので、論文一覧から何とか探し出した。

あとは、# と議論する、昼は = さんのセミナーに参加する、など。

不思議に生暖かい一日。ららぽーとのカルディでメープルクッキーを買って帰った。

夜は娘は久々に眠れない... と言いはじめそうになったが、なんとか穏当に寝かすことに成功する。十時半也。


Dec 3 23:33, Tokyo

晩秋の三四郎池。

土曜は朝は僕が娘を公園に連れ出す。昼食後は奥さんが娘を連れて近所のお友達宅に、みなでクッキーをつくったらしい。

夕食に奥さんがつくったトマトスープは娘のお気に召したようで、おかわりまでして食べて、僕らは非常に喜んだ。これまでは何を作ってもふりかけご飯のほうが美味しいと言わんばかりの反応だったので。

夜は奥さんが子供二人を寝かせている間に僕が先に寝てしまった。気が付いたら一時半で、周りは寝静まっている。静かに起き出して、家事の残りをして、また寝る。

日曜は朝から娘をじぃじばぁばに預けた。僕は昼までぐうたら寝かせてもらった。娘とじぃじばぁばは夕方戻ってきた。地域の餅つきで貰ったお餅を沢山持って帰ってきてくれたので、それをたらふく食べる。

その後は一時間ほど月曜の講義のために講義ノートの復習をする。夜は大勢で夕食。

娘は昼寝が少なかったから九時半には寝てしまった。息子も十時には寝る。僕は日記を書かずに寝てしまう。

今朝もまずは娘を保育園につれてゆく。園までは珍しく泣かずに着いたのだが、その後派手に泣かれた。というのは、トイレに行ったあとズボンをはかせようとしたら、「自分ではく」と言いつつズボンをほうりなげる、というのを繰り返すので、無理やりはかせると、「自分ではくといったでしょ!」と号泣して、わざわざズボンを脱いで、自分ではき直したのである。なぜ、それならはじめから自分ではいてくれないのか。なぜ、こうやって、親の忍耐のぎりぎりを毎回試すのか。いい加減学んで、中途で折れてくれないものだろうか。

講義は有限群の既約表現の個数と次元の二乗の和の公式の証明に費やす。

講義後は、総合図書館で秦「七十人訳ギリシア語聖書入門」を借りてから、赤門横のカフェで昼食。この本は先日借りた本との内容の重複が多い。

あとはキャンパスを散歩、紅葉が見頃の三四郎池には沢山人がいる。若い男女ふたりがじっと池の入り口のもみじの下に佇んでいるのはほほえましい。素研にちょっと顔をだして、物理図書に籠って考え事の続きをする。日が暮れて、ドトールで一杯コーヒーを飲んで、徒歩で帰宅。

夜は娘も息子も穏当に十時すぎには寝た。その後風呂に入って、三日分の日記を書いているところ。