Jun 30 23:52, Tokyo

今朝は娘と奥さんは昨日焼いたスポンジにクリームを塗って桃を並べてケーキをつくる。その間、僕は風邪の息子を抱いている。

昼食後は昼寝。三時ごろ奥さんのご両親がいらっしゃって、娘の誕生パーティ。息子は幸い気持ち良さそうに寝ているので寝かせておく。

僕と奥さんからの誕生カードの絵のケーキにロウソクが三本しか描いていないので、「一本足りないよ!」と娘は自分で描き足した。色も使い分けて描いたのをみて、感心する。

その後は僕は娘を連れてプレゼントの色鉛筆のセットを買いに行った。先に買っておくべきものではあるが、どうも慌ただしくて間にあわなかった、駄目な親である。まあ娘は夕方の街までのお出かけを楽しんでくれたようではある。

戻ってくると、息子も起き出して遊んでいる。ぐっすり昼寝をしたあとは随分元気になったようで、鼻水もとまっていて、一安心する。

大勢で楽しい夕食。奥さんははりきって娘の好きな料理をいろいろ作った。しかし生憎、娘は先だってケーキを大人と同じだけ食べたからお腹が一杯で、食がすすまなかったようだ。娘は残念そうな顔をしていた。


Jun 30 00:15, Tokyo

今日は小雨が降ったり止んだり。息子は今日になって鼻水が出てきた。数日前の高熱と関係があるのか,ないのか。

午前中は娘の誕生日が近いので奥さんと娘がケーキのスポンジを焼く。昼食後はみんなで昼寝。息子だけはじめしばらく寝る気がなく、布団を縦横無尽にハイハイしていたのでちょっと困った。

昼寝後は雨が止んでいたので、娘をつれて遊びに行く。ひさしぶりに自転車の練習、また、縄跳びをしたり、シャボン玉をしたり。帰りに頼まれた買い物をしていこうとしたら、娘が食用菊のパックを発見、ケーキに飾るといって聞かない。まあひとパック七十五円だから買ってしまう。どうするかは知らない。

夕方は夕食の配膳の手伝いを奥さんが娘に頼んだら、「やるよ〜」と答えるものの、他のことをやっていて来ない。そこでつい僕がやってしまって、さて娘は遊びが一段落して食卓に来る。「お手伝いは?」「パパがやっちゃったよ。」「お手伝いやりたかった!パパずるいよ!」というわけで数分号泣する娘。

あとはまあ穏当に時間が過ぎる。

奥さん子供たちが寝静まったあとは、ここ二週間ほど読んでいた「オデュッセイア」を読了。後半の盛り上がりは素晴らしい。途中、第二十二歌の該当箇所まできてようやく、これが「吾輩は猫である」の第三話で寒月君が練習する演説「首縊りの力学」で引かれている話だと思い出した。しかし開国から漱石まで五十年も経っていないだろうに、平然と西洋の古典をも自分のものにしているというのは素早いことだ。

そうして、学生のころに物理図書の稀覯書の棚で「首縊りの力学」の原論文を探すのに時間をつかったことなど懐かしく思い出されるけれど、あれから十八年も経って、なんでもネットで調べるだけで出てくる。随分時代は変わった。

Wikipedia から情報を拾っておくと、「吾輩は猫である」にその論文が載った経緯は寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」及び中谷宇吉郎「寒月の『首縊りの力学』その他」に詳しい。原論文はRev. S. Haughton, "On Hanging", Phil. Magazine ser.4 vol.32 (1866) pp.23-34。 僕がそのときそんなことを調べようとおもったのは、すこし前に実家に帰省した際に応接間の文学全集の寺田寅彦の巻でも読んだからではなかったか。


Jun 29 00:28, Tokyo

街に降り注ぐ光。

今朝は楽しく娘は保育園に連れられてゆく。最近の日課はツバメの巣で雛をみること。娘がずいぶん立ち止まっているので「そこにいると親のツバメが怖がって餌を持って戻ってこられないからこっちにこよう」と言って連れてゆく。そうすると親ツバメはさっと戻ってまた餌をとりに飛び立ってゆく。

こちらは柏へ。昨日の考え事の続き。一般論ではなくて具体例で考えてみることにする。すると思いがけないことがおこった。

昼食後は一時間半ほど大学の広報誌の取材を受けた。その後は来週月曜の講義の準備をする。帰宅時は考え事のつづき。 今日は奥さんの誕生日なので、駅前で花束を買って帰った。

奥さんと子供たちが寝静まって、片づけをやったあと、講義ノートの準備をキリの良い所までしたら、こんな時間になった。寝よう。


Jun 27 23:38, Tokyo

今朝は曇。娘は保育園に楽しく行ったが、園の玄関を入った所で笹をみて、家に昨晩いろいろ書いた短冊を忘れてきたことに気付き、号泣。「家に取りに帰る」というがなんとか説得した。

こちらは柏へ、昨日の考え事のつづき。多少理解は進んだ気がする。

昼食後はそれに関すること関しないことについて $ と議論。〜なことを考えているがよくわからない、というので、それは十数年前のとある論文で議論されていたはず、と言って取り出したら確かに書いてある。出た頃は話題になって僕も詳細を読んだが、その後は当然のように結果だけ使われていて $ のように若いひとは知らなかったらしい。亀の甲より年の功というやつだ。僕も年を取った。

三時からは % 君と議論。こちらは順調、一段落したので次のステップをどうするか考えないといけない。

家に戻ると、朝はまだ多少熱もあった息子は平熱に戻っており、楽しそうにしているので一安心。夜は娘を僕が寝かしつけた。以前は母親以外に寝かしつけられることを拒否していたので、随分成長したと思う。


Jun 26 23:05, Tokyo

ねじばな。

今朝は息子が高熱を出した。娘は楽しく保育園に連れられてゆく。僕は柏へ行く。

柏では考え事。早春に * とやっていて棚上げしていた話だが、他の用事がほぼ片づいたので、そろそろ戻ってこようかと思ったのだ。

まずはどこに問題があったかを思い出して、あとはもやもやと考えるのみ。

今晩も奥さんのご両親に助けに来ていただいて、僕は家に戻った後はぼんやりしていた。息子は結局お医者さんに連れていったらしい。熱だけが出て鼻や咳の症状はない。

僕としては昨日も書いたように仕事が片づきつつあり心は穏やかになっているつもりなのだけれど、奥さんにいわせれば帰国してから娘への対応に刺があるので疲れているのではないかという。そうかもしれないし、先週一週間は二十歳過ぎの学生さんを相手にしていたから三歳児の相手の仕方を忘れてしまったのかもしれない。


Jun 26 00:26, Tokyo

柏の夕暮れ。この虫は何をしているのだか...

朝食時に娘に「ソーセージのおかわりいる?」と聞いたら「いらない」というので親が食べてしまったのだが、しばらくして「やっぱり食べる」という。しかし、冷蔵庫のソーセージをちょうど使い切った所だったのでもう出てこない。これで娘は大泣きして、その後もすねて毛布を被って部屋の隅で寝転がってしまって、保育園に行こうとしない。僕はあきらめて学校にいって、奥さんにしばらくしてから連れていってもらった。

こちらは久しぶりに柏へ行く。途中、個人経営のコーヒー屋に入ってカフェラテを頼んだら、小銭もなければお札もない。パスモの中にはお金はあるがこのカフェでは使えない。もう淹れはじめてくださっていたところなので弱ってしまって、近くの郵便局でお金をおろしたら、手数料が 108 円も掛かった。随分高いカフェラテになってしまった。

まあしかし、自分の居室に着いてみると、心が軽い。アメリカでの集中講義とこちらでの毎週の講義が両方あるのが精神的に負担だったところ、片方が片づいたからだろう。というわけで、まずは散らかっている本棚を整理してみた。

そのほか、推薦状を一通提出、さらに、出張の移動中やら夜やらに地道に査読をしていた二本の論文に返事を書く。片方の返事はすぐに書けたが、もう片方の返事は非常に時間がかかる。半分ぐらいかいた所で時間切れだ。

家に戻ると時差ぼけで眠くなった。夕食のあと、奥さんと子供たちが寝静まったあたりに、また目が覚めてくる。食器の片づけやら、洗濯物を畳むやらしていると、一週間やっていなかったので手際が悪くなっていてよろしくない。

さて、その後、二つ目の論文の査読の返事を書いてしまおうと思って仕上げてしまったら、こんな時間になった。寝よう。


Jun 24 22:45, Tokyo

雨に濡れるバラ。

土曜日の朝の Boulder は小雨、十度を切って冷える。薄い上着を持ってきておいたのが丁度良かった。寮の敷地の端の交差点にスタバがあるのでそこで朝食。その向かいに空港へ行くバスの停留所がある。空港までは一時間。まったく便利なところだ。

空港ではのんびり土産を選ぶ。十二時半頃搭乗、出発は一時半。大円から離れて随分北を飛んでゆく。十一時間のうち半分ぐらいは寝た。その他の時間は主に査読を頼まれた論文を読んでいた。行きの飛行機よりは随分揺れた気がする。着陸すると、実家の母から、千島列島で噴火があったらしいが大丈夫かとメールが届いていた。それで千島列島を避けてオホーツク海とサハリンを飛んでいったわけだ。

着陸は日曜の午後四時。何故かずっと着陸は六時だと思っていたので、夕食はどこかで摂って家にかえると伝えてあったのだが、家につくと六時。途中でスーパーでお弁当を買って戻った。鍵を開けて家に入ると奥さんがびっくりした顔で「え、いま着陸したんじゃないの」と言う。娘が跳び付いてくるのは嬉しい。夜はいつ寝たのかあまり記憶が無い。

月曜朝はまあ普通に起きる。起きてしまえば日本の朝はあちらの夕方なので特に問題はない。

雨だが娘は僕に連れられて、はやめに順当に保育園にゆく。保育園での仕度も娘が率先してやってくれるので、随分はやく本郷について、講義まで一時間ある。

というわけで第二食堂上の音楽室に行ってピアノでも少々練習することにした。もう片方のピアノではどなたかが半音階的幻想曲とフーガをやっている。空いているほうのピアノが変な場所にあるな、と思っていたら、あちらのピアノで弾いていた人が「一緒にもとの場所に動かしましょう」とピアノを弾く手をとめて立ち上がってきたので一緒にガラガラと動かす。

講義はまあ穏当に進んだつもり。昼食後は眠くなる前に家に戻って、それからいろいろとメールの返事を書く、息子の相手をする、など。

夕方は奥さんのご両親がいらして手伝ってくださっていたので、僕はしばらく半分寝ていた。十時ごろ娘も就寝、その後また起き出して少々用事をすませ、数日間の日記を書いている所。


Jun 21 21:45, Boulder

桐の仲間でしょうか。

五日目。朝は曇。最高気温は昨日より十度下がって十八度だという。薄いセーターと薄いコートを持ってきておいてよかった。

今日は朝一番に自分の講義の番。まあ恙なく終えた。その後も学生さんに色々と質問をしてもらって、答えていると時間が過ぎる。

昼食時に屋外のテーブルに +、# と座っていると学生さんがここ良いですか、と一人でやってきて、これまた講義の内容について色々と質問をしてくれた。自分の学生だった頃のことを思えば随分勇気のある人だ。+ がその眷族と話をしている所に近寄るなど出来なかったろう。

そうすると急に雨が降り出したので室内に入る。そこでは初日からいろいろと質問をしてくれていた学生さん二人に更に質問攻めに遭った。

食後は事務手続き、その後は + の講義。それで今週の講義はお開きだが、その後一時間ほど = と議論をしていた。

小雨の中、バスにのって街に行く。蜂蜜屋があったので御土産に幾つか買って帰る。アメリカの花の名前がいろいろ書いてあるが良くわからないので適当に選ぶ。

また、先日とは別の古本屋に行ってみた。ここの品揃えはそれほど悪くは無い。プリンストンに居た頃、本屋で何度も買おうか買うまいか悩んで結局買っていなかった「はず」の本、 Davis "The Return of Martin Guerre" をみつけた。本を手に取りながら、著者はプリンストンの歴史科の先生で、夫は数学者だが政治活動の為アメリカに居られなくなってカナダに移住、いろいろ大変だったことが、Martin Guerre の経歴と不思議に相関があったのだった、と考え、この本を以前購入していないのなら何故そんなに著者のことについて知っているのだろう、と気になる。しかし、買った記憶はない。インターネットがあれば買った本の一覧が確認できるのだが、国外なので携帯がつながらない。としばらく逡巡するも、えいやと購入。

何とか生協の閉まる前にもどって、夕食。寮の部屋に戻って、今日買ったのは二冊目でないことを確認した。しかしなぜ著者の経歴を覚えていたのかは思い出せない。


Jun 20 23:36, Boulder

この寮に泊まっています。

四日目。自分の講義がないので気が楽だ。今日も暑くなる。

というわけで溜まりつつあるメールに返事をしたりもする。

夜は lecturer's dinner ということで、街まで夕食に連れていってもらった。基本的に # と $ さんが話をするのに周りのひとが相づちを打つのを聞いていただけだけれど。

Higgs の原論文には Higgs 粒子のことは一言も書いて居らず、査読の際に査読者が指摘したのだという話を聞いた。


Jun 20 09:31, Boulder

夕暮れ。

月火は二十数度で曇って涼しかったが、水曜になって晴天がひろがり、三十度弱まで上がる。

三日目の講義も恙なくおわった。少々趣味に走って内容がテクニカルになったが、聴衆の一部からはいろいろと質問も出たので、許されるのではないかと思う。

五時に今日の講義がおわったあと、早めに生協で夕食をとり、十分ほどバスに乗って街の中心部まで行ってみることにする。目抜き通りに大手チェーンでない本屋がいくつもあるのは珍しい。二つほど冷やかしてみるが、お目当ての人文系の専門書はあまり置いておらず残念だ。プリンストンの Labyrinth は良かった。

大学の寮に戻ると丁度日没、すばらしい夕焼け。しばらく見ながら呆けていた。

九時半頃眠くなり、気がついたら朝の六時だった。良く寝た。


Jun 18 23:08, Boulder

雁と雛。

二日目。昨晩は時差ぼけか朝の一時から三時ぐらいまで起きていたが、合計時間で言えばぐっすり寝た。

今日も一コマ講義。まあ順調に進んでいると言っていいかと思う。

今日は三コマしかなく、夜の $ による公開講演まで時間があった。$ がコーヒーでも飲もうというので、? と三人で少し離れた所まで歩いてゆく。

宿に戻る途中で大学の芝生の上にたくさん雁の糞が落ちているなと思っていたら雁の群れに遭遇。なんと可愛い雛を何羽も連れている。そうしてプリンストンの雁とちがって人を見ても逃げないでこちらに寄ってくる。

宿では少々休憩。講演会は七時半だから、六時半すぎに部屋を出て生協で軽く夕食にしようと思ったら、なんと六時半で閉店。

まあ仕方なくあたりを散歩してから講演会へ。良く練られた内容で感心する。途中、スライドに出て来た Englert 先生がつけているネクタイと $ がつけているネクタイが同じであることを * さんが指摘すると $ が言うには、't Hooft 先生の六十歳記念パーティに出た人に配られた 't Hooft 先生ご自身のデザインしたもので素粒子の標準模型をあしらったものらしい。

寮への帰り道、兎にもあった。これもプリンストンとは異なって僕を見ても逃げない。この大学の学生はプリンストン大の学生より動物に優しいのかもしれない。

夕食は結局、寮から少し離れた所にアジア料理屋があったので、フォーを食べた。


Jun 17 20:50, Boulder

今日は講義の一日目。

はじめる前から、学生さんに「去年の CERN での冬の学校の講義の動画をみたのでそれに関して質問が」と話しかけられてびっくりした。ほぼその講義そのままではあるが、いろんな箇所を多少判りやすくは改良したつもりではある。講義後には別の学生さんから「CERN での講義の録画より判りやすかったですよ」と言われて、多少安心する。

こちらの大学生協は入り口で登録証をみせればあとは食べ放題という仕組みでこれまたびっくりした。さらに別の学生さんに聞いてみるとアメリカではよくある、たとえば Yale とか UCLA とか、と言われたが、僕がこれまで訪れたアメリカの大学はどこもこういう仕組みではなかった。

夕方には学生さんがそれぞれ 3 分ずつ発表するという時間があって、出席してみる。皆さん自信に溢れた発表である。


Jun 16 22:41, Boulder

太平洋に沈む夕陽。

日曜は東京は暑くなった。朝は家に居て、昼食後に出発する。玄関では娘に「パパ行かないで」と泣かれる。家の前の道を歩いていても泣いている声が聞こえた。しばらく経って、記念に写真を撮っておけば良かったかと思ったが、まあこうやって日記に残しておくだけでも良かろう。

成田エキスプレスで成田まで。チェックインをすませ、毎度のしきたりだから出国手続きの前に Tully's に行くことにする。メニューに中と大だけで他の店のように小が無いから不思議におもって聞いてみると、綺麗な関西アクセントで「空港はいろいろ違うんでメニューに乗っていないだけで、小もありますよ」とのこと。

出国審査が日本人に対しては自動化ブースのみになっていて驚く。一応係の人に頼むと出国の判を押してもらうことは出来る。

飛行時間は十時間弱。僕はこれまたいつも通り夕食時に白ワインを頼むと、いつものようにすぐ就寝、七時間半は寝たのではなかろうか。非常口席に座ったので足は伸ばし放題だったが、手荷物を近くに置いておけないのは少し不便ではあった。

アメリカ側の入国審査も、半自動化ブースのみ、そこで出力される紙を出口の人に渡すだけ。

そこからは公営バスでボウルダーまで一時間ほど。となりに座った初老の女性は孫に会いにいくのだとか。弦理論の講義をやりにゆくというと随分暖かい反応なのでどういうことかと思って雑談していると、バーモントの科学博物館の役員をなさっていたそうである。州で唯一のプラネタリウムがあって、1940年代からあって古くなっていたのを最近修復したとご自慢だった。いま調べると Fairbanks Museum & Planetarium というところのようだ。

大学の寮に投宿。近くのホテルに泊まっていらっしゃる + と * と落ちあってインド料理屋で夕食。+ は相変わらず場の量子論のことで心が躍って仕方がないようだ。話していて僕は早速元気をもらったように思う。


Jun 15 23:26, Tokyo

今日は雨。二十度までしかあがらない。

というわけで家族皆でのんびりすごす。午前中に子供二人を奥さんにまかせて、僕は食べるものや何やらを買いに出掛けた。娘が「あじさい寒天がつくりたい」というので材料も買ってくる。これは保育園でおやつに出たらしいのだが、ぶどう味の寒天とリンゴ味の寒天をそれぞれ四角く切ったものが混ぜてあって、あじさいの花を思わせるのである。

しかし、いろいろあって、結局寒天は娘が遅い昼寝をしている間に奥さんが作った。寒天は夕食のデザートになった。


Jun 15 00:06, Tokyo

道端の花。

今朝は何とか娘を保育園につれてゆく。その後は一度家に戻って、片づけの手伝いなどをする。

昼は赤門脇のカフェで @ と一時間ぐらい話をする。待ち合わせの時間を十二時半にしたと思っていたら十二時だったようで、五分ごろにメールが届いていて慌てて行った。良く無いことだ。会うのは十五年ぶりぐらいではなかろうか。

あとは夕方まで詰まらない会議。疲弊して帰宅。


Jun 13 23:50, Tokyo

今朝は奥さんが娘を保育園につれてゆく。僕は柏へ行く。

移動中にメールのやりとりをして、昨日判らなかった点を ? 君に教えてもらった。

あちらでは来週の出張に関する雑多な準備。いろいろと事務的なメールのやりとりもする。その他、考え事もしようとするが、心が落ち着かない。

今日は久々に気温があがった。帰り道は青空が広がっている。夕陽を浴びてアイスカフェラテを飲みながら駅まで歩く。一冊本屋で本を買ってから、電車に乗って、帰宅。帰り道は査読のつづき。


Jun 13 00:21, Tokyo

田植え間も無い様子です。

今朝も娘はまあ穏当に保育園にゆく。

結局「オデュッセイア」は、状態はそれほど良く無いが以前からずっと店頭に売れずに置いてあるのを知っていた古本屋で買ったので、今日の行きの電車で読みはじめた。すると気持ちよく寝てしまって、快速から普通に乗り換えるのを忘れて、気がついたときには電車はキャンパス駅を疾走して通過中。守屋まで行ってしまった。

そのため * くんと話す予定にしていた時間に三十分遅刻。これはとても良く無いことだ。まあ、僕としては久しぶりに利根川をみて、田植えの終わったばかりの田んぼも見られたのは嬉しいことではあった。

昼は ? と遅めの食事に言ったら、前所長と偶然一緒になった。

その後はいくつかメール、三時からは + 君と議論。二人で頭を悩ませていて、気がつくと五時。帰宅。

さて、ここ最近は息子がハイハイや伝い歩きでそこら中を動き回って大変なので、ベビーサークルなるものを買ったのであるが、何故か娘が気に入って、ベビーサークルの中で娘が喜んで遊んで、その外を赤ん坊が歩き回るという不思議なことになっている。まあ一番避けたかったのは娘の工作で出た切れ端などを息子が誤飲することなので、それが防げるのだからまあ良いのではあるが。


Jun 11 23:00, Tokyo

今日は曇って涼しい一日。

朝起きて娘が僕に「今日はどこで面白いことをやるの?」と聞くので「保育園にいったらいろいろ出来るんじゃない?」と返事をすると、「そっか。」と納得してくれた。そういうだけあって、楽しく保育園へゆく。一か月ほど前までは何を言っても「やだ!」しか無かったが、最近はときどき「そっか」と納得してくれることが出て来た気がする。

僕も柏へゆく。査読を頼まれていたがしばらく放置してあった論文を読むのを再開する。学ぶことが多いが、納得出来ない点も多い。

昼食は僕と * しかいなかったから、またうどん屋へ行った。

午後は査読に加えて、評価書を一通書く。ここ数年は僕のより全般に良い論文ばかり書いている同年代の相手の評価書を頼まれるのも変な話なのではあるが。

帰り道、帰宅後は、査読中の論文の中に書いていることについて考える。もうちょっとすっきり導出できる気がするのである。またこれは今 % 君とぼちぼちやっている話とも関連しているので。


Jun 10 23:18, Tokyo

今日は朝から雨。最近ものわかりがよくなってきた娘ではあるが、雨の日は僕と行くことを拒否する。しかたなく奥さんに保育園につれていってもらう。僕は本郷へゆく。

普通に講義、昼食。書籍部に寄って「オデュッセイア」そのものでも買おうかと思ったら岩波文庫の棚にない。

午後は物理図書に籠って沢山メールに返事をする。

家に帰ろうと思って建物を出たら雨が強くなっている。まあなんとかなるか、と歩いて家に戻ったのが失敗で、コートとズボンがずぶ濡れになった。まあ、それでも寒くならない気温ではある。家につくとちょうど奥さんが娘を保育園から連れてかえってきた所で、娘と一緒に風呂に入って僕は体を温める。


Jun 9 22:40, Tokyo

今日は朝からどんよりと曇って、夕方から雨。気温も二十度までしかあがらない。

朝から奥さんが子供二人をつれてご実家にゆく。僕は留守番、多少家の片づけをして頼まれた買い物をした以外はぐうたらしている。

昼食後は昼寝。四時ごろ起きてしばらくしたら奥さんと息子が先に帰ってきた。その後もうすこし経って、奥さんのご両親が娘をつれて戻ってきてくださるが、遊び疲れて駅から動かないというので、迎えに行って抱えて戻ってくる。

その後は皆で楽しく夕食。娘は非常に穏当に寝た。


Jun 8 22:38, Tokyo

今日は曇り、午後にかけて徐々に空に晴れ間が広がる。

朝は僕が娘を外に連れ出す。三時ごろ帰宅、帰りのバスで寝てしまったのを家まで抱える。幸いそのまま昼寝に移行。息子もちょうどすこし前に寝た所だったらしい。

五時ごろまで静かに過ごす。娘は起きてくるとまた楽しく工作をする。折り紙の花に、紙を細く丸めて茎にして、色紙を切り抜いた葉っぱをつけて、うまく出来た。と見ていたら、茎に力をかけて折ってしまったらしく、次はすこし曲げても折れないようにいろいろ工夫するのであるが、なかなかうまくいかない。ここで「折れないようにならない!」と癇癪が大爆発して、大暴れする。なだめるのが大変だった。はじめより多少強い茎をつくって、「曲げて折れないか確かめたら折れちゃうから、このままそっと遊ぼうね」というので納得してもらうのに三十分ぐらいかかったのではなかろうか。

まあそこで今日の分の不機嫌は使い果たしたのであろう、夜一緒に風呂に入ったがご機嫌だった。

僕も研究がうまくいかないとき、会議の内容が気に入らないときは心の中は癇癪が大爆発していることはままあるので、あまり人のことは言えない。


Jun 8 01:05, Tokyo

雨に濡れるハナミズキ。

今朝は雨の予報。娘を保育園に連れてゆくのはいつもよりは少々手がかかったが、それでも先生に渡した後は楽しく僕に手を振って遊びに行ってくれる。

こちらは学校へ向かう。柏の葉の駅に降り立つとすでにぱらつきはじめ、傘を持ってきていなかったことに気付き、一本折畳みを購入。すこしまえ一つ紛失したことでもあるし。

あちらではまずはぼんやり考え事、すこしメールに返事、など。昼食は ?、#、$ とうどん屋へ。

午後は毎週の講義の準備。以前書いた分でおそらく来週月曜話すには充分だろうが、一応すこし追加でやっておく。

今日は帰りが遅くてよい日ということで、夕食を生協で食べてから帰宅。途中偶然 % さんとご一緒する。

風呂は娘と入った。風呂上がりは寝てしまう。三十分ほど前に気がついたので、起き出して、食器と洗濯物の片づけをした。日記を書いて、また寝る所。


Jun 7 00:10, Tokyo

赤い紫陽花。

今日も娘は楽しく保育園にゆく。先生にも「最近なんだか吹っ切れましたね」と言ってもらう。

僕は柏へ。今日は一日かけて一週間分たまったメールにひたすら返信。こちらから書くべきメールもいくつかあるのでそれもこなす。昼食後にピアノの練習もすこしした。

先日総合図書館で帰り道岩波文庫の棚の前を通ったら、Finley 著下田訳「オデュッセウスの世界」というホメロス全般の解説の本があったので借りて、今日、電車のなかで読みはじめたのだが、詩の引用の訳が本のはじめのほうは

クロノスの御子なるゼウスは、多くのものを養う地の上に、
さらにまた別の第四の種族を造った、義をわきまえ勇敢な、
ちはやぶる英雄の種族を。半神とも呼ばれるこの者たちは
広大な台地にあって、われらの世代に先立つ種族であった。
という具合に、各行が同じ文字数できちんと意味の句切れで改行されるようになっていて、目でみた韻律というものもありうるのか、と、びっくりした。生憎、訳者も途中でこの方法は放棄したらしく、本の中盤からは文字数を揃えず訳されていたが。


Jun 6 00:02, Tokyo

キャンパスの植え込みに。

今日も楽しく娘は保育園に行ってくれる。保育園でも鞄やらタオルやらを棚へ自分で仕舞ってくれるようになった。ロボットになっているから、「鞄片づけるボタン押して」というのにピッ!とひとつひとつやってやらねばならないが。

久し振りに柏へ行く。コンビニではこちらも久し振りにカフェラテのパックを買って飲んでみた。一週間ぶりのコーヒー。

あちらに着くと、出張先での講義の為のノートをひたすら書く。昼食は * と # と。その後は一時間ばかり * の最近やっている話を教えてもらう。その後はまた、講義ノートを書く。

早めに帰宅。ららぽーとの赤ちゃん本舗でお尻拭きコットンを買う。

家ではまあ穏当に時間が過ぎる。皆が寝静まって、講義ノートをさらに書く。これでほぼ完成だ。


Jun 4 22:59, Tokyo

道でみかけた紫陽花の花。

今日は活動をはじめる。

まずは娘を保育園に楽しくつれてゆく。その後は息子を診てもらったお医者さんに行って診断書を発行してもらう。つぎに区役所にいって保育園の用事をひとつする。

そうして本郷に行って、素研の昼食にお邪魔する。その後はピアノを練習した後、図書館に籠って講義ノートを書く。

すこし早めに帰宅。息子も娘もほぼ平常どおりに戻って有り難い。


Jun 3 22:52, Tokyo

今朝はまず回復が一番早い娘を保育園に連れてゆく。案外穏当に連れられてゆく。僕はこの際きちんと体を治そうとおもって、今日は仕事は休みにする。

というわけで、家に戻って、朝は奥さんと息子と三人で再度寝る。カーテンをなびかせて風が部屋を流れてゆく。窓の外を見れば濃くなった緑の向こうに青い空と雲が見える。今回の病気では家族皆酷い目にあったが、気候が良かったのには助かった。これがすこし前の異常に暑い日々だったらさらに大変だったろう。

昼食後は、奥さんが医者にいくので息子の相手をする。半分くらい寝ていてくれたので楽だった。そのあいだ、少しだけ仕事をする。奥さんは医者の帰りに娘を保育園で拾って、スーパーで買い物をして家に帰ってきた。

保育園帰りの娘を僕が風呂に入れる。その後、息子を奥さんが風呂にいれて、夕食。息子も今日になってようやく下痢がおさまった。今日はうんちは二回しただけだ。

その後は娘と遊んだりして和やかに過ごした。が、寝る寸前、娘に「トイレに行ってきたら」というと「パパが言わないで!ママならいいけれど。」と理不尽なことを言って僕を蹴るので、ついカッとなって「そういうのは止めなさい。」と強く言ったら大泣きさせてしまった。そうすると娘の泣き声で既に寝た息子が起きるので、奥さんの手間が増えるのである。その後、僕は頭にきたまま風呂場を洗っていると、シャワーの向きを確認せずに水を出してしまって服の上から水をかぶった。


Jun 2 23:05, Tokyo

色付いてきた紫陽花。

今日もまあ何とか一日過ごす。

娘は元気になったつもりで、朝から「外へ遊びに行きたい」と連呼する。それを交わしつつ、息子の世話を奥さんと二人でする。十時ごろに奥さんは息子を乳母車で押して買い物に、僕と娘は自転車の練習に行く。

しかし娘も本調子でないことをすぐに分かったようで、遠くの公園まで行くと言っていたのを自分から諦めて近くの公園で遊ぶ。果物屋の前を通ったら「何か買う」といって聞かないので、枇杷を買って帰る。

家まで戻ってくるとお隣さんとすれ違う。「あれあれ、お嬢ちゃん疲れた顔してるねぇ、どうしたの」「病み上がりなんですよ」などという会話を交わす。家ではまず娘に枇杷をむいてやると美味しそうに食べた。

昼食は奥さんのつくってくれたおじやをみんなで食べる。娘も良く食べた。その後は昼寝。僕と娘はすぐ寝たが、息子はなかなか寝なかったのを奥さんがずっと見ていたらしい。結局僕と娘は三時間ほど、奥さんと息子は一時間ほど寝た模様。

その後はまあいつもどおり。奥さんが夕食の準備をしてくれているあいだ子供の相手、奥さんが息子を風呂に入れて、夕食、そうして奥さんが息子を寝かせている間に僕が娘を風呂に入れる。今日も娘は布団に入ったら一瞬で寝た。


Jun 1 22:53, Tokyo

さて、明日からアメリカ出張のはずだったのだが、この状況ではどうしようもない。一ヶ月間つづく夏の学校の講師に呼ばれていたので、先の週の講師と入れ替えられないか昨晩寝る前に問い会わせておいた所、朝起きてみると沢山メールが届いている。いろいろ対応策を考えてくださった。結局、開催される大学に所属の方が替わってくださることになり、二週間順延することに。まだ熱の有る奥さんに朝食を準備してもらっている間に、あちらの金曜の終業時間までに返事を書く。

そうこうしていると、申し訳ないことに、奥さんのご実家にも胃腸炎がうつってしまったこともわかる。

朝食後は、外に行きたがる娘を説得して、奥さんと一緒に寝ながらディズニーの「白雪姫」をみてもらうことにして、僕は明日発の航空券を取り直す。昨晩のメールの中に、+ 先生が、こういうときには子供の病気が原因だと航空会社に言えば変更手数料は取られないものだ、と、ご助言くださっていたので、電話してみると、幸いすぐに繋がって、あとで医師の診断書を提出すればよいとのことで、無事変更できた。

「白雪姫」は娘ははじめて。僕がみたのもはじめてではないか。お話はまあ原作通りで現代的観点からはどうしようもないけれども、映像の素敵なこと。娘は食い入るようにみていた。随分怖かったらしい。

大切なひとが亡くなっても、ただ眠るようにみえるだけであって、愛する人の口付けで黄泉帰るのであれば、どれだけ悲しみは少ないだろう。

昼食後、娘を連れて図書館まで行って、絵本を借りてくる。いつも娘はランダムに棚から取ってきて「これ読んで!」「これ借りて!」というのだが、今回は珍しく質の良いものを引いてきた。何冊か借りて帰って、みんなで昼寝。

夕方まで寝てみると、奥さんの調子も徐々にもどってきたようにみえる。息子はあいかわらず頻繁に下痢をするが、これはこの年齢では仕方がないらしい。頻度は下がってきているので、良しとする。

娘を連れて夕食の買い物に。うどんの用意と、食後に和菓子を買った。

奥さんがおいしいうどんを作ってくれるが、ここ数日、お腹の悪いひとも食べられるものということでほぼ毎食うどんだったので、一番快復の早い娘は不平をいいつつ食べる。まあ食後の笹団子で機嫌を戻してくれたので良しとしよう。

娘を風呂に入れている間に、奥さんが食後の片づけまでしてくれる。風呂上がりに、借りてきた絵本を読んだあと、布団に連れてゆくと、すっと寝た。いつもこれぐらい素直に寝てくれればよいが。