Dec 31 22:45, Tokyo

大晦日。朝は息子は奥さんが相手をし、娘は僕が相手をすることにする。保育園のお友達がどこそこの公園に集結しているというのでそこに連れてゆく。仲良しのお友達と無邪気に大暴れしているのを見るのは楽しい。遅くともこの子たちが小学生を終えるころにはコロナ禍も過去のものになっていればよいのだが、僕は悲観的すぎるだろうか。

今日も子供たちはきちんと昼寝をする。僕は地道に博士論文を読む。夕方は再度娘をつれて地元の和菓子屋さんに予約してあった新年の羽二重餅を受け取りに行く。娘は甘くした牛蒡はだめだというので子供たちには別のものを頼んだ。

早めに寝室に入れてもどうせ寝かしつけに時間が掛かるので、今日はいつも寝る時間ぐらいまでのんびり遊ばせてから子供たちを布団につれてゆくと案の定すぐに寝た。

例年どちらかの実家に帰省していたのでこの家で年を越すのははじめてである。除夜の鐘が聞こえるのかすら知らない。

さて、昨晩は子供たちが眠って居間で奥さんと四方山話をしていると娘が急に起き、脅えた顔で寝室から出て来て、奥さんがまた寝かせないといけなかったのだが、今日公園に行く際にエレベーターに乗ったときに娘が唐突にいうには、「こんな感じのエレベーターで、でも、ボタンも何もないところに、パパと二人で閉じこめられてどうしようもなくなる夢を見て怖くなっておきちゃったんだよね」ということらしい。


Dec 30 23:13, Tokyo

夕暮れの雲。

今朝は小雨。というわけで、奥さんのご両親が子供たちに下さったパズルを開けたり、室内用子供ジャングルジムを押入れから出したりしたのだが、娘の機嫌が悪く、久しぶりに癇癪を起こす寸前まで行く。僕が居ると火に油を注ぎかねないので、奥さんが外に行ってコーヒーでも飲んできてくれというので出るが、さすがにコロナ禍でこの時期ではあいている喫茶店も無い。すこし散歩して家に戻ると娘は一応落ち着いていた。

奥さんは昼のスパゲッティのソースをつくって、僕に麺だけ茹でておいてといって、子供たちを連れて散歩に出掛ける。昼食のころには薄日が差してくる。皆で昼寝、といっても僕は布団の中でずっと博士論文を読んでいたのであるが。珍しく娘もぐっすり一時間半ほど寝た。どうも寝不足だったらしい、起きると普通の機嫌に戻っている。

夕方は僕が子供たちを公園まで連れてゆく。雨上がりなので砂場がちょうど良いぐらいに濡れていて息子は大喜びだった。遅く出掛けたのですぐ暗くなってきて、一時間ほどで帰る。その後は穏当に時間が流れる。昼寝を十分したから子供たちはなかなか寝ない。息子は寝室中を転がり回っておおはしゃぎである。とはいえ十時半には寝た。


Dec 30 00:05, Tokyo

今日から冬休み。朝は奥さんが子供たちを公園につれてゆく。その間僕は娘の上履きを洗うやら、布団のシーツを干すやら、昼のうどんを作って待つやら。と思ったら案外早く帰ってきて、うどんを作るのを途中から替わってもらって、僕はすこし仕事。

子供たちは昼寝をしてくれない。息子と娘の行き先が折り合わないので、息子と奥さんは家で、僕は娘を別の公園につれてゆく、保育園の異なる近くのお友達と遊ばせる予定だから。

はじめは久しぶりでお互い遠慮がちだが、すぐに二人で大騒ぎをはじめ、帰りにはあちらの子がうちの子ともっと遊んでいたいと泣くほど。

家に戻って、あとは粛々と夕食、風呂、子供の寝かしつけ、とすすめる。娘は九時ごろ、息子は九時半ごろには寝た。奥さんは膝に穴の開いた僕のズボンに継ぎをあててくれる。僕は一時間ほど仕事。

そうして後片づけ、少々休憩、あとは風呂に入るだけ。

今日の午後は保育園の娘のクラスの保護者の LINE にも珍しく大量に連絡が流れた。例年は皆さん帰省しているのであろうが、今回はコロナ禍でどなたも帰省しておらず、冬休みのあいだ子供をどこで遊ばせるか、いまどこどこの公園で遊んでいるから一緒に遊ばないか、など情報交換だった。

ところで、娘は以前図書館で借りて読んだ絵本が非常に気に入ったので、その巻と続きの巻をひとつ買ったのが先日家に届いたのであるが、包みを開けてみると何と同じシリーズではあるが小学生低学年向けの絵の多い小説だった。しまった、と思ったが、読み聞かせてやると喜んで聞いてくれて、今日ももっと読んでくれと頼むほどで、意外に思う。話を聞いて心の中に情景を思い浮かべているのだろう。


Dec 29 01:02, Tokyo

今朝は子供たちを歩いて保育園につれてゆく。今年は今日でおしまい。

家に戻って午前中は奥さんと仕事。十一時ごろはここ数日読んでいた博士論文についてオンラインで著者にいろいろと質問する。昼は奥さんと二人で外に食べに行った。その後は奥さんは大掃除をはじめ、僕はさらにしばらく仕事、自分の学生の修論の添削のつづき。夕方には一通り終えて返信し、僕も大掃除をすこし手伝う。

夕方のお迎えは奥さんが行く。帰ってきて、娘が忘れ物をしたというので、僕と娘で急遽再度取りに戻る。娘はまたお友達とすこし話が出来て悪くは無かったようだ、僕も年末の挨拶を先生方にすることができた。

夜はまあ穏当に過ぎる。昼寝をたっぷりしたのか、娘は十時ごろ、息子は十時半頃まで掛かった。

さて、今日は共同研究者が六人ぐらいに増えて身動きがとれなくなっていたものを三人と三人に分割しようというややこしい件もこなした。複数の若い研究者が僕に全く同じネタについて「こういうことをやっているがどう思う」と連絡してくることは時々あるのだが、そういうときは皆と連絡をして一緒にやろうとするのだけれど、うまくいかないこともある。


Dec 28 00:12, Tokyo

今日の午前中は娘のお友達が遊びに来た。クリスマスのプレゼントをお互いに自慢するのが目的のようである。僕は図書館に行って数時間仕事をさせてもらう。家の密度を下げるためでもある。今日の仕事は自分のところの学生さんの修論の原稿の添削である。

一時ごろ家に戻ると子供たちは奥さんの焼いたクレープを食べていた。僕もすこしだけお裾分けをもらった。息子は楽しそうではあるがすこし人見知りをして、いつもより余計に僕にくっついてくる。

お友達が帰った後は、息子だけでも昼寝させようと乳母車にのせ、皆で公園に出掛ける。到着する頃には予想通り寝てくれたのであるが、我々の話し声で起こしてしまう。結局皆で楽しく遊ぶことになる。

昼寝をしていない子供たちは早めに寝かさないと機嫌が大変なことになる。というわけで、いつもより早め早めに行動、八時過ぎには子供たちはあと寝るだけのところまで持っていったが、その後はおおむね楽しく大騒ぎだった。その声を聴きながら僕は台所の片付けをしていたら、九時を回った頃にはすっと寝た。

奥さんは思わず時間が出来たというので絵を描いていた。僕はすこしだけ仕事のつづきをした。添削が半分ぐらいまで来た所で切り上げて、後片づけ、風呂に入って、日記を書いた所。


Dec 26 23:33, Tokyo

今朝も子供たちはプレゼントで遊んでいるが、奥さんが何とか公園につれてゆく。僕は家でしばらく博士論文を読む。昼前には奥さんから電話があって、帰ろうと思ったが娘が保育園のお友達と出会って帰ろうとしないので入れ替わってくれとのこと。公園に行って、交替。奥さんは息子と先に家に戻って、昼食をつくってくれる。こちらは一時間ほど追加で遊んでから帰宅。

子供たちが昼寝の間はすこし博士論文を読む。その後、夕方は子供たちを連れて僕が公園へ。保育園のお友達はいないが、数ヶ月前に近くに引っ越してきた家族がいらしたので子供たちをお互い紹介出来た。おそらく同い年のお嬢さんがいるなあと思っていたのであるが、その通りだった。

その後は布団に入るまでは穏当にすすむ。

さて、年末年始は年明けの審査会に備えるため数百ページ博士論文を読まねばならない。例年それが問題なく可能だったのは、帰省していて子供の相手を祖父母および奥さんにすっかり任せていたからだということにコロナ禍ではじめて気付く。奥さんに言わせると、毎年この時期は普段より仕事をしているらしく、女性教員の方は大変だろうと以前から思っていたそうである。これは今後改善すべき問題だ。年度末までに事務手続きをすませるには審査会はこれ以上遅らせられないから、博士論文の提出を一ヶ月ぐらいはやめて十一月中旬にするしかないだろうと思う。学生さんのほうは院生を五年間やるのだから、ひと月はやまってもそれほど問題はないだろう。


Dec 25 23:44, Tokyo

いつも娘は皆より三十分ほど朝が早いので、先に起きて静かにテレビを見ていてくれているのであるが、今朝は居間にサンタさんからのプレゼントをみつけて大騒ぎだった。まだあまりクリスマスを理解していない息子もたたき起こして連れてゆく。僕は寝ぼけているが隣で歓声が聞こえる。娘にはプリキュアのラテのぬいぐるみ、息子には都営バスの大きな模型である。

折角なので今日から三連休にしてある。子供たちはプレゼントから離れず家から出る気が無い。昼はうどんを作る。皆でゆっくり昼寝。

その後もプレゼントで遊んで外に行こうとしないが、少しは運動させようと夕方は奥さんが公園につれてゆく。その間僕は家の片付け、ルンバを掛けるなど。

夕食に奥さんが鶏の丸焼きに挑戦した。子供たちに大人気で、特に息子はびっくりするほど食べた。「パパが切るとさっと食べるよ!」と言いながら、確かにどんどん口の中に消えてゆく。お腹が一杯になるといつものように「ごっちょちょさま」といってバスのおもちゃで遊びに行ってしまったが、しばらくしてお腹がこなれたのか「もっと食べる!」と戻ってきたのは面白かった。

普段は夕食後はテレビは見ないが、今日は特別に「アナとエルサのクリスマス」を見た。布団にはいっても大騒ぎだったが、十時ごろにはコテンと寝た。僕はのんびりと片付け。あとは風呂に入って寝ようかなというところ。


Dec 24 23:49, Tokyo

今朝はまた自転車にのせて子供たちを連れてゆく。僕は家に戻ってただただ博士論文を読む。奥さんは昼から出勤。今日は夕方の散歩と子供たちのお迎えを組み合わせることにした。

さて、子供たちを園の外までつれてくると、娘は左から帰ると言い息子は右から帰ると言い平行線をたどりどちらも譲らないので埒があかない。事を荒立てたくなかったのでしばらくそのままにしていたら、娘のお友達が玄関から飛び出して左へ走ってゆく。釣られて娘も左へぴゅーっと走り出した。僕は仕方なく息子を抱えて追いかけて娘とお友達を玄関まで連れ戻した。

そこで僕は娘に「勝手に走っていっちゃいけません」と目を見て叱ったのであるが、それから娘の泣くこと泣くこと。家までずっと泣いて、家でもしばらく泣く。息子は僕に抱えられたまま当惑した顔で家まで戻るが、その後は何故か釣られて泣きはじめ、僕は弱ってしまった。

家では奥さんが会社から帰って夕食をつくってくれている。その後は寝る寸前に娘と息子のおもちゃの取り合いでまた喧嘩になり、サンタさんくるかなぁなどという話は全くないまま子供たちは就寝。


Dec 23 23:02, Tokyo

夕焼け空。

今朝はまた娘をお医者さんに定期検査に連れてゆく。息子は奥さんが保育園に連れてゆく。今日はじっくり診察してもらったので保育園に着いた頃には既に奥さんは家に戻っていた模様。

今日も今日とて在宅勤務。今日はここしばらく査読していた論文をようやく読み終わったので朝から返事を書く。いつになく長くなって、書き終わったらもう四時すこし前になっている。

というわけで、散歩に行って、五時には子供たちを迎えに行き、娘はピアノに連れていき、息子だけ連れて家に戻る。娘のピアノ教室からの帰りは奥さんのご両親が散歩がてら家まで連れてきてくださる。

九時半頃奥さんと娘が寝てしまう。珍しく息子はそれでも起きていて、僕としばらく遊んでから寝た。

今日は審査すべき博士論文が複数届いた。これで冬季休暇中に読む必要のある論文は合計で二百五十頁を越えて、かなわない。この期に及んで物理教室は何も言わないと博士論文審査を対面でやるという。というわけで週のはじめからいろいろとメールを書いて、自分の関与する審査会はすべてオンラインでするようにしてもらった。

それで思うのは、コロナ禍をどう思うかというのは人に随分依存するということだ。僕の FaceBook には色んな知り合いがいるわけだが、日本国内でも僕のようにほぼ家に籠っている人もいれば、毎晩出歩いている人もおり、医者の知り合いで政府の対応に憤慨している人もおれば、政府内で懸命に出来る事をやっている人もいる。

また、高校の同学年の仲間内での毎年恒例の忘年会は、今年は流石に医者になった面々の強い意見で流石に対面開催は無くなったらしい。まあ、僕はそもそもこういうのは苦手なので出たことはないのだが。

と思えばヨーロッパにいる知人でマスクをしない大勢の飲み会の写真をのせて何とも思わない人もいる。そうしてアメリカにいる知人で奥さんがお医者さんなのでワクチンの注射を受けている写真を載せている人もいる。チャーチルを引用して彼曰く、これは終わりの始まりではなかろう、しかしすくなくとも始まりの終わりではあろう。


Dec 22 22:57, Tokyo

今朝は息子は乳母車に乗るというので載せて行く。娘は保育園の玄関につくと先に入っていって早速友達と遊んでいる。

今日は僕は査読のつづき。奥さんも在宅で仕事。

おやつを食べた後、三十分ほど散歩に出掛ける。ちょうど家にもどってくるあたりに、「やっほー」と呼びとめられたと思ったら、娘のお友達が保育園から帰ってきた所とすれちがったのだった。あちらは僕が娘をつれていないので不思議そうな顔をしている。

夕方は奥さんに髪を切ってもらった。そろそろ新年だから髭剃りの刃を新調しようと思うという話をすると、こないだ間違えて買ったのが一箱あるでしょとのこと、確かに洗面台の下に入っていた。これならもっと早く刃を替えればよかった。

今日は息子のお迎えはシッターさん、娘は六時ごろ迎えに行く。娘は今日覚えたあやとりを早速僕に自慢する。

家に戻ると十一年前の論文の非常に細かい所について質問が届いていたが、十一年前のメールアドレスに送られてきていて驚いた。

皆穏当な時間に寝たので、今日もテレビにノートパソコンをつないで三十分ほど仕事をしてみる。昨日はノートパソコンを直接叩いていたら画面に顔が近過ぎた。今日は無線のキーボードをつかってきちんと顔を画面から離してみた。


Dec 21 23:33, Tokyo

さて、今朝は自転車に載せて子供たち二人を保育園まで連れてゆく。二人分の寝床を作るのは少々時間がかかる。

今日の仕事はいつものようにまず種々のメールに返事、その後は査読のつづき。

奥さんは会社に大きな図面のスキャンに出掛けていって戻ってきた。僕はスーパーに買い物に行く。ここ数日寒くて散歩をさぼっていたが、今日から再開することにする。冬枯れの木立を見ながら歩くのは心が引き締まる。

夕方は馬鹿の一つ覚えで麻婆豆腐を作っていると何と豆腐を買い忘れたことに気がついた。というわけで奥さんが子供たちを迎えに行く際に再度僕も家を出てスーパーに豆腐を買いに行く。ちょうど木星と土星が西の空に綺麗に見える。これだけ接近するのは四百年ぶりだとのこと。

子供たちは穏当に寝た。奥さんは僕がズボンの膝が擦り切れたのに第三波が怖くて街に買いに行こうとしないので何とかオンラインで注文してくれている。僕はパソコンをテレビにつないで三十分ほど仕事をしてみる。

後片づけも済ませたので、あとは風呂に入ってねるだけ。


Dec 20 23:24, Tokyo

今朝は冬休みも近いので沢山絵本を借りてこようと、子供たちを自転車の前後に載せて図書館につれてゆく。家に戻ると奥さんが昼食のチャーハンを作ってくれている。その後は皆で昼寝、今日はきちんと寝てくれた。

起きておやつのあとは、奥さんが子供たちを遊ばせにつれてゆく、近くのお友達のところと遊ばせる。僕はしばし休憩、といってもついパソコンを立上げて仕事のメールに二三返事を書く。ご飯は炊いておく。

夕暮れに戻ってきたら奥さんは料理、子供たちはテレビをみる。娘はドラえもんを数日前はじめて見て気に入ったようである。自分が子供のときの声優さんから変わっていて多少変に感じる。娘は「あんな大きいものがどうしてポケットに入るの」と言う。「四次元ポケットっていうんだよ」「だからどうして」と会話は平行線をたどる。

まあ子供たちは穏当に寝た。後片づけも終わり、あとは風呂に入って寝ようというところ。


Dec 19 23:39, Tokyo

今日は冷える。子供たちを外に遊びにいかせるのが億劫なので、室内用ジャングルジムを登場させる。息子は恥ずかしがり屋で公園ではあまり遊具で遊ばないので丁度良さそうである。姉には既に小さいが、付属の鉄棒が丁度良いらしく逆上がりの練習に余念が無い。僕も娘が回るのをどう手伝うか奥さんに学んで何度もやってやった。

昼はうどん。その後は昼寝をさせようとするが姉弟とも全くせず。午後は大阪の実家から届いた孫へのプレゼントを放出する。子供用図鑑を買ってもらったのだが、息子は乗り物図鑑、姉は鳥の図鑑で大喜びしていた。内容は大人が読んでも楽しめる。鳥の図鑑はそもそも題に小さい字で「恐竜の子孫たち」と書いてあって素晴らしい。夕方はいちど奥さんが子供たちをすこしだけ外に散歩に出すが、僕は結局一日家に居た。

夜は鍋をつくってくれて、体が温まって良い。が子供たちには「はっぱ」が沢山入っているといって毎回不評である。大好きなうどんから麺を除いたものとたいして変わらないと思うのであるが。昼寝をしなかったから、息子は八時半に、娘も九時前に寝た。


Dec 18 23:37, Tokyo

今朝は僕が連れてゆく。子供たちは自転車に乗るというので、乗降は手間だがまあそうすることにする。お陰で子供たちは満足げである。こちらも歩いて連れてゆく際に飛び出すのを見張っていなくて良いというのはある意味楽かもしれない。保育園に着いた所で娘のお友達もちょうど登園したところで、娘は先に行ってしまう。

こちらは奥さんと家で仕事。夏学期の講義で優の割合が高過ぎたのは申し合わせに反したらしく、理由書を提出する。今後理由書が受け入れられなかったばあいどうなるのか等分からないことは多いが、その時に気にすることにする。

昼は買い物に行く。午後は # 君と修論の相談など。査読の続きもするがなかなか進まない。

五時の息子のお迎えはシッターさん、六時の娘のお迎えは僕が行く。教室に行くと娘はお友達と先生と「苺さん」というトランプ遊びに興じている。一枚ずつめくって真ん中の山に積んでゆき、一か五か三のどれかが出たら早く手を出して押さえた人が山をとる、というものだが、僕は初めて知った。先生は小さい頃「七五三」という名前でやったとのこと。帰り道、西の空に三日月が雲を通しておぼろげに見える。

夕方はシッターさんがいらっしゃるということで奥さんが新メニューに挑戦、自分ではうまくいかなかったと言うが、子供たちと僕はぺろりと食べた。

年末なので今年一年の研究を反省などする。昨年既にはじめていたものを仕上げるのにほとんどの時間をとられたように思う。一方今年の積み残しはそれほど無い。来年は心機一転面白いことが出来ればよいと思うが、さて。


Dec 17 21:50, Tokyo

昨日今日は保育園の送り迎えは奥さんがやってくれた。僕は家で朝の洗濯物を干したりなどする。

あとは夫婦で在宅勤務。僕はぼちぼちメールのやりとりをする。査読を頼まれた論文を読むなどもする。

今日の昼食時は夫婦で保育園の運動会の DVD をみた。コロナ禍で運動会に保護者が参加できなかったので、はじめてである。

さて、DVD プレーヤーを持っていないので、パソコンをテレビに HDMI で繋いだ所でハッと気がついた。在宅勤務の際のパソコンの外付けディスプレイとしてもテレビが使えるのである。やってみると案外悪くなさそうだ。これまでは家に一台あるディスプレイを奥さんと僕とで仕事の内容によって交替で使っていたので、それより快適になりそうだ。コロナで在宅勤務をはじめてもう随分になるのに、今更気がついたのは愚かであるが。

ここ数日はいろいろ夢をみる。大阪の実家の近くに仕事で来ているのに何故かいろいろと障害があって実家に帰れない、というような夢もみた。そういうときはえてして電車の路線が現実とは大きく異なった繋がり方をしていて不思議な所に行ってしまう。今回は夢の中では何故か今イスラエルでポスドクをしている某君と一緒に大阪での研究会に参加していたのであるが、なぜだろう。


Dec 16 00:39, Tokyo

散り残る紅葉。

今朝は僕が子供たちを連れてゆく。何故か息子がベビーカーに乗るというので押してゆく。冬の晴れた朝は心が引き締まる。葉の落ちた木に低い太陽があたって輝くようだ。

家に戻ってのんびり仕事。昼は久しぶりに美味しいサンドイッチを買いに行った。

夕方は昨日散歩に行かなかったので遠くまで考え事をしながら歩きに行ってみた。次第に夕焼け雲が色濃くなってゆき、息を飲むばかり。携帯で写真も撮ってみるが、この美しさは半分も捉えられていないだろう。

家に戻って、奥さんと遅いおやつを食べる。もうすこしだけ仕事をして、麻婆豆腐を作る。五時の息子のお迎えはシッターさん、六時の娘のお迎えは僕。

家ではまあ穏当に時間が流れた。子供たちはすっと寝た。後片づけを先にして、奥さんと四方山話をするなど。風呂に入ってきたので、日記を書いている。


Dec 14 22:46, Tokyo

冬の花。

週のはじまり、朝は夫婦で子供たちを保育園につれてゆく。と思ったら家の前で息子がママの自転車に乗っていくと主張をはじめ、娘も同調するので、仕方なくそうする。今日は布団やら荷物が多く自転車のかごに入りきらないので僕は先に半分持って歩き出す。すると僕が到着するのと自転車が到着するのがほぼ同じだった。子供たちを自転車にのせてヘルメットをかぶせてシートベルトをするのは時間がかかるのだ。

家に戻って仕事。いろいろと週末のあいだのメールやら何やらに返事する。朝は綺麗な青空だったのに昼過ぎから曇りはじめる。幸い朝洗った洗濯物と敷布団のシーツはベランダの洗濯竿でほぼ乾いたあとだった。

夕方は僕が子供たちを迎えに行く。夕食は今日こそ生姜焼き。僕はたらふく食べた。子供たちもよく食べたが、特に焼き芋をオーブンで焼いたのをよく食べた。

僕以外は九時半ごろ寝てしまう。


Dec 13 23:41, Tokyo

今朝は奥さんが子供たちをつれて公園で奥さんのご両親と遊ばせにゆく。僕は家で娘の上履きを洗って、昼食をつくって待つ。

昼食後に三人はすぐ昼寝をする。僕は後片づけをして少し後に昼寝。すると皆が昼寝から起きてもなかなか起き上がれず、のろのろしているうちに三人は再度外に遊びに行った。

僕は家でぐうたらしている。今日は生姜焼きだと聞いていた気がするので、お味噌汁を作ってから生姜の皮をむいていると丁度皆が帰ってきて、奥さんが「生姜焼きは明日よ」と言う。すりおろす所まで行っていなくて良かった。

今日は子供たちは昼寝をしっかりしたのでなかなか寝ない。布団のなかで九時半過ぎまでお互いを突っついて悪戯をして大騒ぎであるが、十時には寝た。僕は一日外に出ていなかったのでその後に散歩に行った。


Dec 12 23:40, Tokyo

夕暮れの空。

朝は奥さんが子供たちを遠めの公園につれてゆく。バスに乗りたい息子も満足させる為、行きは歩き、帰りはバスらしい。僕は奥さんに頼まれたものをスーパーに買いに行って、うどんをつくって待つ。

昼食後は子供たちはすっと昼寝に入った。と思ったら一時間もしないうちに息子が起き、娘も起きてきた。

その後はおやつ、再度近くの公園に今度は皆でゆく。お友達はいるかな?と言っていると案の定保育園の同級生二人に遭遇。それもちょうどあちらは家に戻ろうとするところだったのだが、子供たちは意気投合して走り去ってしまい、あちらの帰宅の邪魔をしてしまって申し訳なかった。

昼寝が短かったから子供たちは早く寝るだろうということで、夕食前に風呂、八時半には布団に入って、大いに走り回った娘はすぐに就寝、息子も直に寝た。僕も後片づけをさっとすべてやってしまい、九時半過ぎには夜の散歩に行き、風呂にものんびりはいって、この時間。

折角なのでいろいろと考え事をする。


Dec 11 23:39, Tokyo

錦秋。

昨日は奥さんが子供たちを保育園につれてゆく。

僕は朝から会議、奥さんも家で仕事。昼食時は研究所のセミナーに参加、その後は学生さんと少々議論、と案外忙しかった。全てオンラインなのだが。

まあしかし家に籠っていてはいけないので夕方に散歩もする。お迎えは奥さんがやってくれる。娘はまだほんのすこし癇癪気味である。子供たちが寝たあとは、ひとつ推薦状を頼まれたので内容を考える。

今日は娘は喘息の経過確認のため朝一番にお医者さんに行く。保育園につくと、ちょうどまた奥さんが息子を連れてきたのと玄関で一緒になる。

午前中は推薦状を書く。昼食の後奥さんは会社へ出掛けて行く。午後はまた別の推薦状を一通送る、多少メールの返信をする、すこし前に勉強したがまとめていなかった古い話をノートにまとめはじめる、など。

五時の息子のお迎えはシッターさん、六時の娘のお迎えは僕が行った。公園に寄ってのんびり家に戻る。今日は娘は平常に戻った。息子が軽い風邪だから親二人が掛かりきりだったのをみて嫉妬していたのではなかろうか。

子供たちは九時半頃にはすっとねる。僕もその後に先に風呂に入った。まだ洗濯乾燥機が回っているので、それが終わったら畳んで、寝る予定。それまでノートの続きを書こうかと思う。


Dec 9 23:35, Tokyo

今日は息子の風邪も治ったので、朝は子供たちを二人連れて僕が保育園に行く。

家に戻って仕事。奥さんも今日は家でずっとパソコンに向かって仕事をしている。僕は今日は久しぶりに研究に使ってみた。+ から彼らの論文の原稿が送られてきたので読む、考え事をしながら散歩をする、など。

奥さんが夕食をつくりはじめたところで僕は子供たちを迎えに行く。息子をまず回収して娘の教室にゆき、娘に帰る仕度をするように、その間パパはこのパープレクサスで遊んでいるから、と言ってやっていたら、娘のお友達がやり方を教えてくれはじめ、そうすると娘も戻ってきて色々と説明をはじめて、まったく帰る仕度が進まなかった。僕は遊ぶのを諦めた。

家に戻って、夕食、など。久しぶりに娘が以前大好きだった高野豆腐を奥さんが煮たら、娘はそれをみて、やったー、これ大好き、でもこれ名前なんだっけ、こー...どうふ、だったけど、と三音節めがなかなか出てこなかった。

寝かしつけの頃には、以前ほどでは全然ないが、少々娘が癇癪気味で、僕も子供の相手に疲れて過剰に反応しがちになった。そこで奥さんの勧めに従い場所を外して夜の散歩にゆくことにする。三十分後に戻ってくると皆寝ている。

というわけで、研究上のメールをいくつか返信することにする。いまそれが終わったので日記を書いた所。あとは風呂に入って、後片づけ。


Dec 8 23:01, Tokyo

昨日今日と天気が良い。息子は軽い風邪。咳が出て、他の子供たちにうつすといけないので保育園はやすませる。娘には行ってもらうが、何故弟は家に居て自分は保育園に行かないといけないのか、せめて早く迎えに来てくれ、と朝は不満を言う。このあたりは二日とも同じだ。

昨日の朝は僕が連れていく。家に戻ってオンラインで会議。奥さんも会議があるので、奥さんのお母様に来ていただいて息子を外で乳母車で散歩させてもらった。昼食は焼きそばを作った。息子が昼寝をしたところで奥さんは出社。

息子は良く寝たのでその間僕は仕事。起きると三時半頃。おやつを食べさせて、息子と一緒に娘を保育園に早めに迎えに行く。戻って三人で遊んだり、テレビをみてもらって片付けをしたりしていると奥さんが帰ってくる。

今日の朝は奥さんが息子を乳母車にのせて娘を保育園に連れてゆく。僕は今日も午前中は会議。奥さんは午前中出社しないといけなかったので、また奥さんのご両親にきていただいて息子と遊んでもらう。幸い陽射しが暖かかったので、部屋で窓を開け放しておく。昼食時には奥さんが帰ってきて、うどん。

生憎今日は息子は昼寝三十分にして軽い咳で目を覚ましてしまう。奥さんが遊んでくれているので僕は考え事をするが、奥さんは予定の仕事が出来ない。四時にはシッターさんがいらして、あとは任せることができた。僕は夕暮れに考え事をしながら散歩にいってくる。

夕食の麻婆豆腐をつくっていると、奥さんが部屋から出てきて「電子レンジ使った? 」という。確かにそうだったのだが、急に会社とのインターネット接続が悪くなったらしい。手元のパソコンでは重い作業は会社のマシンで遠隔でやっているらしく、急に反応が悪くなってびっくりしたので、今後は一声かけてからにしてほしいとのこと。

今日は奥さんが娘を迎えに行く。息子は昼寝が短かったから夜すぐ眠くなるだろうということで、いつもより早めに色々とすすめると、八時半には子供たちを布団に入れ、九時半には僕以外は寝てしまった。僕も後片づけももう終えて、あとは風呂に入るのみ。


Dec 6 23:09, Tokyo

昨日は小雨が降り続く、寒い。午前中から奥さんは子供たち二人を連れて御実家へゆく。僕は夕方まで家でひとりでのんびりさせてもらう。

昼は焼きそばをつくって食べた。その他、読書、また、久々に趣味のプログラミングに没頭してみる。

夕方はご飯を炊いてお味噌汁をつくって、朝奥さんが下ごしらえをしてくれてあった鮭の西京焼きを焼いて皆を待つ。

夜は穏当に時間が流れたが、寝たあとの息子の機嫌が悪い。鼻が詰まってきたようで、軽い風邪のようだ。朝まで頻繁に起きて、夫婦とも寝不足。

今朝はまだ地面は濡れているが晴れて気持ちが良い。息子は風邪気味なので家で大人しくさせる。娘は僕が公園につれてゆく。今日ははじめて雲梯が一人で出来るようになって大喜びしていた。しかし頑張ったので手のひらに豆が出来る寸前。

昼食はうどん。子供たちはきちんと昼寝をする。その後は娘をまたすこし公園に連れていき、絵本を借りてかえる、など。

家に戻ったあとは娘は奥さんと焼売をつくったりしている。子供たちが布団に入るのは遅めになったがそのかわり二人ともすぐに寝た。今晩は息子は良く寝てくれれば良いが。


Dec 5 00:08, Tokyo

今朝は僕が保育園に連れてゆく。息子は泣かずに先生に預けられた。

家に戻ると奥さんは既にオンラインで会議中。僕は片付けを済ませたら仕事に掛かる。午前中は相変わらず細々とした用事をこなす。

昼食は奥さんが秋刀魚を焼いてしじみ汁を作ってくれたのであるが、二人で食べはじめた所でしじみ汁を盛大にこぼして奥さんの服をずぶぬれにした。申し訳ない。

午後はちょっと簡単な研究をしてみる。奥さんは高性能プリンタを使う為に会社にゆく。僕は頭の中では出来ない計算だけ最低限やってから、散歩に出掛けて歩きながら考え事をすることにする。

本郷通りの古本屋まで行って、以前買った日本の歴史の本の別の巻が並んでいたからそれを買おうと思ったのだ。買う本が決まっているから、古本屋には一瞬居ただけで戻ってくる。

途中、奥さんから会社の帰りにスーパーに行ったがいくつか買い忘れがあるので買ってきてくれとの連絡があったので、それも無事買って帰った。

家に戻って、考えがまとまったことをタイプする。タイプし終わった頃には娘を迎えに行く時間。帰りは今日は娘のお友達は一緒でないが、それでもブランコをしたいというので公園に寄ってくる。家に戻るとシッターさんと息子が遊んでいるところに娘も参加する。

その後は穏当に時間が流れる。子供たちを寝かせるときは何故かわからないが眠くなった息子が奥さんの横から僕の所に来て抱っこをしてくれという。そこで抱っこをしたらすぐに寝た。一体何ヶ月ぶりだろうか。

奥さんも寝てしまったので、僕は計算のつづき。途中で風呂に入って、さらにもうすこしやっていると日付が変わったのに気がついたので、切り上げて日記を書いた。あとは片付けをしないと。


Dec 3 22:52, Tokyo

今朝は曇天。娘は奥さんに連れられて検診にいってから保育園へ。息子と僕も一緒に家を出て、こちらは直接保育園へ行こうとすると、母親と行き先が違うので大いに泣く。

家に戻って仕事。ポスドクの応募書類をひたすら読む。

夕方に子供たちを迎えに行くと、相変わらず息子は父親とは帰りたくないという。なんとか先生が説得してくれて教室を出てくれる。さて娘の部屋に行くとちょうどお友達とお迎えが同じ時間になったので、息子を交えて公園でしばらく遊んだ。

家に戻ると奥さんが鍋をつくってくれている。息子は喜んで食べたが娘は野菜が見えるのが苦手なのか食が進まない。しかしおしまいに溶き卵を入れておじやにしたものは良く食べた。子供たちは穏当に寝た。


Dec 2 23:40, Tokyo

今朝は曇天、子供たちを保育園につれてゆく。息子のクラスは早速外に園児を連れて行く所、降り出す前に行っておかないと、とのこと。

家に戻って仕事。昨日に引き続きポスドクの応募書類を読む、研究上のメールにすこし返事をする、その他いろいろと用事をこなす、など。

奥さんが自転車で買い物に行ってしばらくして、僕もちょっと散歩をして体を動かそうと外に出たら、なんと雨がしとしと降っていた。これはまずいと思って傘を二本取りに戻り、スーパーにむかって歩きはじめると丁度奥さんが濡れながら戻ってきた。僕も散歩はあきらめる。

夕方の子供たちのお迎えと娘のピアノは奥さんが雨の中行ってくれた。その間僕は麻婆豆腐を作り、家の用事をして待つ。

皆の帰宅後はまあ穏当に時間が流れる。奥さんも子供たちも九時半には寝てしまった。僕は今日は先に風呂に入った。あとは洗濯物を畳んで食器洗い機を片付けるだけ。


Dec 2 00:00, Tokyo

冬の訪れ。

今朝は奥さんが子供たちを連れてゆく。僕はゴミを出す為に同時に家を出る。と、娘が急にお腹が痛いというので、娘だけを連れて家に戻る。最近便秘気味だったのが解消されたようだ。というわけで奥さんが帰ってきたのと入れ替わりに娘を連れてゆく。

家で二人で仕事。午前中は僕はいろいろと細々とした用事を片付ける。午後はポスドクの応募書類を読む。夕方は散歩に出掛ける。

五時の息子のお迎えはシッターさんに頼んである。六時の娘のお迎えは僕が行く。保育園でもさらに沢山うんちが出たらしい。

あとは穏当に時間が流れる。子供たちを寝かせている間に僕も寝てしまった、これは久しぶり。しかしそれほど時間が経たないうちに起きて、もう片付けもすませた。あとは風呂に入ってねるばかり。