Jan 30 23:54, Tokyo

今朝は息子は奥さんと遊ぶということで、娘を公園に連れてゆく。そこでうちの娘と同い年ぐらいの女の子を日本には珍しくおそらく光で黒くなるタイプのサングラスをしながら遊ばせているお父さんを見かけ、どこかで見た事がある顔だなぁと思うと、最近アメリカから帰ってきたと聞いていた旧友だった。挨拶をしているとうちの娘はぴゅーと他の所に遊びに行ってしまう。

家に戻って、昼食、昼寝。奥さんと娘が先に寝てしまったので息子は僕としばらく遊んでから、僕のお腹の上で就寝。

夕方は奥さんが子供たちをすこしだけ外に出す。日が傾くと急に寒くなるのですぐに帰ってきた。僕は途中まで迎えに行く。

家に戻ってしばらく息子が機嫌が悪かった。幸い夕食後にはいつもの陽気さを取り戻す。その後はまあいつも通り。子供たちは十時には寝た。


Jan 30 00:10, Tokyo

夕陽と梅の花。

今日は晴れた。朝は僕が子供たちをつれてゆく。息子も二日の休みを挟んで今日から復帰。家を出るときは愚図ったが、保育園の前に着く頃には自分でオムツの入った紙袋を楽しく運ぶほど。

家に戻ると既に奥さんは九時から会議。僕は十一時から博士論文の審査。これは恙なく終わる。奥さんが作ってくれた昼食を食べ、僕は片付け、一時からは僕も会議がある。三時ごろにはそれは終わって、気分転換に散歩に出掛けることにする。

冷たい風の青空に傾きかけた日の光があまりに美しく、早歩きで運動にする予定がのろのろと歩くことになる。梅もほころびはじめている。盛りをすぎた寒桜の大木も見つけた。

家に戻ってもうすこしだけ仕事。息子はシッターさんが連れて帰ってきて下さる。娘は六時に迎えに行く。夕食を終えて子供たちと奥さんを風呂にいれたあたりでシッターさんはお帰りになる。

そこで何と今日は僕が風呂を沸かし忘れていたという大失態に気がつく。僕は寒い風呂は無理なのでそういうときはまた服を着て出てくるのであるが、奥さんは寒さに強いらしくそのまま風呂を沸かして自分と子供たちの体を洗っていたらしい。僕は何も知らずに皿を洗ったり布団を敷いていたりしていて、申し訳なかった。

息子を寝かすのに今日はてこずって、十時半ごろになった。その後一時間ほど茫然としていて、後片づけをしたらこの時間なので、風呂に入って寝よう。


Jan 28 23:38, Tokyo

今日は寒い。息子は昨日よりは良いが大事をとって今日も休ませる。娘は朝僕が保育園につれてゆく。

あとは奥さんと交替で息子の相手をしながら仕事もすこしする。午前中はすこしばかり奥さんのご両親に息子を乳母車に乗せて散歩にでていただいたりもした。午後はこの冬はじめての雪になる。

夕方娘を迎えに行くころには雪も止んでいる。夜はまあいつもどおり。子供たちは九時十五分には寝た。普段は子供たちと一緒に寝てしまう奥さんはまだ寝なかったのでしばらく四方山話をする。


Jan 27 23:12, Tokyo

今日は息子が鼻が出て少々咳をする。というわけで熱は無いのであるがこういうご時世であるので休ませる。娘は僕が保育園に連れてゆく。

家では奥さんと交替で息子の相手をする。お互い最低限の仕事はする。僕は自分が主査をつとめた博士論文審査の報告書類をまとめた。

息子に薬を貰う為にオンライン診療に挑戦してみる。いつもみていただいている先生であるが、通常の診察時間でなくてあちらの多少お暇な時間であるのか、いつも張りつめた感じの先生がのんびりしてみえて、息子も家に居るので落ち着いたままで、悪くなかった。薬は後で僕が取りに行く。

夕方は娘を迎えに行って、ピアノ教室につれてゆく。ピアノ教室からのお迎えはいつものとおり奥さんのご両親にお願いした。

まあその後は穏当に過ぎる。息子は十時半ごろまで寝なかったが、ずっと機嫌も良く、咳も減ってきて快方に向かっていると思う。


Jan 27 00:03, Tokyo

今朝は奥さんが子供たちを保育園につれていってくれる。僕は午前中は修士論文の審査がひとつ。一月は審査会が沢山あるが、残すは金曜のあとひとつだけ。

午後は本郷まで徒歩で自分の学生の修士論文の最終版を提出にゆく。コロナ禍においても冊子体を提出しないといけないのである。しかし僕は理学部が本務ではないので、僕の職員証ではコロナ禍で施錠されている理学部一号館の扉を解錠できない。事務の方に聞くとまあ扉の前で事務室に電話をしてください、とのこと。折角なので @ さんに紹介されたので理学部図書館で借りようと思っていた数学の本を借りてくる。

さて、一号館の第二食堂側の扉から外に出ると、そこは大学入構の検問のために警備員さんが立っているすぐ隣である。用事を全て済ましていなかったので中に戻ろうとしたら呼びとめられて、「外部の人ですか、内部の人ですか?大学のウェブサイトで健康状態を入力して受け取ったはずの入構証を見せてください」と言われる。建物の中から出て来たのだからすでに入構証をみせているはずだと思うのだが。あとで奥さんにそれをいうと「あなたが不審者なだけよ」とのことで、それはそうかもしれない。

帰りの途中の八百屋で苺が安かったのでお土産に買ってかえる。もうすこし仕事をしたあとは、一つ覚えの麻婆豆腐をつくって、娘を迎えに行く。息子の迎えは先にシッターさんがしてくださる。夜はまあいつも通り。


Jan 25 22:57, Tokyo

今朝は娘は喘息の経過観察のためお医者さんに連れていってから保育園にゆくことにする。朝に急に医者に行くと行ったので娘は不満そうである。そこで以前からお友達が皆持っているからと頼まれていて、少し前に買ってあった、歩くと靴底に仕込んだ発光ダイオードが光る靴をおろしてやると、途端に機嫌が良くなった。しかしそれを見た息子は何故自分には光る靴がないのだとご不満である。それをなだめて保育園に連れてゆくのは奥さんに任せて、こちらは医者につれてゆく。

医者の待合室では娘は「このいぼ引っ掻いて赤くなっちゃってるけど見せたらチックンされないかな」と不安そうにしているが、診察室に入って先生が僕に「何か気になることはありますか」というと自分で率先してそれを説明していた。勿論そんなことで注射はされない。

医者に見せ、保育園では週の頭の準備をしたあと家に戻る。途中で手袋をしていないことに気付く。がんばって思い出すが、きっとお医者さんで手をアルコール消毒したときに取って置いてきたに違いない、その時とった記憶もある。いま取りに寄っても良いが、十時からの審査会に間にあわない、と思ってまずは家に戻る。すると玄関に手袋は鎮座していた。自分がお医者さんで手袋を取った記憶を捏造していたのにびっくりした。

家では朝と昼に修士論文の審査会。例年は柏・本郷・駒場の弦理論組が駒場にあつまって合同審査会をやっているのであるが、今回はそれもオンラインである。奥さんも一日パソコンにむかって作業をしたりオンラインで会議をしたりしている。

僕のほうは三時には自分が審査員のものは終わったので、散歩兼買い物に出掛ける。今日は随分暖かい。

夕方の子供のお迎えは僕が行く。息子は相変わらず娘の光る靴が羨ましいようで、自分にもそれがないと家に帰らないという。姉が「しかたがないなあ」といって保育園の玄関でしばらく光る靴を弟に履かせてくれた。さらに帰り道では消防車が盛大にサイレンを鳴らして光っている所に出会い、息子も機嫌が良くなった。

家に戻ったあとはまあいつもどおり。


Jan 25 00:08, Tokyo

今日も小雨が降り続く。というわけで家でのんびりしている。

今日は Cars をみてみる。息子は車が大好きだからはじめのレースなどは食い入るようにみているが、田舎町に来たあたりからはそれほどでもないようだ。というわけで途中で挫折。僕もみるのははじめてなので気になってネットで粗筋を調べてしまう。

昨日に引き続き今日の昼寝後のおやつはチョコマフィン、昨日奥さんが息子と作ったのだった。書くのを忘れていた。その後ジャングルジムを出してきて子供たちを遊ばせる。夜もまあいつも通りだ。

というわけで十一時ごろには後片づけも終わっていたのであるが、ぼんやり考え事をしていて風呂に入っていなかった。そろそろ入って寝ようと思う。

考え事のかなりの部分はこのコロナ禍に対する政府の対応についての愚痴であるが、結局の所は僕が何を思おうがそれは反映されないのであるから、悩んでも仕方がない。自分と自分の家族がなるべく掛からないように努めるしかない。そういう意味では早く風呂に入って寝て睡眠時間を確保するに限るわけであるから悩むのは逆効果でさえあるわけだ。


Jan 23 23:59, Tokyo

今日は一日しとしとと雨が降る。というわけで室内用ジャングルジムを出して子供たちを遊ばせる。

娘は昨日保育園で逆上がりができるようになったというので、ジャングルジムについている鉄棒でやってみせようとする。たしかに足が棒を越えて向こう側まで行くようになったがそこから回り切らない。娘は恰好いい所をママに見せようと思っていたようで、何度やってもうまくいかないので泣いてしまう。

まあ僕はそもそも逆上がりなぞ出来たことが無いので、なぜ娘がそんなに出来るのか、そもそもやろうとするのかがわからない。娘は前回りは頭から落ちていくので怖くて出来ないのであるが、保育園の友達で出来る子がいるので自分も出来るようになりたいと言っている。これも僕にはよくわからない。僕は総じて小さい頃に同級生が何が出来ても自分も出来るようになりたいと思わなかった気がする。

また、子供たちとディズニーの「アラジン」を見た。

外に出たのは図書館に行って絵本を貸し借りしてきたぐらい。最近娘に「はりねずみのルーチカ」シリーズを読み聞かせていて、ふと自分も小学校のころに読んで好きだった「クレヨン王国」シリーズが懐かしくなり、とりあえず第一作の「十二ヶ月」を借りてきてみた。最初のほうをぱらぱらと読んでみるが、もっとしんみりした話だった気がするのであるが...

夜はいつも通り娘は九時半前に、息子は十時ごろに寝た。息子の寝かしつけは今日は主に奥さんがやってくれた。


Jan 22 23:30, Tokyo

今朝は僕が子供たちを保育園につれていったのであるが、息子がエレベータを降りる際にボタンを押すのを止めなかったので仕方なく無理に外に出したら機嫌を損ねてしまって、保育園に着いて先生に渡すまでずっと泣かせてしまった。いつもは何とか気を紛らわせてくれる娘も匙を投げてしまう。

家に戻ると奥さんはすでにオンラインで会議をしている。こちらは査読の続きをする。

午後の途中には散歩にも行く。今日は暖かい。途中までスーパーにゆく奥さんと一緒に出て、戻ってくるとちょうど買い物を終えて出て来た奥さんと一緒になったので、荷物を持って一緒に家まで戻る。

息子の五時のお迎えはシッターさん。家に戻ってくるとすっかり機嫌がよくなっていて良かった。娘は僕が六時に迎えに行く。

娘は最近すっと寝てくれてありがたい。息子は十時二十分ごろまで掛かったが、ずっと大人しく僕と遊んでいてくれておしまいは抱っこをすれば寝てくれたので、うまく行ったほうだと思う。


Jan 21 23:35, Tokyo

今朝は奥さんが子供たちを保育園につれてゆく。僕はいつものとおり家で仕事が出来るように片付け。

今日は僕は修論審査に二つ聴衆として参加、また、午後は研究所の数学のセミナーに参加してみる。

その合間を縫って散歩にも行った。今日はそれほど寒くなく、早足でいつもの道を回って戻ってくると汗ばむほど。

夕方のお迎えも奥さんが行ってくれる。その間僕は研究上のメールをふたつほど書く。

夜は娘は九時すぎには寝たが息子を寝かせるのに骨が折れた。


Jan 20 23:22, Tokyo

今朝は子供たちを保育園に連れていった。相変わらず息子は僕のいうことを聞いてくれない。黙って立って何もしないという消極的な抵抗をするのである。これは僕の遺伝だろう。娘はそういうときは大声で言い返すのであるが。兎も角僕が声を掛けてもどうにもならないので娘が何とか説得して一緒に連れていってくれる。

家に戻ると僕は昨日の査読の続き。ようやく内容が分かってきた気がする。

昼食後は奥さんは出勤、僕も本郷に所用があったので途中まで一緒に出掛ける。青い空、冷たい風、ふとかぐわしい香りが流れてくる。もうそこここの軒先の梅が開いてきているのである。

息子の迎えは奥さんが仕事の帰りにやってくれた、僕は娘を拾いに行ってピアノに連れてゆく。

寝かしつけはここ数日と同様。娘は九時半頃、息子は十時ごろに寝た。


Jan 19 23:27, Tokyo

今朝も子供たちは奥さんに連れられて保育園に行く。僕は家を片付けて仕事が出来る状況にする。昨日コーヒーを買ったので僕と奥さんが飲むために淹れる。

丁度読みたかった短い論文の査読を頼まれていたので、今日から読みはじめる。四頁に圧縮してあるので行間を復元するのが大変だ。それは兎も角、これを元にいろいろと出来そうな気がする。

昼食は普段は奥さんに作ってもらっているのだが、今日は久しぶりに美味しいパン屋さんのサンドイッチを買いに行くことにする。奥さんは昼食後は出社。

僕は午後は # 君と数年前からやろうとして相変わらず出来ない話について考える。あれから関連する仕事をいくつかやって技術を磨いたので、今度こそできるとよいが。

夕方から僕は相変わらず麻婆豆腐をつくる。五時の息子のお迎えはシッターさん。奥さんは帰りに娘を拾って六時過ぎに帰ってくる。九時ごろから寝かしつけに入って、奥さんと娘は九時半頃寝る。息子は昨日と同様その後三十分ほど布団で遊んで、あとは抱っこで寝かせた。

僕はすこし休憩して今日は先に後片づけをした。あとは研究上のメールを二通返信を書いたら風呂に入って寝よう。


Jan 19 00:18, Tokyo

さて、平日。朝は奥さんが子供たちを保育園につれていってくれる。僕は家にルンバを掛ける、等。

午前は僕が主査の博士論文審査会。恙なく終わって、ほっと一息。

午後は先だっての論文に非常に丁寧な査読結果がかえってきたので、原稿を修正する。途中散歩にいったりなどしたので、だいたい終わったところで時間切れ、子供たちを保育園に迎えに行く。

最近息子は「やだ」といって僕にお世話をさせてくれないので、上着を着せるのも靴下を履かせるのも娘がやってくれる。そうやっている娘は多少誇らしげでもある。

夜は九時半頃には娘と奥さんは寝てしまう。その後は仕方なく息子は僕と遊んでくれる。結局久しぶりに息子を抱っこして揺らして寝かせた。

すると十時になったので、あとすこし原稿の修正をおしまいまでやってしまおう、と思ったら意外に時間が掛かって十一時半になった。あわてて後片づけをしたところ。日記をかいたら風呂に入って寝る予定。

さて、今日の審査は駒場の弦理論の人だったのであるが、こちらは伝統的に副査もみな弦理論か素粒子論のフォーマルな人を集めるので、ほぼ弦理論のセミナーとしておこなえて、やりやすい。一方本郷で弦理論の審査会をやると、主査副査で弦理論および素粒子論のフォーマルな人は少数派になってしまい、素粒子現象論や素粒子実験に留まらずもっと遠い分野のかたも審査員に呼ぶ慣習である。博士号を与えるにあたって広い理解を試すという建前はわかるが、内容に踏み込んだ審査になかなかなりにくいのは難点だ。


Jan 17 23:07, Tokyo

今日は寒い。というわけで子供たちを外につれてゆく気が起きない。というわけで午前中は奥さんが子供たちとクッキーをつくった。それを焼きはじめた所で僕が適当に昼食をつくった。

娘はクッキーの肩抜きに集中しすぎたのか、その後昼寝までひどい機嫌だった。娘は精神的に疲れると何故か工作をしたくなり、勿論疲れているからうまくいかないので小さな失敗をし、それが悲しくて大泣きするのである。

昼寝は短め。その後は室内用ジャングルジムを出す。その後は奥さんは息子を連れて外で散歩、僕は娘とさらに家でババ抜きやらかくれんぼなどをして遊ぶ。

娘は九時ごろ、息子は九時半ごろには寝た。


Jan 17 00:19, Tokyo

今日は暖かい。朝は奥さんが子供たちを公園に出してくれる。僕は娘の上靴を洗う、うどんを作って帰りを待つ、など。

子供たちの昼寝のあとは、娘のお友達が多数公園にいるということがわかったので奥さんがまた子供たちを外に出す。僕は家の用事を多少すませて、郵便局に行き、奥さんと子供の相手を交替しにゆく。息子は奥さんと共に帰るが娘はさらにお友達と大はしゃぎする。

郵便局に行ったのは、オンライン博士論文審査の報告書に各審査員が捺印するために、封書による判子リレーが行われているから。コロナ禍になってから、事務への提出書類のために封書をつかうことが増え、最近切手シートを再度買ったりした。それまでは封書など滅多に使わなかったのであるが。

今日は大暴れしたからだろう、娘は九時ごろ、息子も九時半頃には就寝。


Jan 15 23:55, Tokyo

今朝は子供たちを自転車にのせて保育園につれてゆく。

家に戻って奥さんと仕事。僕は午前中は学生さんへの博士/修士論文の体裁に関するコメントを一ヶ所にまとめた。何年も何人も審査をやっていて、毎回結局似たようなことを指摘するわけで、今年もそれを繰り返していたから、整理しておこうと思ったのだ。

午後はまたさらに博士論文の読解をすすめる。こちらは数学科である。

夕方は最近日課のように奥さんとラジオ体操をし、僕は早足で散歩にもゆく。息子のお迎えはシッターさん、奥さんは夕食の準備をほぼ終えて娘を迎えに行く。その時に「ここのお味噌汁が沸いてしばらくたったらこの青菜をいれてお味噌をいれておいて」とのことだったので、食卓でパソコンを開いて仕事をしながら青菜をいれるところまでは良かったのだが、そこでお味噌汁のことが完全に意識から消えてしまい、玄関があいて奥さんと娘が帰ってきた所で急に思い出した。あわててガスコンロをみると煮詰まる寸前である。あわててお湯を足して、お味噌を溶いた。

夜はいつもどおり。娘は九時半頃ねて息子は十時十五分ごろ寝た。


Jan 14 23:06, Tokyo

今朝は子供たちを保育園につれてゆく。奥さんから聞いていたのであるが、今週から息子のクラスではすこしでも感染防止のためということで、なるべく保護者が教室に入らなくても着替え等の準備が出来るようにいろいろとものの配置が変わっていた。

家に戻って僕は仕事。奥さんは夕食のシチューを仕込んでくれてから久し振りに出勤。

午前中は僕が副査をする修士論文の内容について質問。昼はスーパーでお弁当を買ってきて食べた。

午後は自分の学生の修士論文の審査会。恙なく終わって、ほっとする。

日があるうちに散歩に行って、少々メールに返事、日が暮れて子供たちを迎えに行き、家に戻って夕食を食べさせはじめる。そのあたりで奥さんは帰宅。

僕以外は十時前には寝た。


Jan 13 23:54, Tokyo

今朝は奥さんが子供たちを保育園につれていってくれる。僕はその間に家にルンバを掛ける。

午前中は某国の某大学に頼まれた某教員の評価書を書いた。面白い仕事を沢山出していて、未発表の仕事も色々あり、外部資金も沢山とって、大学内の研究教育以外の仕事も沢山していて、僕があちらを評価しているのが正直おかしいところだ。いたたまれなくなる。

午後は審査すべき修論やら博士論文やら最近でた論文を読むやら。

夕方は奥さんは買い物にいって、その後に子供たちを迎えに行って娘をピアノに連れていってくれる。

今日は奥さんに時間を沢山つくってもらったので仕事を随分したが、それにしても色々やった。何故だろうと考えたら、散歩に行くのをわすれていた。そもそも先ほどゴミを出すために家を出た以外は一歩も家を出ていない。

しかしそれでも今日は奥さんに甘え過ぎだったと思う。最近ずっと娘をピアノにつれていくのを奥さんがやってくれているのは、以前は僕がやると、大人しく保育園からピアノ教室まで行こうとしない娘を叱り散らしていて、家に帰ってきてからも機嫌が悪くて見ていられないという理由だった。しかし最近は娘もかなり成長してきているので、そろそろまた僕に戻してもよいのではないかと思った。

娘は十時ごろ、息子は十時十五分頃に寝た。


Jan 12 23:48, Tokyo

今日も寒い。朝は奥さんが息子を保育園に。僕はまず娘を歯医者につれていってから保育園に、というはずだった。娘は元旦に餅を食べたときに奥歯に被せてあった銀歯が取れたのでそれをはめて貰いにいったのである。

しかし、十日ほど経つ間に歯茎の肉が成長しているらしく、それをおさえるために麻酔をしてちょっと痛いことをしたらしい。はじめは何ともなかったのだが、会計を待っている間に麻酔が切れてきて少し痛みが出て、娘は何事も大仰になるから泣き出しはじめて収拾がつかなくなった。

というわけで諦めて家につれてかえってくる。奥さんは仕事が忙しいので僕は今日は仕事も諦めて娘の相手を主にすることにした。

娘は奥さんが急遽作ってくれたお蕎麦をこわごわ食べて、ぐっすり昼寝をしたあとはすっきり元通りになった。実家に FaceTime をして娘をしばらく構ってもらっているあいだに、家の用事をしたりした。

というのは、数日前から急に十年物のホットカーペットが故障して暖まらなくなったので急遽新しいものを買ったのが届いたので、それを敷きたかったのである。

夕方は娘をつれて散歩に出たりもする。五時の息子のお迎えはシッターさん。夜は馬鹿の一つ覚えで麻婆豆腐を作る。その間は子供たちをシッターさんに遊んでもらうが、娘は夕方までしおらしくしていたので元気が有り余っていて大暴れしていてうるさいほどだ。

その後はまあいつも通りだった。


Jan 11 23:41, Tokyo

今日は曇って寒い。子供もなぜか外に出たがらない。というわけで午前中は僕は娘と家で遊び、奥さんは息子をすこし散歩に出した程度。

昼寝の後は娘の機嫌が悪く、すぐに癇癪を起こしそうになる。娘は普段暑がりなので昼寝のときは下着だけになって布団に潜り込むのであるが、どうも今日はそれでは流石に寒かったらしく体が冷えていたらしい。というわけで暖かい恰好をさせていたら元気になって機嫌も普通に戻った。

夜はまあいつも通り。娘は十時少し前には寝たが、息子は十時半すぎまで掛かる。


Jan 11 00:10, Tokyo

今朝も奥さんが子供たちを公園につれてゆく。僕はうどんをつくって待つ。

昼寝のあとはお友達とへ遊びに行く。娘はあやとりを一緒に出来て幸せだったようだ。

息子ははじめて会う相手だったので固まっていた。そのせいか、夕食後風呂からあがってきたあとは大暴れをしてなかなか寝てくれない。娘は十時ごろには寝たが息子は十一時すこし前まで掛かった。


Jan 9 23:24, Tokyo

休日。朝は奥さんが子供たちを公園につれてゆく。池には氷が張っていたらしい。僕は家で昼食をつくって待つ。

その後は皆で昼寝。起きた所で叔母さんに電話。子供たちの大騒ぎが向こうに丸聞こえである。夕方は寒いので子供たちは家で遊ばせる。僕は頼まれたものを買い物に行く。

その後はまあ穏当に時間が流れる。はやめはやめにやったつもりだが子供たちの寝る時間はいつもどおり。


Jan 9 00:05, Tokyo

今朝は僕が連れてゆく。家に戻って午前中はメールの返事。昼食まですこし時間があったので先に日課の散歩を済ませてしまう。ついでに郵便局に行くなど。

午後は自分の学生の修士論文の発表練習、おやつ休憩を挟んで自分が主査をする博士論文審査のために著者にしばらく疑問点を質問する。

合計三時間半ほどオンラインで話をしていた。昨日は審査会二つで合計四時間半。ずっとイヤホンをつけてやっていると終わると頭痛がする。よいヘッドホンを買いたくなる。

息子のお迎えはシッターさん、息子は久しぶりに会えて遊んでもらえて大喜びのようである。僕は娘を迎えに行った。冷たい空気で気分転換すると、頭痛もおさまった。

最近は保育園のお迎えは皆さん案外早くするようで、僕が行くころには随分子供の数が減っている。同じ時間だとコロナ以前なら子供で一杯だったのだが。先生方も以前より少しのんびりなさっているように見える。昨日は娘を迎えにいくと丁度先生が娘と同級生三人とでのんびりとババ抜きをしていて、帰る仕度をしながら見ているこちらも、その呑気な暖かい雰囲気に触れて心も癒えるのである。

その後はまあいつも通り。子供たちは十時過ぎには寝た。


Jan 7 23:51, Tokyo

今朝は奥さんが子供たちを保育園につれてゆく。

僕は午前中と午後とひとつづつ博士論文の審査がオンラインで行われたのに参加する。それでも判子は必要なので、審査報告書は審査員の家を郵便でリレーされて判子を捺してゆくことになる。

ふたつの審査会のあいだには一時間しか余裕がなかった。それも一つ目の審査会がきちんと時間内に終わったから。一時間あれば大学にいれば生協食堂にいけば何の問題もないが、家で自炊をするとなると問題がある。僕は奥さんに作ってもらったから何とかなったが...せめて食後に食器は洗った。

二つとも審査会が終わると日も傾きはじめ、僕は慌てて散歩にゆく。夕方は子供たちを迎えに行く。

息子はこの冬休みでようやく夜寝る際に授乳が要らなくなったが、そのかわり寝室を動き回ってなかなか寝てくれない。今日は奥さんと娘が寝てしまってもまだもぞもぞしていて、結局十時二十分ごろまで掛かった。


Jan 6 23:59, Tokyo

今朝は僕が子供たちを保育園につれてゆく。

家では今日はいくつか事務的なメールを書いた後は久しぶりに一日研究につかってみる。といっても、# さんから問いあわせがあったので色々と読んで色々と考え事をして夕方に返事を書いた、ということ。

夕方は娘をピアノにつれてゆくため奥さんが迎えにいった。するとなんとピアノは今日は休みだった。

夜はまあいつも通り。息子はなかなか寝なかったが。


Jan 5 23:06, Tokyo

今日から子供たちを保育園につれてゆく。朝は皆で登園。家に戻って奥さんと仕事。僕は冬休み中に溜まっていたメールに沢山返事を書いた。夕方になる前に散歩にも出掛ける。

夕方の保育園のお迎えは奥さんがいってくれた。と思ったら電話がかかってくる。何でも息子があまり昼ご飯を食べなかったから家まで歩いて帰れないというが、抱えて家までは歩けないので、乳母車をもってきて、というのである。家に連れて戻って夕ご飯を出すとまたたくまに食べていた。久し振りに保育園に言ったから緊張したのだろう。

僕以外は十時ごろ就寝。

今後のコロナ禍への心構えをつけるため少し調べものをする。緊急事態宣言が出れば状況は少しずつは改善に向かうだろう。それより長期的に問題なのはイギリスと南アフリカの変異株で、感染力が増しただけでなく、子供でも発症しやすいらしいから、大変だ。いずれは入ってくるが、どれだけ先延ばしにできるか。それまでワクチン接種がどこまで進んでいるか。小さい子供がいる身としては非常に心配だ。


Jan 5 00:14, Tokyo

冬枯れの木と夕陽。

我が家は今日まで休日ということにする。朝はいつものように奥さんが子供たちを遊ばせに連れていってくれる。その間、僕は家にルンバを掛け、昼のうどんを作り、あいまに読んでいる博士論文の関連論文を読む。Calabi が diastasis を導入した古い古い論文だが、なかなか面白い。

僕以外が昼寝中は読書で気分転換をする。

まず奥さんが起き、次に娘が起きてきたのでおやつをたべさせる。息子が起きてきた所でそちらは奥さんに任せ、娘をまた朝とは別の公園に連れてゆくことにする。のんびり遊んでいたら、途中で保育園のお友達でそちらも今日は休ませたらしき一人があらわれ、突然大はしゃぎをはじめた。予定の三倍ぐらい暴れたのではなかろうか。

というわけで本人は楽しかったのだろうが家に戻ると疲れが出て機嫌が悪く、しばしば泣く。夜もなかなか寝てくれずに弱った。

さて、後片づけも終えて休憩もしたので、風呂に入って寝よう。


Jan 3 23:45, Tokyo

今朝もまた奥さんが子供たちを外に出してくれる。今日は保育園の異なるお友達と凧揚げに行った模様。僕は少々仕事。ようやく博士論文の二つ目をほぼ読み終わった。昨日と同様昼食を途中まで作って待つ。

学生さんの論文の参考文献リストにはえてして誤植が多いと奥さんに言ったら、自分のズボンの膝が破れていても気にしないのにそんな所は気になるのねとのこと。言われてみれば不思議だ。

子供たちは昼寝。親は家の用事やら、年賀状を出しにいくやら。昼寝から起きた後は子供たちは外には行かないというので家で遊んでいる。今日は夕食の麻婆豆腐を僕が作ることにしたので奥さんが子供たちと遊んでいる。いつも奥さんが子供をみるときは外にいることが多いので一緒に家で遊ぶのは新鮮だったという。

夕食後もまあ順当に時間は流れ、十時過ぎには僕以外は寝てしまう。その後は僕は読書、後片づけ。あとは風呂に入って寝るだけ。


Jan 2 23:31, Tokyo

今朝も奥さんが子供たちを遊ばせにいってくれる。娘はお友達と凧揚げ、息子は奥さんのご両親に遊んでもらったらしい。僕は博士論文を読み進める。頼まれていたので子供の昼ご飯の準備だけしておく。親は餅。

息子は帰り道の乳母車で既に寝てしまって、奥さんのご両親が押してきてくださった。娘は走りに走ったようで、昼食を食べている時点で目がうつろで、すぐに昼寝。それも普段より長く寝た。僕も少々昼寝をする。

起きたらおやつ。その後は家でいろいろ子供と遊ぶ。その後もまあ順調に時間は流れ、子供たちは十時過ぎには寝た。


Jan 1 23:12, Tokyo

新年。奥さんは朝からお雑煮をつくってくれててんてこ舞いであるが僕はぐうたら寝ていてよくなかった。朝は僕と奥さんの実家に FaceTime をする。

その後は奥さんと子供たちは奥さんの御実家に実際に行く予定だったが、最近コロナウイルスが猖獗を極めているので、中間の公園でおちあって遊んでもらうだけになった。僕は朝のおせちでノンアルコールビールを飲んだら体が冷えてしまい家で休憩させてもらう。

元旦なのでのんびりめに時間が流れる。昼食を終えると二時ごろ、二時半から四時ごろまで昼寝。どうも疲れていたらしく僕は前後不覚に寝る。子供たちも寝る。奥さんはいろいろ用事をやってくれていたようである。

起きたあとは皆で和菓子を食べる。そのあとはゆっくり子供たちと遊ぶ。十時すぎには奥さんも子供たちも寝てしまった。僕ももう後片づけをすませたので、あとは風呂に入ってねるだけ。

夕食前は娘が息子にいろいろ指示しながらおままごとをしていた、こういうのははじめてである。夕食の準備中の奥さんと聞いていると、普段の両親の会話の真似がいろいろ出て来て、聞いていて恥ずかしくなる。また、明らかにうちではないがどこかの家庭の会話の真似もでてくる。これは保育園でお友達同士でおままごとをするときに聞いて習ってくるのであろうと思われる。子供の前で下手なことは言えない。

また、息子が電話をどこかに掛けている真似をするから「どこに掛けてるの」と聞いたら「お店」という。「どうして」と聞くと「パパが壊れたから治してもらうの」とのこと。これも朝に少々不調だったからだろう、子供は良く見ている。