Nov 29 23:30, Tokyo

昨日は随分じっくりピアノを弾いた、というのを書き忘れていた。もう誰も弾かないのに、先月コロナが落ち着いてきたからといってわざわざ調律してくれてあったらしい。

今朝は主に祖母と色々と話をしていた。その間、母は地元のものが売っている所まで散歩に行って、お土産に野菜を色々と買ってきてくれる。

早めに昼食を準備してもらって、僕は東京へと戻る。父には駅まで送ってもらった。大阪まで帰ってきたのはコロナ直前の正月に帰省して以来だった。大和川を渡るあたりでほんの少し泣いた。

新幹線は来た時より少々混んでいた。それでも半分は席は空いていた。僕は三人席の通路側。窓側に途中から乗ってきた人は Red Bull を片手に持っていたのに、すぐに寝てしまった。

東京の家に戻ると奥さんはちょうどスーパーへ買い物にいったところだった。僕が空になった牛乳パックを切り開いている所に奥さんが帰ってきて、娘が工作に使うから切らないでといってたよ、というのだが、時既に遅し。

夕方は子供たちを保育園に迎えに行く。数日ぶりに僕をみたからか、息子は喜んでくれる。家で子供たちにお土産のハート型の最中をやると喜んで食べていた。しかしその後牛乳パックの件を知った娘は大いに泣く。泣きやんで恨めしそうな顔で僕に「今度は切らないでね」という。


Nov 28 22:59, Osaka

道端の木。

今朝は家のプリンタの黒が出なくなったというのでみてみる。文字用の黒インキが詰まって、プリンタのクリーニング機能でもどうにもならないらしい。うちでプリンタを使う頻度では写真モードで印刷すれば良かろうと思ったのでやり方を伝えておく。

その後は母と散歩に行って、午後のおやつと東京へのお土産を駅前の和菓子屋で買ってきた。

昼食後は庭のえんどう豆の為のネットを張るのを手伝った。

その後は父と散歩に行って、電気屋でハードディスクを買ってきた。家のパソコンをみたら、四ヶ月ほどバックアップがされていないと出ているので、どうしたか聞くと、七月に雷が近くに落ちてその時に急に停電したそうで、それからおかしいそうだ。本体のハードディスクが壊れてもおかしくなかったと思うので、まあバックアップ用が身代わりになったのだろう。

祖母とも色々と話をした。五歳の頃に「燕」に乗って東京へ行ったおぼろげな記憶があるというのを聞いた。


Nov 27 22:33, Osaka

富士。

昨日朝は僕が保育園に子供たちを連れていった。その後はルンバを掛けるなどしつつ、仕事。主に査読中の論文を読んだ。

昼食後は奥さんと自転車に乗って僕のコートを新調しに行った。行きに三十分、買い物に三十分、帰りに三十分。サイクリングにはちょうど気持ちの良い季節だ。

夜は奥さんが子供たちを迎えに行く、僕はスープを作って配膳をする。皆が寝たあともしばらく査読のつづき。

今朝はまずは娘の喘息の薬だけお医者さんで貰ってくる。その後、僕以外は街へ遊びに行く。

僕はといえば、久々に大阪に帰省をする。皆ワクチンを打ったし、東京と大阪の感染状況も落ち着いているし、この時期に帰って顔をみておかなければ今後はどうなるかまたわからないからだ。奥さんに迷惑を掛けることになるが、私だって将来数年帰ってこなかった息子が帰ってくれば嬉しいだろうから是非帰りなさいと言ってくれたこともあった。

帰ってきてみると、幸い僕が思っていたより皆元気そうに見える。普段は僕が家の中で一番年上なのが、今日は僕が一番年下である。夕食時には、普段は僕が子供たちにあれを食べてこれを食べてといっているが、今日は祖母や母にあれを食べてこれを食べてと言われる側だった。


Nov 25 23:53, Tokyo

柏の葉運動場の銀杏並木。

朝は奥さんが子供たちを保育園に連れて行った。僕は奥さんが帰ってきたところで柏へ向かう。

電車の中で論文を読んでいると反対側の席で咳をする声がした。前を見ると七十台ぐらいの夫婦のおじいさんである。しかもこのご時世なのにマスクをしていない。奥さまはマスクをしている。きっと奥さんが何を言っても聞かないのだろう。仕方がないので僕は席をかわった。全く困ったものだ。

あちらでは色々とメールに返事。「昼食会」は今回コロナ禍以来はじめて実際にセミナー室でやった。研究所の決まりで、その部屋の聴衆は最大五人らしく、僕がその五人目。また、昼食会とはいうものの昼食を食べるのは禁止である。まあ、それでも懐かしく感じた。

帰り道に学校から駅まで向かっていると、下校中の高校生に交じって七十代ぐらいの男性が一人マスクなしで闊歩していた。一日に二例みたので、この年代の男性には何か独特のものがあるのではないかと思ってしまう。

家に戻って少々休憩、子供たちを五時半少し前に迎えに行くと、息子が「どうしてこんなに早く迎えに来たの!いつもここれからお茶が出てそのあと絵本の時間なの知ってるでしょ。その後に来て。ママなら大好きだからその前でもいいけど」と言う。


Nov 25 00:19, Tokyo

今朝は僕が子供たちを保育園に連れていった。途中で息子が転んだものの、大泣きもせず、大過なし。

家で奥さんと在宅勤務。僕は色々と共同研究者にメール、など。昼は久しぶりにパン屋でおいしいサンドイッチを買ってきた。

夕方は久しぶりに麻婆豆腐をつくった。最近は手際がよくなって、いつもと同じ時間で追加で適当卵スープも作った。子供たちはシッターさんに連れてかえってもらって遊んでもらう。

僕以外は九時半頃には寝た。寝る前に息子が部屋を大いに散らかしたのでその後の片付けが一手間増えた。

息子といえば、ウォシュレットの流量が最強になっていたのも、トイレの途中に闇雲に押したのだろう。


Nov 23 23:05, Tokyo

昨日の朝は曇。夕方からまた雨だというので子供たちは長靴を履いて奥さんに連れられてゆく。娘は登園寸前にお休みの間にお友達のために作った折り紙が見あたらず家捜しをしたが出てこず、大泣きしていた。

僕はルンバを掛けて、柏へ。あちらでは色々と用事をこなす。$ 君と四方山話などもする。すぐに帰る時間になる。雨が降りはじめていたので、久しぶりにあちらでバスに乗る。帰りの車窓からは霧雨で煙った街が見える。

家に戻ると朝から聞いていた通り奥さんが食卓のカーペットをコルクマットに貼り替えている。ほぼ終わった所だったので、もとの状況に戻すのを手伝う。その後は子供たちを保育園に迎えに行く。朝僕に「ベビーカー持ってきてね」と息子が言っていたのでそうしたのであるが、乗るのではなく押したかったらしく、頑張って手を伸ばしてゆっくり押して行く。遅いので娘は呆れぎみである。

昨日は日記を書き忘れて寝た。

今日は晴れ。朝は何処に行こうかと悩むが結局奥さんが子供たちを街に連れて行った。僕は昼食に焼きそばをつくった。

昼寝の後は僕が子供たちを連れて奥さんのご実家に行きプラスチックのクリスマスツリーを借りてくる、はずが、息子が僕じゃやだというので、すったもんだの揚げ句、結局奥さんが行くことに。家にもどって早速組み立てて飾り付けをする。奥さんが子供の時からつかっていたものらしい。

風呂場で洗濯乾燥機を回そうとしていたところで離れて少し他の用事をしていると、息子が「やっておいたよ!」と自慢げにいう。慌てて確認すると選択せずに乾燥だけするモードになっていて、慌てて止めてスイッチを入れ直した。


Nov 21 23:27, Tokyo

今朝は奥さんが子供たちを公園に遊ばせに行く。僕は昼食のうどんを作って待つ。

息子が昼寝をしたあとは、奥さんと娘はプール教室に行く。僕は寝ている息子の横でしばらく本を読んでいる。

息子が起きたら、バスに乗ってすこし出掛けて、行った先のパン屋で菓子パンを買う。「ドーナツを買う!」と意気込んでいたら、ドーナツ状のパンは大きくて揚げていないもの一種類しかなかった。しかし息子は迷わずそれを買う。ドライフルーツとチーズが練り込んである。本人には五分の一ほどを店の前のベンチで食べさせて、帰宅。

家に戻ると奥さんと娘は戻ってきて休憩中。パンの残りは切り分けて皆で食べた。なかなか美味しかった。

夕食は奥さんがハンバーグを作ってくれたら子供たちも喜んで食べた。僕以外は疲れて九時十五分ごろには寝た。そのため僕も後片づけも早く終わった。あとは風呂に入るだけだ。

金曜に書き忘れたことだが、仕事中に音楽を掛けていた奥さんが右のスピーカーから音が出ていないという。そこでコンポとの配線を入れ替えたりして調べてみると、スピーカーは悪くないようで、そもそもコンポから右への出力が全く無かった。さらに調べていると、イコライザの設定で出力が一番左に振られていたのだった。ここ一週間ぐらい、息子が勝手に CD をいれて適当にボタンを押して聞くようになっていたので、偶然そういうボタンを押したのだろう。


Nov 21 00:37, Tokyo

季節外れの水仙。

今日は午後に子供たちのワクチンの予定。勿論コロナワクチンではなく、インフルエンザと子供の間の標準的なものである。朝奥さんと相談していると、娘が「今日ちっくん?」といっておびえはじめるが、なんとか宥める。奥さんは子供たちを御実家へしばらく連れてゆくことにする。

僕は昨晩娘が鼻血をすこし出して枕についたので枕カバーを洗う。そのあとはのんびりしている。午前中のうちにワクチンの予診表をお医者さんに受け取りに行っておく。

昼食後はすこし昼寝をしよう、と思って気がつくと、お医者さんの前で合流する予定の十五分前である。慌てて予診表を書いて家を出る。奥さんたちが着いて数分後に僕もなんとか合流。息子は平然としているが娘は大声で嫌だ嫌だと行っている。すると丁度お医者さんから保育園のお友達が出てきて、それを見た娘は平静に戻った。

ワクチンを打ってしまうと今度は娘はケロッとしているが、息子が泣きやまない。頑張ったご褒美ということで、スーパーに行ってそれぞれお菓子を選ばせる。

夜は子供たちは九時半ごろに寝た。それからしばらく奥さんとは四方山話をした。


Nov 20 00:24, Tokyo

秋の日。秋の日。

今朝は奥さんのオンライン打ち合わせが朝早くからあるので僕が子供たちを連れていくはずだった。が、息子がママが良いと言って聞かないので、普段より早めに奥さんは子供たちを連れて出てゆく。

僕はルンバを掛け、その他の朝の片付け、など。その後は仕事。今日はひとつ読み終わった論文の査読の返事を書いて、次に査読すべき論文を読みはじめる。

また、今週は重い腰をあげて、二年前の年始に亡くなった恩師の思い出を色んな人から集めた小冊子を編集していた。大部分の原稿はコロナ禍で取り消しになった昨年三月の追悼研究会を締切にしてあったので、一年半ほうたらかしてあったことになる。

昨日ようやく形になったので、昨晩深夜に皆さんにメールで送ったら、今日は沢山返事をいただいた。@ 君からは、昨晩あの冊子はどうなったかな、と風呂でふと思って上がってきたら丁度メールが届いていたから驚いた、虫の知らせは信じないつもりだが、そういうこともあるものだと思った、と連絡があった。思い出をあつめた冊子が A4 三十頁を超えるのは人徳だろう。

夕方は僕が子供たちを自転車で迎えに行った。最近は恒例になってしまったが、まず一度娘を家に戻してから、息子と再度車を見に出掛ける。はじめに帰ってくる時に、人々がみな道の一方向を指さしているので立ち止まった。そういえば今日はほぼ皆既月食になるのだった、と思ってそちらを見ると、ちょうど殆ど光を失った月が雲間から現れたところ。都心は空が狭いので、昇ったばかりの月が綺麗に見える場所は限られている。だからそういう所には老若男女が群れていたのである。

息子と車を見ていると、「おしっこ!」というので、慌てて家に戻って、自転車を建物の前に取りあえず置いたまま、息子を抱えて部屋まであがる。何とか間にあった。料理中の奥さんに息子を任せて、自転車を片付けに戻った。

九時半頃子供たちを寝かせている際に僕まで寝てしまい、気がつくと十一時。それからのろのろと後片づけをしていたらこの時間になった。お風呂に入って寝ようと思う。


Nov 18 23:59, Tokyo

夕暮れの車窓。

今朝は奥さんが子供たちを保育園につれてゆく。僕は柏へ。週に三日柏へ出勤するのはコロナ禍がはじまって以来。

昨日は職員証の入った財布を持って行くのを忘れたため、研究所の入口から入れず、内線電話をして事務の方に開けていただいたので、今日は忘れ物をしないように気をつけた。

あちらでは十一時から一時間ほど # さんと $ 君と議論。昼食のあとは、本郷から来てもらった @ 君、こちらの学生の * 君、そうしてポスドクの =、+、% という六人で議論をしてみた。これもコロナ禍がはじまって以来の大人数である。

五時前には家に戻って、少々休憩、その後は子供たちを迎えに行く。トイレの練習中の息子には保育園を出る前にトイレに行こうと毎回言うのであるが、なかなか行ってくれない。今日は玄関を出る直前になって姉が「トイレに行く」というと自分ももう出そう!といってようやくトイレに行ってくれたのであった。

夕食後は娘は今日も折り紙をする!というのでネットで娘に折れそうな新しいものを探す。何か動物がよいというのだが、僕自身が小さい頃なんども折った孔雀が無いかと探してみたら、無事見つかった。折ってみると懐かしいことだ。

僕以外が寝たのは十時過ぎ。


Nov 17 23:36, Tokyo

今朝は僕が子供たちを保育園に連れてゆく。今日は自転車にのせていった。

家に戻ると奥さんはすでに打ち合わせにオンラインで出席中。僕は柏へ向かう。

あちらでは真面目に用事をする。昼食以外はずっとパソコンに向かって何かしていたと思う。

お迎えはシッターさんがやってくださる曜日で、夕食は奥さんが作ってくれるというので、今日はすこし遅めに帰宅、といっても五時半ごろには家についたが。

僕以外が寝たのは十時過ぎ。その後しばらく仕事の続きをしていたが、さきほど切り上げて、これから片付けをして風呂に入るつもり。


Nov 17 00:13, Tokyo

本郷キャンパスの銀杏。

今朝も僕が子供たちを保育園につれてゆく。今日は息子が何故かベビーカーに乗りたいというので押していったら笑顔で登園できた。

その後は夫婦で家で仕事。午後は本郷キャンパスまで本を返しに行った。運動のため行きしは歩いたのだが、帰りしはついレンタサイクルを使った。スーパーに寄ってお使いを済ませて帰る。

夕食は豚じゃがを作る。保育園のお迎えは奥さんが行ってくれた。

全般に今日は和気靄々と過ごせた気がする。僕以外も寝るのが遅く、十時過ぎになった。


Nov 16 00:30, Tokyo

今朝も奥さんは調子が少々悪い。というわけで子供たちは朝僕がつれてゆく。息子が朝に家から持ち出した風船を歩道で転がそうとするから取上げたら泣かせてしまった。娘はまたパパが泣かせたよ、と言いたげな呆れた顔をしている。

家に戻って、ルンバを掛けて、僕は柏へ出勤、看病をしないといけないほどではなさそうなので。奥さんは在宅勤務。

朝起きると共同研究者から返事が届いていたので、今日は移動中も含め、一日それについて考えたり文献を調べて、返信をする。

五時ごろ家に戻る。奥さんがカレーを作ってくれるので、僕は子供たちを迎えに行く。息子は何故お迎えがママじゃなかったのか、といって号泣するが、なんとか保育園の先生が泣きやませてくれた。娘を家に送り届けたあとは息子と夜の街を自転車で走って車を見せてやる。

僕以外は九時半頃には寝た。


Nov 15 00:28, Tokyo

今朝は奥さんが少々体調が悪い。そこで朝は僕が子供たちを外で遊ばせようとすると、子供たちはママがいいと言って抵抗して、結局家の中でのんびり遊ぶことになった。途中一度は外に行く気になったものの、玄関でおもちゃの取り合いから喧嘩になって行けずじまい。

昼はうどんをつくった。子供たちを昼寝させようとすると息子はなんだかんだ言って寝ようとしない。僕と外に散歩なら行くというので辺りを回ってくる。家に戻ると奥さんと娘は先に寝ている。息子はママに先に寝られたといって泣きながらすぐ寝る。

昼食の片付けをすると僕はやることがなくなった。しばらく本を読んでいたが、まあ風呂の下水溝でも洗おうかと思ってやっていると、風呂桶を落として大きな音をならしてしまい、奥さんと娘を起こしてしまった。

その後、奥さんは娘をつれてスーパーに夕食の買い物に行く。戻ってくると息子も起きて、みなでおやつ。その後は皆で公園まで行って、子供たちが遊びはじめたところで奥さんは先に帰って休憩。僕は子供たちをのんびり遊ばせて帰宅。

九時半頃には僕以外は寝た。

今日は息子がはじめて本格的な癇癪を、それも二度も起こしたので驚く。姉が同じ年だったころは非常に頻繁だったので、息子の扱いは比較して随分楽だと思っていたのだが。さて、姉のほうは些細な不満ことでも普段から大声で訴えるので、癇癪になったときに何が気に入らないのかすぐわかったのであるが、弟のほうは不満があると黙ってしまうので、何故癇癪が起きているか全く分からないのである。一度目は長い間経って泣きやんだあと、姉が昔貰ったおもちゃの腕時計を取り出して腕につけていたのが羨ましかっただけだったということがわかったが、そんなこと言ってもらわなければ分かりようがない。二度目は寝る前に起こって、こちらは泣き疲れて寝てしまったので、原因は判らずじまい。


Nov 13 23:53, Tokyo

今日も素敵な秋の日。朝は奥さんが子供たちを遊ばせにゆく。僕は子供の上履きをあらう。それを終えて紅茶を淹れて飲んでいると、奥さんから連絡があって、夕食の鶏の照焼きをやっていくのを忘れたのでレシピを送る、というので、急遽それに従ってタレを作って鶏を漬ける。その後は昼食の準備。

軽く昼寝のあとは、奥さんと娘はプール教室。僕は息子とバスに乗りに行く。

息子と家に戻って、前の歩道でシャボン玉で遊んでいると、奥さんだけ戻ってくる。娘は公園で保育園のお友達と遊んでいるというので、僕は入れ替わって公園に行く。あれよあれよという間にお友達の数が増え、結局六家族ぐらい居たのでは。

子供たちは大いに遊んだので九時過ぎには寝た。その後は奥さんと四方山話をする。


Nov 13 00:34, Tokyo

夕暮れの柏の葉。都市郊外の秋。

今朝は僕が子供たちを保育園につれてゆく。家に戻ってルンバを掛けて僕は柏へ、奥さんは夕ご飯を仕込んでくれたのち出社。

あちらでは年末調整を提出、その他は主にぼんやり考え事をする。これまではいつも複数の共同研究が走っていたのだが、いま残っているのは一つだけで、その一つも難しくて突破口が無いのでここ数週間停滞している。そこで、もっと大局的にこれから何をやろうというのか考えてみるのである。

五時ごろには家に戻る。ルンバを掛けるために椅子やら何やらを一ヶ所に固めてあったのをもとの場所に戻す。六時ごろには奥さんが仕事帰りに子供たちを保育園で拾って戻ってくる。

僕以外は十時ごろに寝た。僕は片付け、風呂をすませたあと本を読んでいると遅くなってしまった。

朝の移動中は昨晩に引き続き矢野健太郎の本を読んでいた。ときどき研究で出てくる Killing-矢野テンソルの矢野はこの人だったということがはじめてわかった。また、アインシュタインの統一場理論について好意的に紹介しているだけどころか彼自身論文を書いていることも知った。あれは不評でアインシュタインとその共同研究者以外誰もやっていないと思っていたらそうでもなかったらしい。


Nov 12 00:19, Tokyo

今日も素敵な秋の日。朝は子供たちは奥さんに連れられてゆく。

午前中は昨日からの考え事のつづき、メールをやりとりする。昼前に奥さんと一緒にインフルエンザの予防注射に行った。

午後は奥さんは用事で出掛けてゆく。僕はその他いろいろと用事をこなす。夕方には散歩に行く。

さて、奥さんが夕食の準備をはじめたので子供たちを迎えに行った。すんなり玄関を出る所までは漕ぎ着けた。そうすると、娘のお友達が娘を追いかけて一緒に玄関から出てくる。「まだ○○くんのお母さんはまだでしょう、中で待っていて」と説得していて、ふと振り向くと、なんと息子が保育園の門をあけて歩道に出て行くではないか。急遽○○くんはほったらかして息子を捕まえに行く。

家まで戻ると息子はまだ満足に車をみていないという。娘だけ家に入ってもらった。こちらは夕食が出来るまではと思って二十分ぐらい外でのんびりしていると、救急車がサイレンを鳴らして通ってゆき、息子は満足して帰家に戻った。

さて、矢野健太郎の「ゆかいな数学者たち」という文庫本を古本で偶然手に入れた。著者の直接見聞きした色々な数学者達のエピソードが並んでいるが、著者が戦後すぐ二年ほど僕がアメリカで居た研究所に滞在したらしく、その際の話が色々と書いてあって、興味深い。アインシュタインの統一場理論についても普通に研究対象として書いてあるのは面白い。通常あれはアインシュタインが晩年おかしくなった際の世迷言で真面目な対象として書かれていることは稀だから。

矢野健太郎といえば、僕が実家に居た頃、父の本棚のブルーバックスを取り出して読んでいると、それを見た祖母に「裕二はもう矢野先生の本を読んでるんかぁ」と言われたのを思い出した。祖母はエッセイストとして知っていたのだと思われる。


Nov 11 00:30, Tokyo

夕陽と落ち葉。色付いた木々。

今日は久々に子供たちは二人とも奥さんに連れられてゆく。僕は柏へ行く。

柏の葉の駅をおりて、ついコーヒー屋に入る。しかしコーヒーを飲むとまた胃を壊すのではないかと思って、逡巡した結果、抹茶ラテを頼んでみた。なかなか美味しい。

あちらでは午前中は昨日弄っていた原稿を一応キリのよいところまでやって、共同研究者に送る。すると # 君が現れたので雑談兼議論をはじめる。

一時すぎぐらいに話は中断して、生協食堂に昼食にゆく。コロナの影響で人が少ないので、一時半で閉まってしまうのである。さて、研究所に戻ってくると職員証がないので入れない。しばらく待っても誰も通りかからないから、# 君にメールを書いて助けを求めたら、ちょうど配達の人が中から出てきて事無きを得た。

三階のベランダで秋らしくなってきた木立を眺めながら雑談兼議論の続きをする。途中で $ 先生があらわれて色々と質問を受ける。四年前にやってからしばらく離れていた話だから思い出すのに時間が掛かって、いろいろ微妙に間違ったことを答えた気がする。

ららぽーとでは「おむつが臭わない袋」を買って帰った。大便後のオムツを包んでゴミ箱に入れておくと臭いがほとんど漏れないという優れものである。今回買った束が無くなるまでには夜寝る時のオムツも外れてくれればよいのだが。

帰り道は色々とキチンと思い出そうとする。家に戻ると丁度奥さんが夕食のミートソーススパゲッティを作っている。今日は子供たちのお迎えはシッターさんがやってくださる日である。

僕以外は十時すこし前には就寝。というわけで、一時間ほどさらに考え事をしてから、思い出したので訂正すべきことを $ 先生にメールしておいた。

そのあとに片付けをしてお風呂に入ったら遅くなってしまった。


Nov 10 00:05, Tokyo

今日は雨。息子はまだお腹が緩いので今日も大事を取って休ませる。僕は娘を保育園につれてゆく。奥さんは息子をつれて御実家に行った。

昨日出来なかったルンバを掛ける。仕事は主にパソコンに向かって原稿を弄る。一日中やっていたら肩が凝った。

五時少し前には切り上げて、豚じゃがを作り、娘を迎えに行く。戻ってきた娘にはピアノの練習をさせつつ、お味噌汁を作った。そうこうしていると息子と奥さんが帰ってきた。

僕以外は九時半すぎには寝る。


Nov 9 00:22, Tokyo

息子は元気そうには見えるが、ご飯を食べる度にお腹を下す。というわけで家においておくことにする。朝は娘だけ保育園につれてゆく。

奥さんは午前中は出社、奥さんのお母様に来ていただいて息子と遊んでもらって、僕は家で仕事。推薦状を書く。

息子にうどんを食べさせてもらっていると奥さんが帰ってくる。するとそれまで僕か祖母に特に問題なく何でも頼んでいた息子が、いちいち母親にやってもらおうとして大騒ぎになる。いやはや。

息子はゆっくり昼寝。その後はまたしばらく奥さんのお母様に遊んでもらう。夕方にはお帰りになるので、僕が連れ出してすこしあたりを散歩。ねぇねを迎えに行きたいというから一緒に保育園まで姉を連れに行った。

夜になるにつれ、息子のうんちは改善しているように見える。しかし娘がまたすこし咳をしはじめた。僕以外は十時前には寝る。僕は後片づけ、パソコン弄り。台所のゴミ箱が汚れてきたから、拭いてみたりもする。


Nov 8 00:26, Tokyo

色づいてきた雲。

今朝は皆で買い物に行く。昨日お友達のおうちから姉に自転車のお古を貰って、今の姉の自転車は息子に渡すことにしたのだが、サドルなどを調整するのに工具が足りなかったので。

その後は奥さんが自転車の調整、僕は昼のうどんをつくる。

昼寝のあとは、息子がさっそく自転車に乗ってみたいというので、姉と一緒に公園まで行って練習。その他別の遊びをしたりもする。その間、奥さんは家の片付け。

家に戻って奥さんが夕食をつくって子供たちが二人で遊んでいる間、僕は久々にパソコン弄りに精を出してみた。

寝る少し前に息子がうんちをしたら下痢。どうも僕の先週の胃腸の風邪がうつったのだろうか。しかし本人はすこぶる元気そうである。

僕以外は九時半ごろには寝た。


Nov 7 00:04, Tokyo

シクラメンがこんなところに。

今朝はまずは奥さんが子供たちをつれてスーパーに買い物に行く。その後は僕が替わって公園へ。

ポプラの大きな落ち葉が沢山あって、子供たちと集めたり、踏みつけたり、風に吹かれて木から落ちてくるのを捕まえたりして遊ぶ。おしまいに「だるまさんが転んだ」をしているときに息子の自転車のヘルメットを何故か持ったままだった僕の所に息子がぶつかって、泣かせてしまったので連れてかえる。ちょうど昼ご飯を作ってくれた所だった。

午後は息子は昼寝、娘と僕は植物園へゆく。保育園はことなるが近所つながりの娘の友達のご家庭と合流。結局六家庭になった。子供たちは鬼ごっこやら、だるまさんが転んだやら、大騒ぎ。途中からは奥さんと息子も合流。そうこうしていると、誰かが不思議な実を拾い、どちらかのお父さんがこれは朴の木の実だというので、その木を探しに出掛ける。

おうちに戻って、あとはのんびり。娘は昼寝をしていなかったので、すぐに寝た。息子も十時前には寝る。その後、奥さんとホットミルクをいれてチョコレートを食べた。


Nov 5 23:46, Tokyo

今朝は息子が起きた時にお腹が痛いといって随分泣いた。というわけで彼は休ませることにして、娘だけ僕が取りあえず保育園に連れてゆく。しかし幸い息子はお腹を下すこともなく元気になって、家で跳び回っている。

朝の間は奥さんのお父様に来ていただいて遊んでもらう。しかし珍しく朝寝を三十分ぐらいした。

昼食後は昼寝もしなさそうということで、奥さんは息子を連れて御実家に行き、子供を任せて自分は仕事をするという。僕は二時すぎから一時間のセミナーを二つ。質問を沢山していただいていると五時十分前ぐらいになった。

というわけで、慌ててスーパーに足りないものを買いに行って、夕食の麻婆豆腐を作り、散らかり放題の部屋の片付けもする。ちょうど料理が仕上がって部屋も綺麗になった所で、奥さんと息子が帰ってくる。途中、娘も保育園から連れ帰ってきてくれた。

しかしまあ息子はあちらでも散々仕事の邪魔をしたようで、奥さんは疲れた顔をしている。夜寝る前の息子のうんちは少々緩かったが、さて。僕以外は九時半すぎには寝た。


Nov 4 23:20, Tokyo

中はこんな感じです。黄色くなってきました。

夜はそのあとも何度か息子が夜泣きをして弱った。

起きてみると、ようやく胃腸がほぼ健康になった気がする。朝は奥さんが子供たちを連れてゆく。僕は仕事。あすの講演のため、発表スライドの最終調整をする。

午前中は僕は息子の保育参観、午後は奥さんが息子の面談に行った。まあ穏当な感じである。三歳児の参観は親が子供に見えてはどうしようもないので、壁に穴が開けてあってそこから覗くようになっている。そこに親が数人並んでいるのは馬鹿らしい。

三時ごろには本郷キャンパスまで行って本を返してまた本を借りてきた。正門前の銀杏は思ったより色づいていた。

今日は子供たちは奥さんが早めに迎えに行く。夕食の仕上げの所で奥さんは子供たちを風呂につれて入る。僕は配膳。僕以外は十時前には寝た。

借りてきた一冊はヴァンダル語の本。知られている文献や石碑が短いページにおさまってしまうのだから少ない。それを研究しようというのは気合が入っている。

もう一冊は、中央公論社の「日本の歴史」がはじめ出版された際の月報を集めたもの。このシリーズは一冊が何か読んだ新書に引用されていて、数年前にひょんなことから少しずつ他の巻も読んでいるのであるが、なかなか面白い。高校のころにでも全巻読んでいれば面白かっただろうと思うが、本文だけでなく月報の著者ともう一人の対談もみてみるとこれが凄いのである。江戸時代の巻だと著者が尾張徳川の直系で尾張藩の経済をしらべた研究者と対談していたり、戦国時代の巻だと、「なぜ戦国大名に興味があるのですか」「これは軍隊で上官に虐められた恨みがありましてそれが戦国大名を調べようという気にさせる」「それは私も一緒です、実はビルマに行きまして、あなたもそうだそうですね」等々。僕の生まれる前の料亭での対談の記録なので現在書けば男女差別、外国人差別等で問題になるような発言も多いのであるが。


Nov 3 23:55, Tokyo

今日は休日。朝は皆で植物園に行った。帰りに子供たちにはモスバーガーでお子様セットを買って帰る。大人は昨日のシチューを温めて食べた。

昼寝のあとはベランダの草花の植え替え。

夜は子供たちと奥さんは先にお風呂に入って、それから夕食。子供たちはその後も大いに遊んで、布団に寝かせようとしても大騒ぎしていたが、九時半すぎにぱたっと静かになって就寝。

ただし息子は十一時半頃にひどい夜泣きをした。すこし前に急に寒くなって寝巻きも布団も厚くしてあったところに今日は暖かいものだから暑かったようで、髪にひどく汗をかいていた。


Nov 2 23:44, Tokyo

今朝も子供たちは奥さんに連れられてゆく。僕はようやく調子が持続するようになった。が、あまり仕事に身が入らず。

奥さんは昼まで家で仕事をして、昼食後に出社していった。僕はのろのろと仕事。

夕方は奥さんが帰ってきて夕食の準備をはじめたところで入れ替わりに僕は子供たちを迎えにいった。

夜子供たちと奥さんが寝る際に息子に「誰先生が好き?」と聞くと「○○先生。」という。「どんなところが好き?」「お昼ご飯の食べ方。」「食べ方?食べさせ方じゃなくて?先生も一緒に食べるの?」ここで娘が助け船を入れて「毎日先生が一人一緒に食べるんだよ」とのこと。「じゃあ、どんな食べ方?」「ゆーっくり食べるから好き。」「じゃあ他の先生は?」「ぱぱぱっと食べちゃう先生もいるんだよ」とのこと。面白い所をみているものだ。


Nov 2 00:04, Tokyo

今朝は子供たちは賑やかに奥さんに連れられて保育園に行く。僕はまだ胃腸の調子がおかしい。

家ではのろのろと仕事をする。奥さんも在宅。昼はうどんをつくってくれた。しかし食べるとしばらく調子が悪くなる。

子供たちのお迎えも奥さんにやってもらった。配膳だけはする。夕食後はようやく食べても気分が悪くならなかった。僕以外は十時前には寝る。